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沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック
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 第175号(2006年2月28日発行)

沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック 

2006年度総会(2006年2月19日)

記念講演

質疑応答



質問:
 文化財保護法69条でジュゴンは昭和47年5月15日天然記念物に指定され、既に30数年経つ。ジュゴンの保全策として同法81条で、文化庁長官が自然保護区の指定をすることもできるが、今日までその保護区の設定はされてない。これは、行政の怠慢と言わざるを得ないが、日本の法律にはそういう行政の怠慢を訴訟に訴える手段がない。例えばアメリカの種の保存法を使えば可能かと思うが、行政を動かして保護区の設定をするために、現在東恩納さんが取り組まれている行政への説得その他についてお話ください。

東恩納:
 私たちは、当初から保護区を作っていきたいということで陳情にも行ってきたんですが、当初、環境省などは、30年前から文化財に指定されていながら、文化庁もそうですけど、知見がないと言ってたんです。要するに知らないものは調査もできないということでした。それから、保護団体が色んな形で活動していく中で環境省も動かざるを得なくなってきて、ジュゴンの3年間広域調査みたいなものをやっている。今その結果が出た中で重要だということは言っているが、その後の進展はまだないです。

 もう一つ先ほどいったアメリカの種の保存法ですけど、種の保存法にジュゴンは指定されています。ですからアメリカでもその種の保存法を使って訴えることもできます。ただ、アメリカの弁護士・保護団体側が、ブッシュ政権下で今訴えれば基地を建設するのに対して適用除外という、アメリカで今まで保護団体が一生懸命作り上げた種の保存法が変えられてしまうので、今は待ってくれということで、別の法律を使って訴えるということで出たのがアメリカの国家歴史遺産保護法です。要するにそれは文化を守っていこうという法律。その文化を守るという法律に対して、ブッシュだってそれにいちゃもんつけることはできないだろうとアメリカの保護団体が言っていました。それにいちゃもんをつければお前は野蛮人だといわれる。現在のところはその文化財保護法で対応していこうと。勿論数年後、ブッシュがいなくなれば、次の手段としてアメリカの種の保存法も考えていこうということで進めています。

花輪:
 確かにジュゴンは天然記念物なんですが、種の指定なんですね。ジュゴンという生き物が天然記念物なのでこれを故意に捕まえてはいけないということだけで、棲息場所に関する保護策は何もないんです。ですから、ジュゴンの棲息する海でボーリングしようが何しようが文化財保護法違反にはならないという、まああきれた話なんですけど、文化庁はそういう解釈なんですね。

 で、環境省のほうはどうかというと、実は種の保存法という法律が10数年前にできたときに、環境庁と水産庁の間でジュゴンは種の保存法の適用除外という約束がされているんですね。ジュゴンとは書いてないんですけど、事故で魚網に絡まる生き物は環境庁は扱わない。すなわちジュゴンとか、ジュゴンより実はアザラシなんですね、アザラシとかイルカとかそういった水産資源で網に引っ掛かるものは水産庁が扱うんだ、環境庁は関係ないんだ、そういう取り決めがあったんで環境省は一切ジュゴンには手を触れてこなかった。

 ところが、辺野古の基地問題が出てきてジュゴンに悪影響が及ぶというのが明らかになったときに、国会でこれが議論されて、時の農水大臣谷津義男さん、この方がじゃあ水産庁から環境省に移しなさいと決断したんで環境省に移ったんですね。鳥獣法で扱えるようになった。実は水産庁としては大喜びだったんです。こんな厄介なジュゴンなんて生き物いらないやと思っていたところを環境省に持っていけ。その時に私谷津大臣と環境副大臣に会ったんですけど、農水省も大喜び、皆後ろにいる官僚もにこにこしながら話をするんですね。厄介払いをしたと。環境省に行ったら副大臣も周りの官僚もいやな顔をしていてね、これからどうしようと困っていたんですね。でも環境省は腹をくくって鳥獣法でちゃんと位置づけて棲息環境の調査をやりますと、やれることはやり始めた、だが権限が余りにも小さすぎる。アセスメントの権限もこれからどうなるか極めて心配と、こんな状態にあります。

 その中でどうやって保護区を作っていくのかというと、やっぱり地域住民の方々の、ここは開発じゃなくて保護区にして教育なり観光なりに使っていくんだという、そういうのが地域の住民の世論になっていくこと、それを地方議会が取り上げていくこと、そしてそれに国が協力する。こういう段階にならないと中々保護区までいかないですね。環境省のほうは最初から保護区にしようなんていう気持ちを持つと周り中からよってたかってつぶされます。今度は防衛庁からつぶされるでしょうし、普通は農水省とか国土交通省のほうからそんなことは止めてくれとアンダーグラウンドで圧力がかかるわけですね。そういう圧力をどうやって切り抜けて保護区にしていくのかというのが、かなり政治的な力量が要求されるんだろうと思います。


質問:
 二見以北十区の会が活動をまた始めたという経緯についてお願いします。

東恩納:
 真っ先にそのことを言うべきでした。また再開することになりました。というのは、一つとしては今回は沿岸案ということで、その沿岸案というのは、行った人はご存知だと思うんですけど、大浦湾にせり出す形で、その大浦湾の「クチ」と呼ばれている、―ようするに潮が流れているその入り口、サンゴ礁の割れ目なんですけど―、そこを埋める、せき止めるような格好で埋め立てが始まるということです。

 これまでは辺野古の沖を埋めるということであったわけです。漁師仲間としては縄張り意識があるわけ、あれは辺野古の海人の問題だと。確かに埋めて欲しくはないんだけど、辺野古の海人が言うべきことで私たちが言うことではないというようなこともありまして、汀間(てぃま)の海人、二見以北に漁港があるんですけど、そこの漁師さんたちは口を出さなかったんですね。

 ただし今回の沿岸案という形になった場合は、目の前が俺たちの漁域だということでその海人たちが立ち上がったんです。二見以北にある汀間漁港所属の人たちは本当に海で生計を立てている人たちなんです。息子も漁を継いでいるんですね。そういう立場の人たちが本当に自分たちは本気になってこの海の埋立てはさせないと立ち上がったわけです。

 それで、自分たちは、十区の会はどうしていくんだと。そうやって海人が立ち上がっているのに今までのようなことでいいのかということも一つありました。勿論これまで十区の会で何もしていなかったのかというと、そうじゃなくて、やっぱり辺野古がメインだったんで皆それぞれ辺野古に行って、応援というか取り組みをしてきたわけです。ただし今回、大浦湾という形になったものですから、もう一度十区の会というか、地元から声を出していこうと。別に地元にこだわることはないんですけど、何故そういうふうに言わざるを得ないかというと、政府は今まで辺野古、豊原、久志を地元3区だと言い続けてきて、その地域の言うことしか聞かない、地域の区長さんの言うことしか聞かないということを言ってきたわけです。今回は大浦湾という形になったわけで、そういうことを言わさせないぞという意味もありまして、二見以北十区の会でもう一度声を出していこうと立ち上げました。

 そういう中で、選挙というのもあったんですけど、地元の人たちは選挙に対しても今度こそ勝ちたいという思いがありまして、汀間の漁師さんたちも応援していくということもあったわけです。

 ここで選挙の話をしていいのかどうか……。僕の思いとして聞いてください。

 今回の名護市長選挙は三つ巴になったわけなんです。選挙をするために私たちは運動をしてきたわけではないんです。選挙で勝ったってこの問題は続くんです。選挙でこの問題が解決するとは誰も思っていないんです。ただ、選挙も一つのステップである、負ける選挙よりは勝つ選挙を選びたいということだけだったんです。それで、とにかく地元といわれている私たちが、選挙の時に何も声を出さなくて、選挙を終わった後に俺たちは地元だということは言えないわけです。3人の候補者とも沿岸案に対して反対しているわけですから、そういう意味でどちらでも良かったのかもしれないんですけど、私たちは黙っているというよりもやっぱり主張していこうということでやってきました。勿論選挙で止まるということは考えていない、選挙はただのステップであるという中で取り組んでいこうと。だったらやっぱり皆が協力できる人という意味合いを込めています。

 もう一つは、私たちは反対してきた、基地はいらないということを言ってきたんです。いらないということを伝えるためには、賛成している人たちがこちら側のことを聞いてくれないといけないのも事実です。その人たちがこちらに来ることが多くなるわけです、現実的には。確かに住民投票の時には割れました。割れて向こう側で賛成に投じた人でもこの10年間やっていく中で変わってきたということは、私たちの運動がプラスなんです。私たちの運動の結果であって、プラスであって決して非難する材料ではないはずなんだということも私たちは思いながら、そういう人たちと、確かにあの時は誘致派・賛成派だったかもしれんけど、やっぱり今考えるとあれはおかしいと言ってくれる人たち、そういう人たちに広げていかないとこの運動は続かないし、そういう意味で今回やってきたわけです。それは十区としての主張でもありました。十区という小さな部落には現実に誘致派もいます。でも、その人たちとも一緒にやっていかなければいけない。その人たちにこれは危険なものである、これはいらないものであるということを伝えるための手段であって、選挙の手段ではないわけなんですね。その人たちと一緒にやっていくということもあって十区の会も立ち上げてきました。


質問:
 沖縄は米軍再編の最前線だが、諸悪の根源は永田町霞ヶ関にあり、私たちはその現地住民。私たちには、まだまだできることが一杯あるはずです。そこで、皆私のような戦中体験者の女性ばかりなんですが、少人数で財務省に申入れを続けています。私たち一人ひとりまだまだできることなすべきことが山とあります。皆でこの震源地に揺さぶりをかけていこうではありませんか。

東恩納:
 いやなものはいや、ノーはノーなんです。それをいかに広げていくかということだと思います。本当に。そんなに自分も続けられるかどうかわからないですけど、でもこうやって皆さんと一緒に話をする中でだんだん僕も成長させられてきたと思いますし、ぜひそれを貫いていきたいと思っています。


質問:
 環境のことをやっている若い人たちに呼びかけて、もっとカヌー隊とかを大規模編成していったらいいと思うんです。具体的にカヌー隊をどうやって育てたのか、もうちょっとはっきり見えてくると皆に呼びかけしやすいのですが。

東恩納:
 最初からカヌー隊があったわけではなくて、私たちは、04年ですか、海上行動があるだろうとその1年前からカヌーオーナーを募集してきました。カヌーで阻止するんだということと、カヌーを使って環境学習をしていくということで集めてきました。そして毎週土曜日、朝9時からカヌー教室をやってきたわけなんです。それをやっている中でこの問題、結局海上まで行って、本当はやりたくはなかったんですけど、そういう結果になって、それでその時に集まった人たち、最初に集まったというのは5、6人、10人はいなかったと思うんですけど、最初の日はですね、そうやって海に行って、漕ぐのもやっとの感じでやってきた中で、この運動、海上行動が始まったわけなんです。

 今はご存知のとおり(カヌー教室は)終わってしまっているわけですが、やっぱり元の原点に戻ってやっていこうということで、毎週土曜日にまた始めています。大浦湾の瀬嵩のほうで9時からやっています。そして地元の人たち、近くに名護には名桜大学という大学もあるんで、そういう所と土曜日ちょっと顔を見に来てくれよという形でカヌーに乗ってもらうという取り組みを、カヌー教室という形で取り組んでいます。
 その中で、やっぱり現実にそこに来るとですね、基地が見えるんですよ。だから、本当に名護の市街地に住んでいる人たちもまだ中々来ないという、知らないということもあったんで、本当に僕も愕然としたんですけど、やっぱりカヌーを通して気軽にできる教室みたいなものはこれからも続けていくし、その中からそういう阻止行動まで続けていきたいなと思ってはいます。でも、次は海ではないです、皆さん。次は特措法が待っているんです。


質問:
 3つの区で区長さんが反対の決議をするという記事を読んだことがあるんですが、その決議はなされたんでしょうか。そのことと、今後の展望みたいなことを少し、これからどうなっていく、特措法が一番山だってお話でしたけどその辺の見通し、そういうふうなことが何時ごろ起こりそうか教えてください。

東恩納:
 3区、豊原・久志・辺野古の区長さんは、確かに今のところ沿岸案に対しては反対しています。これは名護市長も同じで、反対はしています。ただ本当は一抹の不安がある。最初から反対をしてきた人でないということもありますし、いずれは妥協するんではないのかという気はします。どこでそれが変わっていくのかは、まだ見通しはわかりませんけど、再編の中で3月には最終報告が出ると思います。でも、最終報告が出てすぐやるかということも、今のところ特措法をやるとははっきり言っていませんし、まだ時間はあると思います。正念場は11月の知事選挙なのかもしれない。でもそれは予測で、いつ何があるかわからないです。

 唯一ついえることは、海から始まるということはもうないんですね。というのは、沿岸案というのは、まずキャンプシュワブの兵舎を壊して娯楽施設を壊して、それを真平にして滑走路の一部にするわけなんです。壊す前にまず代わりの兵舎を作らなくてはいけない。キャンプシュワブの中にまず代わりの兵舎を作って、それから古い兵舎を壊して真平らにして、で、その後海に行くという。これは土木をやった人は誰でもわかることですが、それから始まるということを考えれば、まずは陸から始まるということだと思います。

 陸でやる場合は、座り込みを陸でするしかないわけなんですけど、じゃあ身を挺してまで座れるかという、同じように座っていけるか。同じように陸でも座って阻止するんだという大義名分を私たちはこれから作っていかなければいけない。それは国連の場だと思うんです。国連でもそう言っているじゃないかということです。確かに環境問題もあります、陸のどこをつぶすんだと。でも、まず施設の中ですから、そんなに環境問題がクローズアップされることはない。そういう意味で、アメリカの裁判も続いているし、もう一つ国連の場でもこの問題が議論されている、だから私たちは身を挺して座るというふうにならないと負けてしまうんではないのかなと思います。

 もう一つですけど、僕は、1960年代の、皆さんの安保闘争がまだ続いているんだと思うんです。あの安保闘争を思い出して、定年した方々が全員、全国の人たちが沖縄にくればこれは止まると思います。簡単に言えばです。僕は4人の子供もいますから、座り込みをして捕まっているわけにはいかないんです。そういう意味ではもし特措法まで国が考えてやるというんだったら、定年した方々、1966年のあの思いをもう一度花咲かすんだということでですね、全国の人が沖縄に来てください、そうして座ったら絶対に作れません。そういうこともやっていけたらもっといいんじゃないかなと思っています。そんなことを言っていいのかな…。

質問:
 特措法を出させない取り組みの一つとして国連の場に提訴していきたいということでしたが、それが3月か4月に始まるんですか、もう少し具体的な計画を。もう一つ、遺跡については、その後どういうふうになっているのか、またはどういう取り組みをされようとしているのか。

東恩納:
 遺跡は確かにあります。専門家の人たちから聞いても結果的に遺跡は残すことはないだろうと。遺跡調査をするとは言っています。でも、その遺跡を残して保護するか、そこまで国はやらないだろうというのが見通しです。ですから、多少遺跡があるということで長引くかもしれんけど、それがあって止まることはないと思っています。

 そういうふうに考えると、とにかく今やれることは特措法を出させないような取り組みを、運動でそういう力を見せることだと思っています。3月の末から4月にかけて国連の人権委員会がジュネーブで行われます、その中で問題を取り上げていきたい。人権委員会の中で沖縄にこれだけ集中させることは人種差別じゃないかという勧告も出ています。そういう疑いもあるということなんですけど、それに対して国はレポートを書かなければいけないんです。そのレポートを書くための準備も始まっていて、3月の第2週目に人権委員会のNGOたちの集まりを、国が、どこの省庁なのかわからないけど、東京でやることになっています。具体的な日にちがわかったらお伝えします。参加してみてください。勧告に対して国は報告をしなければいけない。

 さっきも言ったように、特措法というのは沖縄でもう二度もされているわけですね。全国に当てはまることだと言いながら、実際は沖縄にしか当てはまらないことです。これは誰がみてもわかることで、そこまでやるんだったら国連だって動くぞというようなことを、今言わないと、作ってしまえば国はそれを通すだろうし。だから今が一番いいタイミングだろうと思っています。それは特措法を作らせないことにも繋がると思います。勿論これは決定打ではありません。行ったからってそれで止めることにはならないと思います。やっぱり最後は本当に全国の人が集まること、その状況を生み出せば国は手出しできない。そういう状況を作りたいと思っています。

質問:
 今全国で基地を反対している市長や団体が多い、知事も反対している。沖縄が先頭に立って基地反対の全国基地反対の闘争を展開したらいかがか。もし始まるならば、もし組織が作れるならばお手伝いしたい。


東恩納:
 今沖縄では、頭ごなしにアメリカと日本政府が決めて沖縄に押し付けるというのに対して、沖縄島ぐるみ運動ということで、復帰運動のときにやったようなことをやろうという声がすでにあがっています。ですからそういう意味では、本当に心強い年配者の方がいるということは感じていますし、ぜひそういう人たちがもう一度返り咲いてほしいなと思います。

 ただ60年・70年代のヘルメットをかぶってマスクをするような闘争をするということではないんです。今まで辺野古でやってきたことは、本当にただ座っていて肩より上に手を上げない、それも伊江島の阿波根さんの教えというか、その運動を学んできた。皆がいろいろ学んだ、学びあって一番いいものをやっていくということです。

 必ず来なきゃいけないというのじゃなくて、楽しみながら沖縄に来てほしいなあと。こんなことを言ってもいいのかわかんないんですけど、とにかく楽しんで来ていただきたいと。決して血なまぐさい話じゃない、痛い思いをするんじゃなくて座ってるだけでいいんだということで、考えてください。


質問:
 3月5日の県民大会とか、沖縄の最近の雰囲気は?

東恩納:
 3月5日に沖縄で県民総決起大会があります。本当に万余の人が集まっていきたいなという取り組みで、今、各支部というか、それぞれ市民団体が実行していこうということで、それぞれの実行委員会が、小さい実行委員会もあれば大きい実行委員会もあるんですけど、それぞれの場で集まってそれぞれで運動を広げていくために色々と話をしています。小さい団体も何ができるかということで、今取り組んでいます。できればもっともっと広げていけたらいいと思いますけど、でも僕はまあそれも一つのステップだと思いますし、ぜひこれに向けて取り組んで大きい輪を作っていければと思っています。

 私たちのほうでは汀間の海人、支部長がもう絶対だめだといっているんで、その人を発言させたいなと考えているんですけど、実際どうなるのかわからない、色んな人たちの団体のやり方がありますので。でも私たちはその人に発言をさせたいと、でその人の発言を聞きに行きたいというようなことでやっています。どうなるかわかりません。

 3月5日が終わったら、3月11日は東京、3月12日は沖縄でジュゴンのシンポジウムがあります。海外から学んでいこうということで、実際に保護をしている外国の方も交えて具体的なことを取り組んでいけたらいい、具体的なことを話し取り組んでいけたらいいと思っていますし、そういうことを一つのステップとして保護区に向けていきたいと思っています。

 やっぱり保護区にしろという陳情とか、県とか国とかそういうところに言うだけではなくて、実際にここは私たちの保護区だと、自主ルールを作って私たちはここを守っていくというようなことをしないと県・国は動かないと思います。そういう自主ルール作りのシンポジウムにもなればと思っていますし、現実に私たちはここを自主ルールを作って守っていくんだという宣言をしていきたいと思っています。

 で、先ほども花輪さんから話があったように、大浦湾の海底マップを作っていく、ここにはこんな生き物がいるんだということを公にしていくということも考えていますし、そうすることでその大浦湾に行ってみたいという人たちがいると思うし、そこにいろんな人たちが来てほしいと思っています。沖縄は西海岸が観光リゾート地で、西海岸に行く人は多いかもしれないけど、東海岸に来る人は確かに少ない。そこに政府が目をつけたんだと思います。

 だったらやっぱりここを、ジュゴンの棲むすばらしい海があるんだということを私たちが宣伝していくことも一つの道だと思っていますし、そのことも考えながらシンポジウムを行っていきたいと思いますので、ぜひ3月11日は東京でありますのでおいでください。で、もう少し暖かくなったら沖縄にも来て大浦湾を見にきてください。