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沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック
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『一坪反戦通信』
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 第172号(2005年10月28日発行)

10月20日〜21日 基地の県内移設に反対する県民会議代表4名が緊急の政府要請行動 


 10月20日早朝発、21日午後まで、国会周辺に緊急要請行動に行きました。要請団は、【基地の県内移設に反対する県民会議】で、山内徳信共同代表と、瑞慶覧朝義県議、大西照雄ヘリ基地反対協共同代表に加えて、平和市民連絡会から私(真喜志好一)。

 小泉総理、町村外相、大野防衛庁長官、北原防衛施設庁長官に緊急要請文を手交するためでした。

 国会開会中であり、上記の皆さんに直接手交できる可能性はありません。沖縄選出、照屋寛徳議員の事務所で待機しながら、官僚のなるべく上の意思決定にかかわっている人に面会の交渉を松村秘書が丁寧に。

 20日、午後3時、内閣府で大臣官房総務課調査役・山田哲範さんに小泉総理宛の緊急要請(次項に掲載)を託した。

 一坪反戦地主会関東ブロックなど、緊急であったにもかかわらず、10名余が議員会館に集まり、数名は内閣府の前まで見送り(?)に。緊急要請の要請内容は3点です。(次項要請文参照)

 外務省、防衛庁、防衛施設庁は、21日の委員会の合間をぬって手交することになり、要請団の皆さん、ホテルに向かい、夜7時30分からの辺野古支援者との交流会で再開することになった。私は、照屋寛徳さんと同じフロアにある辻元清美さん、保坂展人さん(寛徳さんの隣)の事務所を訪問、国会への復帰を祝いつつ、資料を提供。夜の交流会には急であったのに20名余がお集まり。私が持参した資料(辺野古の1966年埋め立て計画図など)もコピーで増やし、配布してくれた。

 10月21日10時前に、国会議事堂の別棟へ。委員会の開会前と委員会の閉会後に防衛庁、外務省の要人に手交する段取りでした。

 10時前、控え室に入り、防衛庁・大古和雄防衛局長、防衛施設庁・高橋憲一施設企画課長に山内徳信さんを中心に10分ほど話をして、要請文を手交しました。

 沖縄選出、赤嶺正賢衆院議員(共産党)、照屋寛徳(社民党)の質問もあり、外務委員会を傍聴しました。委員会室に入ってびっくり。記者席が10席ほど。傍聴席が15席ほど。うへぇ・・国民の知る権利はこの程度の座席なのだぁ。

 メモを取っていなかったので、記憶に残っているお二人の質問と、町村外相らの回答を書きます。沖縄から4名の要請団が傍聴しているとした上で(質問の後で紹介したのだったかな?)次の質疑があった。

質問 沖縄では、81%以上が辺野古での新たな基地建設に反対している。政府はこのことをアメリカ政府に伝えているか?

町村外務大臣・現在、日米双方で協議中であり、お答えできません。

 12時30分ごろ委員会終了、扉から出てきた町村外務大臣に、「沖縄から来ましたっ」と元気良くあいさつ。

「ああ、委員会で紹介がありましたね」

「辺野古の基地は作らせませんよ。2プラス2では、そのことをしっかり主張してください」

 だまってSPとともに立ち去っていきました。

 外務省・河相周夫(かわいちかお)北米局長に緊急要請書を手交し、山内さんを中心に要請。赤嶺、照屋議員に加えて糸数慶子議員も立ち会ってくれました。15分ほどの会談の後、最後の河相さんが発した言葉と私たちの会話。

「沖縄の皆さんにご迷惑をかけます。」

「え?辺野古に基地を作るってことですか?」

「あ、いえ、これまでご迷惑をかけました、ということです。」

「沖縄は、県外移設を望んでいる、と、きちんと米国に伝えてください。」

「・・・・・」


(代表団の真喜志好一さんのブログから了解の上で転載しました)