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 第180号(2006年7月28日発行)

関東ブロック連続学習会報告

「海兵隊のグアム移転と沖縄経済を考える」

講師 松島泰勝さん(東海大学海洋学部海洋文明学科助教授)

 沖縄一坪反戦地主会関東ブロックでは会員自身の見識を高めるため毎年2回ほど学習会を開催してきています。その第1回目を7月21日(金)に開催しました。

 今回は海兵隊のグアム移転がマスコミ、政府の言うように本当に沖縄の負担軽減になるのか、グアム住民にとって移転がプラスになるのか、ひいては世界の平和にとって本当に必要なことかを「基地経済」、「住民の自治」に詳しい経済学者の松島泰勝さんからお話しをしていただきました。私たちが「海兵隊のグアム移転」と「大浦湾を含む辺野古沿岸にあらたな基地を造る案」の関連性、そしてその本当の意味を考えるのに、大変参考になる視点がいくつも含まれていましたので、お話全てを掲載したいのですが紙面に限りがあるためかないません。そこでその内容の要旨を編集部の責任で載せさせていただきます。松島さんの意図をうまく伝えられるか一抹の不安がありますがご容赦願いたいと思います。


 まず松島さんのプロフィールを簡単に紹介します。松島さんは現在東海大学海洋学部海洋文明学科助教授で専門は経済学です。出身は八重山石垣島です。幼少のころは父親の仕事(気象庁)の関係で南大東島で生活したこともあり豊かな自然を肌で実感しました。また大学院生のとき1997年〜2000年まで日本国総領事館の専門調査員として2年間はグアム、1年間はパラオで過ごしました。

 これらの経験から沖縄とグアムがアメリカなどの大国に翻弄され続け、人権を無視され、環境を破壊され続けてきた歴史を共に持っていることを知り、強国のヒモ付き経済振興に頼るのではなく、民族自決権を回復し、自前の自然を生かした自立経済を確立すること、そのためにも大国の横暴に対して共に連帯していくことの重要性を強く訴えています。


沖縄海兵隊「8000人」のグアム移転が沖縄の負担軽減だというアメリカ、日本政府の言は真っ赤なうそである∞またグアム先住民チャモロ人にとっても更なる差別を生み出し自立を妨げ、彼らもそれを望んでいない

 アメリカ政府、そして小泉首相や額賀防衛庁長官など日本の政府要人たちは口を開けば沖縄の負担軽減のために沖縄海兵隊8000名のグアム移転はある。そのためには危険な普天間基地を辺野古に移転しなければならないといってきています。本当に海兵隊のグアム移転が日本の安全を確保しつつ、沖縄の負担軽減のためにとられた措置といえるのか。松島さんは事実をあげ日米両政府のまやかしを証明してくれました。

 クリントン政権は米軍を削減すると決定していた。当然グアムの米軍基地も縮小の方向であった。しかし政権がブッシュに移ると軍縮小が一転して増強方向に転じ2000年にはパラオの艦船修理施設の廃止が中止され、かつ新たにミサイル搭載原子力潜水艦基地が設置され、地上戦闘隊や航空遠征隊が配備された。ブッシュ政権がグアム基地機能を強化した理由は、中国や北朝鮮に対する攻撃態勢を強化するだけではなく、フィリピンやインドネシア等におけるイスラム勢力を抑えるためでもあったのだ。

 つまり沖縄海兵隊のグアム移転は決して沖縄の負担軽減のために行われるのではない。沖縄から8000名の海兵隊がいなくなっても沖縄に新たに基地を建設(辺野古沿岸案の米軍がすでに描いていた青写真です)し自衛隊と米軍の共同訓練が実施される等、基地機能は決して低減しない。むしろ、グアムに司令部機能を移し沖縄に実戦部隊を残すこと、そして自衛隊との戦闘協力体制を強化することにより沖縄を戦場として使いやすい状態にでき、基地機能は飛躍的に増大すると考えられる。

 アメリカ政府はすでに6年前の2000年からグアムの戦略的重要性を認識しており、その総仕上げが海兵隊移設である。その証拠として2000年、米海兵隊ジェームス・ジョーンズ総司令官は次のように明言している。「在沖米海兵隊の訓練をグアムでもっと行うべきであり、グアムは移動性、戦略的にも米軍にとって重要な位置にある≠ニ松島さんは述べられました。

 また松島さんはグアムの先住民であるチャモロ人がグアムの米軍基地の増強(在沖海兵隊のグアム移設等)を望んでいないことを諸外国(スペイン、アメリカ)による差別的支配の歴史を検証することによってはっきりと指摘してくださいました。

 現在グアムの人口は約16万人で、その内訳は先住民のチャモロ人が約40%、白人数%、フィリピン人が約40%である。先住民のチャモロ人と同じようにフィリピン人の割合が多いのは1898年の米西戦争(スペインのグアム支配に対してアメリカの支配奪取・植民地奪取戦争)で勝利したアメリカがチャモロ人の自立の要求を抑え込むため積極的にフィリピン人の移民を奨励した結果。そのためなかなかチャモロ人の民族自立、ひいてはグアムの独立(自立)の声が大きくなりにくいのが現状である。

 松島さんはグアムを手に入れたアメリカがその後とってきた歴史的政策をもう少し具体的に語ってくれました。この内容からアメリカがグアムを軍事的にいかに重要視しているかがより鮮明になってきます。

 1897年アメリカの自国領土となったグアムは米海軍の当時が行われるようになった。その政策はグアムの先住民族であるチャモロ人の米市民権要求の拒否、教育、行政機関において英語使用の強要、1922年にはチャモロ語英語辞書を集め焼くということまで行った。その上チャモロ語を話すと体罰まで加えるという暴挙を行ってきた。1950年になってやっとグアム住民に市民権が与えられたが、それは名ばかりで大統領選の投票権は与えられず、政治的制限が加えられていた。国際的には非自治地域とみなされる「自治未編入地域」リストに載っている。今日に至ってもグアムに影響する法律を変更するときはグアム住民の同意を必要とする、まさに民主主義の根本原則をアメリカ政府は認めていない。

 グアムの面積は日本の淡路島程度だが、このようにあまり広くない面積のうち約3分の1は米軍基地になっている。これは沖縄における米軍基地の割合約5分の1を上回っている。その上、沖縄と同じように航空基地(アンダーン基地等)のある北部地区のように平地のほとんどが基地にとられているので産業も農業も発達しにくい。

 また港に適した海岸線(例えば深くて穏やかなアフラ湾は海軍の軍港になっている)はほとんど軍港にとられており魚業の発達を阻害している。そこで住民は基地経済に頼らなければならない。住民の意思を無視し、チャモロ人を米国に同化させ、経済的自立を妨げ、自由にグアムを軍事的に利用しようとするアメリカの姿勢は100年前と今もまったく変わっていないといわざるを得ない。このことはヤマトおよび米国の差別、支配に翻弄され続けてきた沖縄の歴史と類似しているといえる。同じような差別と支配の歴史を負わされてきた沖縄、グアムは共にその軍事的支配を断ち切るため共に連帯する必要がある。

 ところが近年グアム副知事が数回にわたって県出身の国会議員の紹介で沖縄を訪れ、県要人(副知事等)と会合を持っている。これは海兵隊の移設費用として日本の負担する多額の金(約6900億ドル)を移転事業として日本企業、沖縄企業が引き受けるという話し合いのためである。これは沖縄が受けてきた従属的差別を沖縄がグアム住民に対してする差別であり決して容認してはならない。≠ニ松島さんは怒りを内に秘め静かに語っておられました。


沖縄は日本政府からの多額のヒモ付き経済振興に頼る生活感を根本から見直し、計画的、自立的、そして自然をはぐくみ身の丈にあった生き方、価値観の確立が今求められている


 沖縄は外部からいろいろな名目の補助金(沖縄振興、軍用地料など)に頼り、自立した生き方を見失い、その結果、基地被害、自然破壊を招いてしまっているのではないか。松島さんは例をいくつか挙げ問題点を指摘されました

 米軍統治化の1950年代沖縄全土で吹き荒れた米軍による土地略奪に抗したいわゆる「島ぐるみ闘争」がある。しかし盛り上がったこの基地反対闘争は米軍の土地代引き上げの懐柔策にまんまとのってしまったことでしぼんでしまったという苦い経験。(次の事例として日本復帰後)日本政府は沖縄振興事業の名の下に多額の金を沖縄に注ぎ込み、その金で道路建設、大掛かりな橋の建設、そして土地改良が行われ、その結果、沖縄にとって貴重な観光資源である自然が破壊され(山原の自然の破壊で貴重種の動植物の絶滅の危機、赤土流失によるサンゴの壊滅的な打撃など)沖縄の良さが失われかけているという深刻な事態を招いてしまっている。

 最近では名護市に基地建設の見返りとして多額の補助金が落とされ、箱物が次々と建設され、その結果次のような深刻な事態を招いている。建設された箱物を維持するには多額の金が毎年かかる。この維持費は地元市町村が負担しなければならない。そこで名護市は維持費を捻出するため多額の借金を抱え込んでしまい、日本政府との従属関係はますます増しつつあり、地元の自治、自立は大変こんな状況に追い込まれるという結果を招いてしまっている。本当に不幸な事態といわざるを得ない。

 最後に返還地域の跡地利用について映像を交え次のように話してくださいました。

 返還が予定されている普天間基地の跡地利用について宜野湾住民は次のように考えている。普天間基地内には鍾乳洞がたくさん点在している。そこで箱ものを造る近代的都市を目指すのではなく自然の地形を生かした国立公園にし、観光事業を立ち上げていきたいというしっかりとした構想を持っている。ただ問題は米軍によって垂れ流された汚染物質(放射性廃棄物等)が多く残っておりその除去をどうするかということだ。

 北町の美浜地区は返還に際して、ビジョンを持って都市計画をたて、そのビジョンに沿って誘致する企業を丹念に調べ、計画にあった企業を選び出し開発を行った。その結果、現在コンベンションセンターなどでは多種多様なイベントが行われ多くの人が詰め掛け、また若者、家族連れ、とそれぞれニーズに合った商店がうまく配置され活気に満ちた賑わいを見せている。まさに街つくりに成功した例といえる。

 この北町に対して那覇市のおもろ地区は都市つくりに失敗した典型的な例だ。ここは街つくりを都市再生機構に都市計画の全てゆだねてしまったため、大きなマンションが雑然と立ち並び、その一階にはパチンコ店など遊興施設が配置されてはいるが思ったほどの賑わいを得られておらず、自前の計画を放棄したための行き当たりばったりの都市つくりに陥ったことによる弊害が出ていると言わざるを得ない。

 最後に読谷村は、今年の7月31日に読谷飛行場が返還される。その跡地利用として都会を目指した都市開発をするのではなく、読谷の文化、(織物、焼き物等)や特産物(紅芋、サトウキビ)を生かし、文化館、特産物館を建設したり、紅芋を利用した紅芋羊かんのような新特産物の開発、それにサトウキビ畑など農業の充実をうたい読谷村の地場産業の育成に力を入れた開発計画をたてている今後の行方が注目される。

 このように外部からのお金に頼るのではなく自前でよく計画を立てその地域の特色を生かした開発がこれからは必要である。

と松島さんは力説されていました。

 自身経済学者として自戒の念を含め、今後自主自立経済発展の必要性について論陣を張り訴えていくと決意を述べられました。
 
(記録およびコメント 会員・S)