軍用地を生活と生産の場に!
沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック
http://www.jca.apc.org/HHK
東京都千代田区三崎町2-2-13-502
電話:090- 3910-4140
FAX: 047-364-9632
郵便振替:00150-8-120796

『一坪反戦通信』
毎月1回 28日発行 一部200円 定期購読料 年2,000円
 第175号(2006年2月28日発行)

ひんぷん 

米軍再編「中間報告」の拒絶

 沖縄民衆の意思を示した「意見広告」運動

秋山 勝(沖縄平和市民連絡会事務局員・一坪反戦地主会会員)



○ 地元紙一面を埋め尽くした沖縄民衆の意思
 「米軍再編「中間報告」辺野古「沿岸案」を撤回せよ」一月十五日、『沖縄タイムス』『琉球新報』の一頁全面を埋めた個人・団体名の上に沖縄民衆の決意を示す大きな文字がくっきりと浮かび上がった。参加費千円を支払って「意見広告」に参加した沖縄県民(韓国・朝鮮人等在沖外国人を含む)の総数は四九八〇(個人四八六二人、団体一一八、うち紙面掲載は個人三五九一人、団体一一六)であった。上段は磯崎主佳氏作の名護市東海岸のイラストと、米軍再編「中間報告」を「私たちは拒否します」の意思表明、普天間基地閉鎖、辺野古新基地建設中止、騒音、演習・訓練等による生活環境破壊反対の要求が掲げられ、「県民大会・県民投票で沖縄県民の意思をはっきりと示そう!」と闘いの方向性がジュゴンのロゴマーク入りで示された。

○米軍再編「中間報告」と闘いの現状への危機感がきっかけ
 昨年十一月の半ばに開かれた沖縄平和市民連絡会と辺野古新基地建設を許さない市民共同行動との合同会議で、この「意見広告」運動の話しが持ち上がった。そこには会議参加者の共通の思いがあったように思う。それは、十月二十九日の日米両政府“合意”「日米同盟・未来のための変革」(米軍再編「中間報告」)によって、いったんは破綻した辺野古沖新基地建設計画を手直しし、再び辺野古崎沿岸に軍港を兼ね備えた新基地建設計画(「沿岸案」)を打ち出したことに対する強い怒りであった。同時に、翌三十日、与儀公園で開かれた「県民大会」に五千名が結集したとはいえ相変わらず旧態依然の政党・労組中心の集会(市民は退屈な弁士の話しを聞くお客さん)であったことに示される闘いの現状に対する危機感でもあった。これでは県民の八割を超える反対の意思を主体的な行動へと促すことは困難である。また、目前に迫っていた名護市長選挙には基地建設に反対する候補2名が立候補の意思を示して互いに譲らず、選挙の敗北が必死なばかりか、選挙が大衆運動の発展を困難にする重苦しい雰囲気への危機感でもあった。この運動の困難な現状をなんとか打開したい、そんな思いの一つとしてこの「意見広告」運動が取り組まれた。

○ 困難を乗り越え五千名(団体含む)の参加を実現
 十一月末、実施団体として「意見広告運動の会」が結成され、事務局を「すぺーす結」内に設置し、城間勝事務局代表の下、専従局員に採用したKさんを中心に若干名の実務担当の事務局が構成されて運動がスタートした。経費は二紙の新聞広告代など三百数十万円が予定され、参加者が三千名以下なら多額の借金を背負い込むことを覚悟の上の出発であった。記者会見、新聞投稿、県庁前宣伝行動、呼びかけ文や郵便振替用紙の郵送、団体回りなどが手分けして行われたが、例によって当初、参加者の出足は鈍かった。十二月の半ばを過ぎても一千名程度で、締め切りを十二月二十八日から一月十日に延期し、関係方面に葉書や電話作戦を展開した。三千名を超えた正月明けから新聞の印刷が始まる十四日午後のギリギリまで、入金チェック・データ入力・名簿照合による校正・入稿、紙面校正等々と深夜に及ぶ作業が続いた。特に真面目を二乗三乗したような専従のKさんは帰宅できない日もあった。また、家主でもある高里鈴代さんも自分の仕事を置いての張り付きで、各方面に電話をかけまくった。ほかにも、氏名を挙げるのは割愛するが、実に多くの人々の実務への参加と協力があって、一月十五日、なんとか新聞掲載にこぎつけることができた。実際には当日以後に届いたものを含めると参加総数は五千名を超えた。

○ 運動の成果と問題点
 沖縄では市民運動が主体で、市民が一千円を払って新聞に個人の名前を出して自らの意思表明をするという「意見広告」運動の経験はあまりない。それだけに困難も多かったが、大都会の匿名社会とは異なる狭い沖縄社会でも市民的自治=自己決定への意思表明が大衆的規模で実現できた点で意義はあった。しかし、協力してくれた公務員の組合員の中でも参加はするが新聞に氏名を「掲載しない」希望者が意外と多かったのは気になる。参加者を沖縄在住者に限定したのは、直接的には県民大会・県民投票を意識してのことだが、本質的にはお金や参加者数での「本土」への依存体質の克服と、沖縄の主体性確立・自立的連帯への自覚に他ならない。結果は宮古・八重山の取り組みを含め、広範囲で多様な層からの参加を実現できた。一方、運動主体の面から見ると、女性や青年の主体的参加も目についたが、依然として崎原、伊波氏らのように一人で数百名の参加者を集めてくる社会的・人格的信用のある高齢者への依存が大きいことも分かる。最後に「県民大会」が三月五日に決まった。現在、その成功に向けてビラまき、ポスター・横断幕張り、宣伝カーなどの情宣に取り組んでいる。あらゆる困難を克服し、闘いは続く。