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『一坪反戦通信』
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 第176号(2006年3月28日発行)

韓国・平澤 

命の農地に基地はいらない!

 韓国で米軍基地拡張に反対する京畿道平澤(ピョンテク)住民の闘いが続いている。

 そもそも平澤市ペンソン地区に基地が出来たのは1941年。住民は日本軍基地建設のために強制動員させられ、土地を奪われた。

 1945年解放後には米軍が接収、朝鮮戦争時に基地が拡張された。市のソンタン地区にも米軍基地が建設され、その後15回にわたって基地が拡張され続けた。 平澤はソウルから南西にあり、黄海の対岸には中国がある。米軍の再配置計画で、命を育む広大な農地が戦争のための基地にされようとしているのだ。

 昨年11月、韓国政府、韓国土地公社・中央土地収用委員会は住民の反対にもかかわらず基地建設のための土地強制収用を決定した。住民は直ちに異議申し立てを行い、土地公社の評価員が地元で測量しようとすると、それを実力で阻止する闘いが続き、結局地元に入れず航空写真による「物件調査」を実施した有様。

 住民対策委のキム・ジテ委員長は「地元の調査もせず土地評価などとは、土地公社そのものが問題」と強く批判した。

 一方、韓国の文化財委員会は2月13日、基地拡張予定地の3箇所で文化財の発掘調査を行うことを発表し、「基地拡張の遅延が予想される」(ハンギョレ新聞)。文化財庁は2005年7月に「韓米文化財保護合意書」を締結、SOFA(韓米駐屯軍地位協定)傘下の「文化財保護分科委員会」の合意により、12月には「在韓米軍基地内の文化財調査及び保護のための手続き等に関する勧告文」を作成。文化財庁は「文化財の死角地帯となっていた米軍基地内の文化財を体系的に調査できる」としている。昨年も高麗時代の硬質土器など文化財が確認されている。

 また、天然記念物文科委員会でもこの地域にコノハミミズクのような17種の保護鳥類が生息しているので、生態調査を行うこととしている。

 しかし、韓国の国防施設本部は住民に対し文書で、「この地域は在韓米軍に供与予定地となっているため、営農行為は禁止」、「空家への立入禁止」と通告、違反には「懲役や罰金」を課すとした。

 春の本格的な田植え期に入り、田畑を耕すこと自体が闘いとなっている。住民は毎日昼間に農作業、夜にはろうそく集会を続けている。全国からの支援の人たちも駆けつけている。2月には文化人50人が芸術活動に入り、壁画を描き、夜にはコンサート。2月12日には約3千人が「第3次平和大行進」を行い、「営農は戦争という暴力に反対する平和の実践」だと強くアピールした。また、町の住民約500人も集会に合流し「政府の進める〈国際化都市の開発〉とは米軍の娯楽施設拡張。村人と力を合わせて闘う」とした。

 本格的な営農準備に入り、24日に「営農開始式」を行い稲床が準備された。

 このような状況に「危惧」した韓国国防部は、3月6日早朝、警察を動員して強制代執行に乗りだした。住民と支援者は活動の拠点・旧大秋小学校分校(廃校)を守るため、校門に体を鎖で結びつけ、頑強に抵抗した。午後には労働者部隊も到着し、約1千人の警察と対峙した。人々の命がけの闘いにより夕方になって警察は撤収し、執行は一旦阻止した。

 しかし、3月16日国防部は警察やヤクザにフォーククレーンなどの重機械まで動員して、田んぼのあぜ道を掘り返す作業を始めた。道のあちこちに2m以上の穴を掘り、営農機械を入れなくしようとするもの。この「強制執行」は、命令書の提示など行政手続も無視したまま行われた。住民や駆けつけた支援者たちは、田んぼで泥まみれになりながら作業の中断を要求。フォークレーンにぶら下がり、泥の中にのた打ち回って抵抗した。この中で70歳代の住民が失神して救急車で運ばれ、約40人が連行された。

 3月17日、ソウル中心部の光化門前では緊急集会が開かれ、145の市民社会団体が抗議声明を発表。連行された人たちは釈放されたが、人権運動サランバンなど2人が逮捕された。平澤のペンソン地区現地では、このような農地破壊攻撃にもかかわらず、現在トラクターで農耕作業をどんどん行っている。春休みに入り、援農の学生も駆けつけている。

 韓国でも春はしっかり芽吹いている。
(3月24日「日韓民衆連帯全国ネットワーク」K記)