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沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック
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『一坪反戦通信』
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 第175号(2006年2月28日発行)

沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック 

2006年度総会(2006年2月19日)

記念講演

東恩納琢磨さん



 こんにちは。名護から来ました。今日は名護の辺野古の浜でピースコンサートがあるんです。東京のほうが寒いかなと思ったら東京のほうが暖かいみたいで、僕が緊張しているからそう感じるのかもしれませんね。僕がしゃべるよりも皆さんのほうがご存知だと思うんですけど、これまでやってきた中で思ったことを少しお話したいと思います。

500日の座り込みで断念に

 ご存知のとおり97年、名護市は住民投票をしました。そこできっぱり基地反対の民意を示したわけなんです。それも今考えてみると皆さんの支援があったおかげで、皆さんから色々なことを学んできました。住民投票もそうですし、その後の闘いも。

 実は僕は闘いという言葉はあまり好きではないのですが、例えば佐世保でヨットで阻止するというグループの話を聞いて、じゃあ今度もし強行にやってくるのであれば自分たちはカヌーで阻止しようということを考えました。ヨットとかカヌーというのは、エンジン、動力が付いていないので海上保安庁もそんな簡単には口出しができないということも学びました。そこでカヌーオーナーを募って、カヌーを現実に海に浮かべて阻止するという、それを想定してやったわけじゃなくて、そこまではやりたくはなかったんですが、現実にやり通すことができました。500日近い海と陸との座り込みの中で、海上案を断念に追い込んできたけれども、やっぱりこれも市民運動の学習の結果だと思います。

 ただこれから先は、今までの海上ではなく陸から(国は)進めていくだろうと。その手段の一つとして国は特措法を準備しています。要するに県知事の許認可事項を国が奪うということです。これが初めてではなくて、沖縄の場合は土地収用法がありました。今回で2度目です。しかもこの2度目の特措法も沖縄にしか当てはまらない法律だと僕は思っています。それを踏まえて私たちは何をしていくのか考えていく必要があると思います。これまで学習してきたことにプラスアルファーしていける部分があるのではないかと思っています。

アメリカでの裁判

 そこで一つ出てきたのが、アメリカの保護団体と一緒になって、この問題に取り組んでいこうという方向です。ご存知の方もいると思いますが、今アメリカの保護団体と一緒になってアメリカで裁判を行っています。勿論最初からアメリカで裁判を起こそうという話までは行かなかったのです。色んな人たちの声とか思いを共有していく一つのシンボルとして「ジュゴンを守っていこう」ということを考えてきました。

 ジュゴンを守るために私たちは文化庁に行ったんです。ところがその文化庁がボーリングに対して、ジュゴンに影響がないと言うわけです。私たちが、そんなことをすればジュゴンは来れなくなると言っていることに対して、文化庁は「ジュゴンに直接触れているわけでもない。ジュゴンを殺しているわけではないから文化財保護法に触れないんだ」というようなことを言っています。

 その中で、当事者はアメリカでもあるわけですから、アメリカで訴えていこうということになったわけです。アメリカにも同じような法律がありました。アメリカでは国家歴史遺産保護法という法律なんです。その法律は、アメリカにはインディアンを虐げた歴史があります。その歴史のなかで、インディアンの文化財を、文化を保護していこうと生まれた法律らしいのですが、その法律の中に、他国が文化財と認めているものに対してアメリカが影響を及ぼす行為があればアメリカで裁判できると謳ってあるんです。まさに辺野古に基地を造るということは、彼らが使用する基地ですからアメリカは当事者です。そういうことで今アメリカで裁判が行われています。

 当初は門前払いされるだろうという危惧もありました。日本では前例のないことは門前払いされるのが当たり前なんです。アメリカの弁護士はそれに対して、「前例のない裁判だから私たちは真剣に取り組んでいかなければいけない、私たちが道を創るんだ」ということで精力的に取り組んでいます。アメリカの国防省が裁判に対して、「日本政府がお金を出して日本政府が作るものだからアメリカは関与していない。ジュゴンというのは動物であり文化財ではない、門前払いをしろ」と言ってきました。それに対してアメリカの裁判官は「そうではない、使うのはアメリカ政府であり、この問題は1966年すでにアメリカ政府が計画していたものである。アメリカ政府は当事者である」と。またジュゴンは文化財ではないということに対しても、「世界遺産を作る時もアメリカの国家遺産法がモデルになった。それをアメリカ人は誇りにしている。世界遺産は今や自然も含まれている。だからそういう意味でもジュゴンは含まれるんだ」ということで、今、実質裁判が行われています。

 この裁判の最中も私たちは闘争してきました。やっぱり私たちに大義名分があるからです。だから私たちは辺野古で体を張ってでも止めることができた。そういう繋がりの中で座り込み、海上闘争ができたのだと思いますし、それぞれの側面からの攻撃があって500日近い取り組みもできたと思います。そういうことをやりながら広げていくことができたと思います。

当初から図面は書かれていた

 海上案というのが無くなって、今現在は沿岸案に変わってきています。要するに環境に配慮している、縮小しているということがあるんだろうと思います。アメリカの裁判が今も続いていますから、裁判に対してもそういうふうに環境に配慮して小さくしたということをこれから言うと思っています。今アメリカのほうでは、何で沿岸案に移ってきたのかということの証拠を出しなさいということで、アメリカの弁護士が国防省に証拠を出すように言っている最中です。

 確かに日本政府がアメリカの言うことに妥協しないで陸上といってきた。その妥協の産物が沿岸案になったといっているが、実はそうじゃあないと私たち監視団は思っているんですね。あれは実は当初から描いてきた図面であると。何も沖縄の負担を軽減するとか沖縄の環境に配慮するとかではなく、最初から描いてきたものだということで、アメリカに「沿岸案になったいきさつをちゃんと公開しろ」ということで今公開させるようにしています。

 なぜ私たちはそう考えているかというと、1966年に同じような図面が描かれていたわけなんですね。1966年といいますと冷戦の真只中です。ですから米軍にとってみれば、軍隊にとってみれば、基地はいくらでも欲しい時代であった。どんな計画でも立てて要求できたわけです。しかしその時にお金を出すのはアメリカだった。1966年といいますと沖縄はもちろん復帰していませんからアメリカの統治下です。ですからアメリカの会計検査院が、費用対効果が無いといって認めず、計画はそのままになっていたんです。

 そういうことを考えると、あの時でさえできなかった計画を何で今作る必要があるのか、ましてやジュゴンの住むような海を潰して作る必要が本当にあるのかということを、裁判の中で明るみに出して、決してこれは沖縄のことを思ってとか、沖縄の負担を軽減することではなくて当初からあったものであるということを立証させていきたいと考えています。

 何故かというと、沖縄の負担を軽減するということで、これまでも本土に基地が移転され、演習場が移転されていきました。結果的には沖縄の負担軽減ではなくて、基地を拡大するための手段に使われただけなんです、沖縄が。ですからまた同じことはさせるわけにいかないわけです。そういう意味でもあの計画は決して沖縄の負担を軽減するわけではないんだということを、公の場で、公の資料で暴いていきたいということで今やっています。沿岸案に対しても勿論裁判は続けていくつもりです。

 アメリカの保護団体側は、埋め立てること自体ジュゴンに影響がないということは絶対にいえないと。日本の場合は確かに規模を縮小して環境に配慮しますといって作るかもしれませんが、アメリカの場合は決してそういうことにはならないだろう、埋めること自体が悪いわけで、ジュゴンに影響があるわけで、それを縮小したからといってそれは影響がないということにはならないはずだからこの裁判は続行する意義があるし、その中でアメリカの国防省から色んな資料を出させていくということでやっていきたいと言っています。まだまだ時間はかかるんですけど、それを一方で続けながら、取り組んでいきたい。


沖縄差別を国連で訴える

 今年の3月には、日本のほうでは特措法も考えているわけです。3月以後、新たな基地を押しつけるということになってくると強攻策に出るかもしれないという思いながら、それまで何もしないで待つかというとそういうことではなく、日本が特措法を出さないような取り組みを今から始めなければいけないと考えています。

 その一つとして、国連にこの問題を訴えていこうということを今考えています。それは何故かというと、日本の面積の0.6%も満たない沖縄に75%の基地を集中させることは、これは差別以外の何物ではないんだということを国連の場で訴えていきたいと思っています。今度国連の人権委員会からレポートが出ました。勿論沖縄の問題だけではなくて、人種差別の問題として日本にはその問題があるんではないのかという勧告が出ていて、沖縄の問題だけではなくて、アイヌ民族の問題、韓国の問題、部落の問題の4つが挙げられています。そういうことを道具にしながらこの問題を国連の場で訴えていく、そうすることでマスコミもちょっとは注目してくれるのではないかなと思っています。

 こんなに長い闘いをしていても殆ど中央のマスコミは取り上げてくれないのが現実です。特に読売新聞なんかはひどい話で、稲嶺県知事の受け入れ表明だけは大々的に一面トップで載せたんですけど、地元でこうやって運動していることは一切載せない。それどころか社説かなんかでは、産経でしたか、一部の過激派が運動しているみたいなことしか書かないわけですね。それに対して、やっぱり違うんだぞというような思いも込めてこの問題を国連の場で訴えていきたいと思っています。そしてマスコミの方々にも、この問題を本当に誠実に捉えてほしいという気がします。遠く離れた沖縄の問題だからという風潮で、軽々しく取り上げるととんだ目にあうんだぞということを僕らは示していきたい。そう意味ではいいタイミングだと僕は思っています。

 何故かというと、日本政府は常任理事国になりたいわけなんですね。それに対して内部からこういうことを言うことは、痛い思いをするんじゃないかな、特に官僚なんかにとって見れば一番いやではないのかなと。このいやなことをやっていきたいなというのが僕の思いなんです。今年3月の末から4月にかけてあるのですが、それに向けて今取り組みをしています。

 それも自分たちだけで行けるわけではなくて、色々な方々の支援もなければ行けないし、資金面も確かに必要です。本当に行けるかどうかもまだわかっていなんですけど、今はとりあえず行くということで。国連の人権委員会は結構長いスパンで3週間ぐらいあるんですね。3週間行くわけには行かないので、僕らが思っていることを訴える場があるかどうかということを今調べてもらっています。その期間に行きたいと思っています。

 何故こういうことも考えたかというと、環境保護団体と運動を通して結びついた結果でもあるんです。環境保護団体がやってきたことは、白保の問題がありました。白保は世界に訴えることで、今現実に埋め立て案は潰しています。そういうことも私たちは学習しながら、そういう保護団体と結んでいって、今日はWWFの花輪さんもきていますけど、実は何年前だったか、一緒にアメリカに行ってきました。外国の会議というのは誰でも参加できるのですね。誰でも発言を認めてくれる、本当にオープンな会議で。日本の場合だと会議だというと大体シナリオが決まっていてそのとおり進むんですけど、外国でのそういう国際の場での会議というのは殆どシナリオは無いんですね。その場の発言によって変わっていく、それが本当の会議だと思うんですね。そういう会議の場に持っていくことでこの問題をクローズアップ、沖縄の問題を環境の問題からだけではなく人権の問題でクローズアップできるかなと思っています。


ジュゴン保護区を


 これまでの経験・学習、運動してきた皆さんの取り組みを生かしてこの運動をもっと広げていきたいなと。広げた結果、日本に初めてのジュゴンの保護区を辺野古に、大浦湾に、名護の東海岸に作っていく、そうすることができれば次のステップが生まれると思うんです。いつも、「しょうがないどうせ国のやることだから作られるんだろう」と言う者に対して、「違うんだ」と。いやなことはいやだと言えば必ず結果作られないということを、辺野古で、名護の東海岸で保護区ができれば、また他の違う地域にも波及していくと思います。

 今、米軍再編で色々な所に色々な問題が持ち上がってきています。でもそれに目を奪われずにまずは辺野古を潰してからだと思います。辺野古を潰すことで次のステップが生まれるし、辺野古を潰すことで今言われているようなことも全部潰れていくと思うんです。ですから今まで同様、辺野古に目を向けていただきたい。で、一緒にジュゴンの保護区を作って行きたいと思っていますのでよろしくお願いします。

 余り長いしゃべりはできないので、これから皆さんと一緒に質疑をしながらやっていきたいなと思います。今日はWWFの花輪さんも来ていますので少し今後の取り組みを後でお話していただきたいと思います。