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『一坪反戦通信』
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 第168号(2005年6月28日発行)

辺野古レポート

Oとの事


 Oとの付き合いは音楽からだった。ひょんな事から三線という楽器に出会い、すっかりのめりこんだ。

 暫くしてエイサーも始めた。唄をきっかけにして、差別や戦争の事、色んな事を知り、その度にバツの悪い思いに駆られた。長い歴史の中で、様々な苦しい思いをさせられてきたウチナンチューの支えとなった唄や踊りが、力を持っているのは当然の事で、そのエネルギーはヤマトをも惹きつける。かくいうオレもその一人であり、そして同時にオレは、Oを苦しめた側の人間でもあるのだ。

 居心地の悪さに耐えかねて、何度も三線やエイサーはもうやめようと思った。周りの仲間に、そんな気持ちになったことはないか、と訊ねてみたりもしたが、笑われただけだった。「実際に行って、海でも見てくれば、そんな気持ちは吹っ飛ぶ」とか、「行って癒されてこい」とか、その時、多少反発する気持ちもあって、絶対に行くものかと決意してしまった。表向きの理由は飛行機が恐いから(実際恐いです)。が、本当は、本当に恐かったのは、Oだったのだ。Oはこんな自分を受け入れてくれるのだろうか?…

 そんな時、辺野古新基地建設の事を聞いた。飛び付いた。これが、Oと今後も付き合っていくためのライセンスのように思えたからだ。それから東京での様々な集会、デモ、情宣活動等に参加するようになった。が、オレは辺野古現地には行こうとはしなかった。まだOに会うのが恐かったのだ。金が、暇が、飛行機が、と何かと理由をつけて、ズルズルと先延ばしにしていた。

 突然、一週間の辺野古行きが決まった。関東ブロックの諸先輩方に背中を押して頂いた様な格好だった。正式に行く事が決まったのが二日前という急さ加減が良かった。少しでも考える時間があったらおそらく行かなかったと思う。

 想像を膨らましていた期間が長すぎたせいか、実際にこの目で見たOは驚くようなものではなかった。オレはOに何を期待していたのだろうか?確かに、何処までも続く基地の金網、半分アメリカな街並み、海は透き通っていたし、見慣れぬ光景ばかりではあるのだが。

 東京生まれ、東京育ちのオレからすると、辺野古での生活は極めてシンプルだった。起きて、やぐらに乗って、食べて、寝る。それ以外は特に何もない。かといって、仲間はいるし、不思議と何の不足も感じない。「癒し」という言葉にうんざりきていたけれど、オレも結構、癒されてしまったのかもしれない。

 滞在中、オレにとってちょっと大きな事件があった。台風接近の為、陸上待機になった日の事。誰かが三線を弾き出し小宴会が始まった。オレに三線が回ってきた。躊躇したが、結局歌った。Oの唄をOの目の前で…。

 一週間は、あっという間に過ぎた。座り込みの皆と辺野古の青い海に挨拶をして、後ろ髪を引かれる思いでテントを後にした。Oはこんなオレをきちんと受け入れてくれたのだろうか?問いかけるように、もう一度だけ振り返る。が、Oは無口だった。

 まぁいいや、どうせまた戻ってくるんだから。オレはバス停へ向かう坂道を駆け上った。

(S)