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 第182号(2006年10月28日発行)

キャンプ・ハンセンの米海兵隊がフィリピンでレイプ

理不尽な日米地位協定よりもさらに理不尽なVFA協定

平田 一郎
(フィリピンレイプ裁判を支援する連絡会)

 沖縄をはじめ全国で米兵犯罪が頻発しているなか、昨年11月1日、フィリピン・スービック元米海軍基地でおきた、米海兵隊によるレイプ事件について報告します。

 沖縄県金武町と恩納村にまたがるキャンプ・ハンセン所属の海兵隊員たち4人が、比米合同軍事演習終了後、沖縄への帰路に就く前夜に起こした事件です。

 きっかけは11回目のフィリピンピースサイクルでの交流で、あらたに結成されたばかりのレイプ事件裁判支援団体と担当弁護士ウルスアさんのお話を伺ったところから、宿題を抱えることになりました。日本の女性グループが事件直後から支援の輪を広げていてうまく協力できました。


 現在の事件の状況:

 被害者はミンダナオ出身の当時22歳のフィリピン女性。犯人は海兵隊員の4人。

 主犯のダニエル・スミス陸士長、共同正犯のキース・シルクウッド陸士長、ドミニク・デュプランティス陸士長、チャド・カルペンティエル軍曹。

 4人はスービック市のオロンガポ地裁に起訴され、マニラのマカティ地裁に移管されて10月5日に結審。11月27日に判決が予定されています。

 比インクワイアラー紙2006年10月16日では、「スービック市だけでも、3000件のレイプ被害事件が起訴されているが、有罪となったのというのは過去に一度も聞いたことが無い」と報じています。

 レイプ事件は、個人の告発が柱にならざるを得ない状況ですが、さかのぼれば、信託統治時代も含めて100年以上米軍が駐留し、歴史的にフィリピンを支配してきました。この裁判はスーパーパワーの米政府を相手にする歴史的な裁判だといえます。

 被害者があくまでも裁判に訴えようとしてきたのに対し、被告の家族に対する比政府からの圧力は強く、あからさまな訴訟妨害がありました。ゴンザレス司法長官が先頭になって、告発に立ち上がったレイプ被害者を「偽証罪で告発する」、「被害者はレイプを想像しただけだ」、その他多数の発言で「犯罪」と「裁判」の打ち消しを図ってきました。

 告発側の担当検事自身が被害者に「和解」を強引に勧めたことが被害者の家族から暴露されました。米国政府が解決のための政府援助を提案したという話もがあり、米国の強力な介入が想像されます。


 裁判の経過:

 裁判は、スービックレイプ事件支援協議会(スービックレイプタスクフォース=TFSR、10月現在17団体)が組織され、6月から実質的な公判が開始されました。被害者側証人23人が証言、被告弁護団側は被害者である「ニコル」の証言に対し、反対尋問で被害当日の詳細な模様を執拗に追及、「ニコル」は、涙のなかで耐え抜きました。 加害者被告側の証人数名の尋問と反証があり10月5日に結審しました。終盤では、担当主任検事が十分な追及を行わなかったとして、被害者原告は裁判を欠席、支援もこれに従いました。


 多数の目撃者:

 スービック元海軍基地は経済特別区として企業が誘致され、米軍需産業も参入、沖縄金武町の対ゲリラ戦構造物の何倍もの大きい建物を計画中と伝えられています。

 例年の軍事演習「バリカタン06」を終了して陸上休暇の最後の10月31日の夜、被害者「ニコル」(仮名)さんは、海兵隊員たちがいるバーで酒に酔ったところを、スミス被告が彼女を担いで車(バン)に押し込み、スービック地域内を比人運転手に運転させ、ラジオのボリュームを上げさせ、3人がはやしたてるなかレイプされたと伝えられます。

 最後に明るい駐車場のよこで「豚を捨てるように」車から手足をもって路上に投げ出したのを、多数の人たちが目撃し、スービック特別区域の警備当局が被害を認定して告訴が始まりました。比人ドライバーが海兵隊員たちの犯行を証言しましたが、「ドライバーも共犯で告訴」と、また司法長官が脅し、彼は証言を取り下げました。


 被告海兵隊員たちの主張:

 沖縄に帰還する強襲揚陸艦「エセックス」(佐世保駐留)に乗船した容疑者たちを、米海軍犯罪調査機関は、艦から彼らを下船させ尋問調書を取りました。この調書は裁判に提出されましたが、被告は「合意のセックス」を主張し、この尋問調書を、「証言を間違えて引用している」と否定しました。


 比米軍事訪問協定(VFA):

 犯人の拘留が当然問題になりました。米大使館当局は、「比米双方の法律に違反する犯罪の疑い」、「比当局の捜査に全面的に協力するため」4人の身柄を大使館で確保すると主張しました。

 当然大統領府「VFA協定」委員会は、比側で身柄確保を当初主張したものの結局、米大使館当局に引き渡してしまいました。

 比米軍事訪問協定(VFA 地位協定を含む)では、第五条第1章(a)項で、フィリピンによる裁判権の優先を規定し、第五条第3章(b)項(2)で公務中の事件をすべて米軍によるとしています。

 第五条第6章では、逮捕拘留権の規定で、身柄拘留は犯罪行為の時点から判決時まで、フィリピン側の司法権行直後から米軍当局に属する(reside with)と規定しています。

 また1年間という期間で、この拘留に期間の制限を設け、1年間で裁判が決まらなければ、あとは米軍は拘留の義務を放棄できるとしています。(すべての犯罪の時効が1年間である。)

 日米安保に基づく地位協定(条約下の別の協定)では、17条3章a項Aで公務中の犯罪を全て米軍当局が裁くこと。

 17条5章c項で、米軍が確保した犯罪者は起訴まで、そのまま米軍が身柄確保するとされています。


 毎週4日の公判:

 いくらなんでも毎週4日の公判に付き合える弁護士も支援もなかなかいません。それでもマカティ地裁ポゾン裁判長(判事なしで1人)は、VFAの違憲性は否定しながらも、良心的に1年間で結論を出そうとしました。その結果、毎週4回もの公判が2ヶ月半続くことになりました。

 なんとしても被害者の告発をつぶし、裁判を消滅させようとした米軍、比政府と司法省はその目標を実現できませんでした。 「ニコル」さんは、裁判の過程で2度目のレイプ≠ナ涙に浸りながら、耐え抜きました。何度か旧日本軍の性奴隷制のフィリピン女性被害者(この闘う老女たちを尊敬をこめてロラと呼んでいます。韓国ではハルモニ、台湾ではアマ)も支援に駆けつけました。

 押し寄せるマスコミのカメラ攻撃に支援の人々は、ダミーの「ニコル」を4人も立てて、被害者をしっかりと守り抜きました。また何回もの集会とデモ(次頁写真)を行いました。まだ「ニコル」さんは仮名ですが、人間としての尊厳をかけて「英雄的に」闘い続けていることは確かです。

 私たちはフィリピンピースサイクルで、ODA開発現場の被害者支援、日本軍「慰安婦」裁判支援、戦争被害者との交流を続けてきました。その線の上にレイプ被害者の闘いに出会いました。

 それは辺野古基地阻止闘争の真っ最中でした。「ニコル」さんの裁判が勝利することが是非必要です。

 米兵犯罪を処罰できず、米軍の責任を見逃すのは、米軍と犯罪米兵に、二重に特権を与えることになります。特権のトンネルをくぐり、米軍が沖縄キャンプハンセンとフィリピンスービックを自由に往復しないようにこの裁判支援を続けたいと思います。

 支援Blogが女性中心に立ち上げられました。http://subic.blog76.fc2.com/ 是非一度見てください。(了)