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『一坪反戦通信』
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 第173号(2005年11月28日発行)

県民不在の日米合意

「合意しない」存在の主張

 新宿西口で毎週土曜日に新基地建設反対を訴えている人の話によると、声をかけビラを渡しても、受け取る人は三十人ほどらしい。一日あたり三百五十万人ともいわれる、日本一利用者数が多いこの駅で。懸命に話しかけても、無表情で通り過ぎる人が多いと聞く。目をそらすどころか、端から視線が別に置かれていて、動かないらしい。見たくないものは頑として見ないのか。

 五十年前、立川の米軍基地拡張が要請され、地元砂川町が町ぐるみで反対闘争に立ち上がったとき、基地問題はそう簡単に看過できるものではなかった。測量阻止行動に参加した学生達が、街頭で直接訴えると、人だかりができ、一時間で三十万円ものカンパが集まったという。基地から出入りする測量隊を守り、反対する農民、支援の労働者・学生に鉄兜と棍棒で襲いかかった警官隊の中からも、弾圧の正当性を疑問視して自殺者が出た。朝鮮戦争に対応する米軍の再編成で、沖縄を含め、基地拡張計画に曝された日本中から、連帯、支援、参加があった。国会議員も測量阻止隊の先頭に立ち、組織的動員以上に労働者・学生が結集し、マスコミもこうした動きを現場から伝えた。知識人は基地拡張の不当性を糾弾し、画家・映像作家たちは絵や写真・映像で記録し、劇団がデモ隊を華やかにした。阿豆佐味天神社での集会には、地元農民、労働者、学生達、日本山妙法寺の僧侶、キリスト者の支援者たちが参加し、日の丸と赤旗が地元反対同盟の幟(のぼり)の側で翻り、文字通り全ての抵抗勢力が結集した。直接衝突の合間には、参加者それぞれの根ざす文化の表明、歌や踊りの交換があった。記録映像を見たフランス人女性が「祭りのような闘争」と感想を漏らしたように、基地拡張への怒りは、幅広い層の参加と協同による闘争であった。

 しかし周知の通り、直接行動をもって測量が阻止され、世論による批判から政府は測量中止を発表せざるをえなかった後も、日米政府は即座には拡張を断念せず、基地返還に合意もしなかった。その後、強制収用反対と公告縦覧拒否をめぐって長い裁判闘争が続く中、札束で頬を叩かれ、多くの住民が反対同盟から抜けた。安保反対闘争、ベトナム反戦運動、美濃部都政誕生の動きとも連携し、最後まで原則を貫いた二十三軒によって、最終的な返還が獲得されたのだ。それでも米軍撤去後、一部が自衛隊使用となり、跡地利用の最終決着はまだついていないという。

 日米合意の報道後、沖縄をはじめ、今回の米軍再編成によって影響を受ける各地方自治体が、次々と反対声明を出した。このことは、日米安全保障条約が基地の置かれる地元住民の生活と生命を脅かすものに他ならず、合意は地元を全く無視して決定されたことを示す。無論、それは戦後一貫して、沖縄で続いてきた事態だ。永田町や中央メディアでは少数派のごとく扱われる合意反対の意見も、沖縄では九割以上の世論、そして鹿児島、北海道、岩国、座間等、基地を抱える地域でも多数の支持を受けている。日本中で、周辺から基地が再強化されようとする事態に、当然ながら地元は反対している。

 「歴史的健忘症」と言われる国民大多数が、この問題をどう認知するのか、まだわからない。しかし、少数であっても原則を貫くこと、合意に反対する存在を明らかにしておくこと、それは地元不在で始まった基地拡張に対し、「心に杭は打たれない」と声を挙げた砂川闘争からも継承せねばならないだろう。                                   (会員・M)