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『一坪反戦通信』
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 第178号(2006年5月28日発行)

 2006年5月15日

平良 夏芽(たいら なつめ 平和市民連絡会)さんの集会講演(要旨)

日米政府はわざと「反対派に止めさせた」?

それでも、「止めるだけだよ」


 お忙しい中お集まりいただきましてありがとうございました。辺野古に新基地が建設されると発表されて、オジー、オバーが座り込みを始めて2639日、それから2年前の4月19日、防衛施設局が作業を強行しようとして今日で757日目に入っています。今日もまた辺野古では座り込みが続いています。

 まず事実確認を最初にしたいと思うのですけれども、「沿岸案」というものが発表されて、沿岸案とか新沿岸案とかいろんな言葉が飛び交っていますが、私が所属しています沖縄平和市民連絡会あるいはヘリ基地反対協では、「新沿岸案」という言葉は使わないでおこうというふうに言っているんですね。どうしてかっていうと、あたかもいろんな案があって少しずつ動いているかのように錯覚してしまう、と。もともと一つの計画があって、それが進められていっているだけなんだというのが私たちの認識です。いろんな呼び方を変えていろんな案が出ているということは、事実認識にちょっとずれが生じてしまうんじゃないかということで、いろいろ議論した結果、新沿岸案とか沿岸案とかいう使い分けをしないで沿岸案という一つの言葉で統一しようというふうに確認しています。


 私たちは、敢えて反対運動というのと阻止行動という言葉を分けて使ってきました。反対運動がどれだけ真剣になされているかということを知りながらですよ、知りながら、ですから反対運動を一生懸命にしている方たちにはすごく失礼な物言いになることをじゅうじゅう知りながら、しかし辺野古の現場ではそれを確認せざるを得なかったので申し上げますが、反対運動というのは工事が強行されても反対、反対と言っていればいいんだ、しかし辺野古では反対と叫ぶか叫ばないかが問われているんではなくて、工事を止めなければならない、どんな議論をしたか、どれだけ叫んだかが問題なんじゃなくて、工事を止めれるかどうかが問われているんだと、だから常に臨機応変できる最大限のことをやっていく、そういう現場なんだということを確認し続けたんです。
 
 「何も変わらないよ」!

 続いて9月2日にヤグラが全部撤去されて10月に沿岸案が発表されましたね。昨年の10月に。その時のことを私はっきり覚えています。もう海上での闘いはなかったので皆テントの中に座っていました。何日かおきに海上の訓練はなされていましたけれども、それ以外の時はテントに座っていましたので皆テントに座っていました。そしたらある新聞記者から電話がかかってきました。沿岸案が発表されたということですね。コメントが欲しくて電話がかかってきたんです。

 でも辺野古の闘いで一番大事なのはこれからなんです。この静けさが続いたのは長くても30分でした。啜り泣きが聞こえたのは長くても30分でした。そのうちどこからともなく「何も変わらないよ」「止めるだけだよ」という声が上がり始めました。

 で、マスコミがどんどんどんどん辺野古に駆けつけてきて皆にインタビューしようとする。どんなにショックを受けているかということでインタビューしようとするんですけれども、もうマスコミが駆けつけてきた時には皆元気なんです。「何言ってるの、何も変わらないよ、止めるだけだよ」って皆元気にインタビューに答えていくという状況がもう既に生まれていました。これが辺野古の強さだったんだと思うんですね。

 辺野古があれだけ大変な中で闘い続けられているのは、自分たちの権利、生活を守るためだけの闘いではないからだと思っています。そこに基地が作られた時に何が行われるのか。その基地を使って、ここから軍隊がまた世界の各地に出て行って確実に子供たちを殺していくんだ、自分たちは今まで以上に更に加害者にさせられていくんだ、もう自分たちはこれ以上加害者にさせられるのはいやだというこの叫びが、どんなに困難な状況でも諦めない、諦めることができない、そういう力になっていったんだと思うんです。

 沿岸案が発表されました。注文は何だったかというと、住民地域から離して沖合いに作りなさいということ、一つ、もう一つは軍民共用にしなさいということ、もう一つは15年経ったらこれを民間に返しなさいというこの三つを条件に出していた計画なんです、いわゆるSACO合意案は。こんなものを米軍が喜ぶはずがないんです、どう考えても。喜ぶはずがない。


 ただ踊らされていただけかもしれない

 私たちは、ボコボコに殴られたし、何人も救急車で運ばれたし、いまだに後遺症を引きずっている仲間がいます。それ程の激しい闘いをしてきて、それが日米両政府に踊らされただけだったなんて受け取り方というのは本当に悔しいです。でもですね、だから本当はですよ、SACO案は私たち皆が手を取って止めてきたんだ、わーっといって元気出してやりたい気持ちがしますよ。

 だけれども施設局が本当に本気になったら数日でボーリングなんて終わるんですよ、多分。本気になったら。私たち蹴散らして。でもしなかった。しなかったんだと思うんです、できなかったんじゃなくて。だから、あの当時はですよ、何があっても「反対派のじゃまで工事が止まりました」という報道はされなかったですよ。どんなに私たちが頑張っても報道されたのは「悪天候のため作業が中止されました」という報道だった。ところが今、施設局が出しているパンフレットは何ですか、「反対派の抵抗によってSACO案ができなくなりました」ということがはっきり書いてあるじゃないですか。

 あれだけプライドの高い防衛庁が私たちを評価しますか。な、はずがないんですよ。口実に使っているとしかあり得ないと私は思う。本当はあれを作ろうとした、県と合意したあれを作ろうとしたんだけれども、あの平良たちのせいで県がいやがっている案に戻らざるを得なかったんですよと、恨むんだったらあの平良たちを恨みなさいよというメッセージがあそこには織り込まれている。私はそういうふうに読んでいます。

 で、非常に悔しい思いをしていますが、しかし、防衛庁の誤算だったのはこの2年間という時間が私たちに何を作らせたかということです。工事は阻止できなかったのかもしれない、ただ踊らされていただけだったかもしれない。私、悲観主義者ですからいつも最悪のパターンを想像して言いますので、本当は止めれたのかもしれないです。わからないです。でも私は最悪のパターンを想像しますので、ただ踊らされていただけかもしれない。

 ですから「私たちは今何ができますかね」という人たちは、学生たちもいっぱいいますけど、とにかくネットワークを作ってください。インターネットできる人たちは友だち、仲間のメールアドレスを集めるという、本当にやってください。具体的に。


 タッチ・アンド・ゴー訓練

 防衛庁は、これを着陸専用の滑走路と離陸専用の滑走路というふうに説明していますね。沖縄の米軍基地の訓練を知っている者は、すぐにお腹を抱えて笑いました。沖縄の米軍機がやっている訓練は、タッチアンドゴーという訓練なんです。飛行機の操縦で一番難しいのは離発着だそうです。ですから、タイヤを出して着陸してきて、タイヤを滑走路にかすらせてそのまま上がっていく、タッチしてそのまま行くからタッチアンドゴーというんです。離発着の訓練ですね。タッチアンドゴーで着陸用の滑走路と離陸用の滑走路とあり得ますか。タッチしてそのまま飛んでいくんですよ。これが日常なんですよ、沖縄の。あり得ないですよ、離陸用だの着陸用だの。そんなの見たことないですよ、沖縄の訓練で。

 今、名護市長や稲嶺県知事を責めるのは簡単です。責めてますよ、私も。責めていますが、このことだけをするのは簡単ですけど、この時に私たちが問わなきゃいけないのは、沖縄県民が、私たちが稲嶺知事に対してあるいは名護市民が島袋市長に対して「安心して拒否しなさ」いと、「そのことで振興策がどうなってもあなたに責任を押しつけるようなことはしない」と、「誇りを持って堂々と切られてきなさい」というメッセージを県民が県知事に対して送ることができていない。

 もう一つのことが、8000人の海兵隊員のグアム移転ですね。沖縄に今海兵隊員は12000名いるというふうになっています。米軍が県に対して出している資料では12000名。皆さん、考えてみてください。12000名いるという海兵隊のうち8000名というのは実戦部隊ではないというんですよ。後方支援とか司令部所属の部隊だっていうんですよ。12000名のうちの8000名の後方支援、司令部つきの海兵隊員が本当に沖縄にいるんでしょうか? 私はいないと思いますよ。

 「具体的な、もっと正確な数字を出せ」と言ったら「軍事機密」と言うんですよ、向こうは。都合悪くなると全部「軍事機密」というんです。たぶん後方支援部隊は8000名もいないはずです。沖縄に。私たちの実感としては。返還されるといわれている基地は、閑古鳥(かんこどり)が鳴いていますよ,普段は。米兵の姿、見れないです。

 だから基地の中でタクシー強盗が起きるんです、誰もいないから。米兵がいっぱい歩いている基地の中だったらタクシー強盗さすがにできないでしょ、普通。基地の中でタクシー強盗ができるってことは、誰もいないからです。そんな基地がいくつか集まって8000人の人を集めれるなんて私は思わない。

 でも検証できないもんだから、8000名もの兵士をグアムに移転するよ、ものすごい負担軽減でしょというふうに言うわけです。おまけに8000名とその家族あわせて17000名がグアムに移転するのだから、そのための費用全部あわせて約3兆円、皆さんの税金で出しなさいよと。どんなに福祉がカットされて、どんなに消費税が上がろうとも日本国民は文句言わないはずだから、防衛のために必要といったら文句言わないはずだから3兆円出しなさいよというのが今回のプログラムです。実態としてはおそらくないんだと思います。そんなに。ですから、本当に負担軽減というのはない。


 完全非暴力の闘い

 平澤(ピョンテク)は第2次大戦のときに日本軍が強制収用した場所です。その時に住民は、排除されて追い出されて、この日本軍の基地の外に住まわさせられた。そして第2次大戦が終わって、朝鮮戦争や何やらの時にまた米軍が来てさらに米軍基地を拡張するといって住民はもう一度、二度目に追い出された。今の基地は。で、今度米軍再編で今ある基地が3倍の面積になろうとしている。住民は出て行けということをやろうとしているのが今のピョンテクです。

 この間5月4日からずっと第4回目の強制収用が行われているんですが、約500名の住民に対して、農民たちに対して、6000名、7000名の国軍と機動隊が出動して住民を襲い続けている。本当に襲い続けているんです。私たちが把握しているだけでも100名以上の人たちが病院に担ぎ込まれました。骨折とか流血とかで何針も縫わなければいけないような怪我で病院に担ぎ込まれました。

 ですから私たちは、辺野古の問題に矮小化(わいしょうか)してはいけないんです。岩国の問題に矮小化してはいけないんです。それぞれの各地域の問題に矮小化してはだめなんです。本当にアメリカの世界戦略、この中の一つ一つとして辺野古があり岩国があり、一つ一つがあるという、これをそれぞれの地域、そこには住んでいないけれどもこれをまずいと思っている人たちが、皆が本当にしっかりとしたネットワークを持って止めていけるかどうかというのが、この後の世界をどういうふうにしていくかということの本当に分岐点になっている。

 もう一つは、それだけでは止めれないんです。本気でない人が何万人集まっても止めれないんです。悲しいかな。本気でない人が1万人いるより本気の人が3人いたほうが止めれるんです。実態としては。

 完全非暴力でこの闘いを闘っていくという、そのことを皆に決意してほしい。私たちがやろうとしているのは、暴力のさいたるものである戦争を拒否するという行動なんです。暴力を拒否しようとする者たちが暴力を使って自分たちの主義主張を通した時に、軍隊とどこが違うんですか。同じです。意地でも暴力を使わない。彼らと同じ手段を使わない。逆に向こうにいる人たちを巻き込んでしまうくらいに非暴力でやり通す。このことをやってみませんか。

 その人たちと散々議論するのはこの非暴力のことです。辺野古の状況と違うんですよ。辺野古は確かに私たちは殴られましたよ、沈められましたよ、多くの者が怪我しましたよ、しかし韓国で起きている現実に比べれば遥かにやさしいんです。国軍が襲いかかってくるんですから。その中で非暴力を通すということは本当に現実的なことなのかということを彼らは真剣に私たちに問うてきます。

 この間5月4日、5日の映像を見たら、彼らは竹の棒を持って機動隊や国軍に対して殴り返しています。でもその中で、映像とか、写真とか映像が送られてくる中で、私はものすごく痛いシーンをいくつも発見しました。何か、沖縄を訪れ、辺野古を訪れ非暴力なんてできない、現実的ではないと私たちにどなってきたその人たちが、武器を持たないでピョンテクで軍隊に殴られ続けている映像です。非暴力を貫いているんです、彼らは。

私は、うろたえました。彼らに対して非暴力を伝えて良かったんだろうか。自分は殴られていないのに今、去年は殴られましたけれど、今は殴られていないのに本当に軍隊から殴られるその現実に帰って行く彼らに非暴力を問うた、本当にそんなことをして良かったんだろうかとことを苦しみました。その映像を見ながら。だから簡単に言っているつもりはないです。もう他の誰にも非暴力を問えないんじゃないだろうかと悩みました。
それでもやっぱり皆さんに問いかけたい、呼びかけたい。この闘いは、非暴力で貫きたい。何があっても非暴力で貫きたい。絶対に軍隊と同じような次元では闘いたくない。どんなに殴られても、どんなに倒れても暴力は使わない。その線で、本当の平和を皆さん一緒に作っていく、そのことを今日ここで確認することができたらどんなに幸せだろうというふうに思います。

 自分たちのためじゃないです。世界の子供たちのために。絶対に諦(あきら)めてはならない、落ち込んでいる暇はない。そのことを決意して一緒に闘っていけたらと思っています。皆さんは一緒に闘っていただけるだろうと信じています。今日は本当にお会いできてうれしかったです。ありがとうございました。

(講演の一部を省略しました)