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『一坪反戦通信』
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 第168号(2005年6月28日発行)

辺野古へ行ってきた


 去る5月28日(土)から30日(月)までの三日間、辺野古へ行ってきた。

 今回の辺野古行きは、5月30日に那覇市自治会館で開かれた、土地の強制使用に係る公開審理への参加に合わせたものである。座り込み405日目から407日目にあたるこの三日間は、那覇防衛施設局のなりふり構わない土日・夜間を含めた24時間作業体制になって約一ヶ月が経過した時期であった。お金は勿論のこと、なによりも人手が必要とされていることもあり、少しでも海上阻止行動に参加しようという主旨での辺野古行きであった。

 沖縄はいまだ梅雨空で、天候は決してよくなかった。私は座り込みテントに二泊したが、28日(土)の晩は嵐のような天候で、辺野古の海からゴウゴウと打ちつける風の只中でウツラウツラしながら、海の上のことを思い描いていた。ご存知のように今テントが張られているのは、まさに浜の目の前で、ここに座って地平線を眺めながら、連中はこの視界を全て滑走路にしようと企んでいるのかと考えると、沸々と怒りがわいてくる。

 海上阻止行動は、28日の晩は、以上のような天候で作業なしのため待機、29日も雨はあがったが海上の風が強く、朝にいったん抗議船で海上に出たものの、単管やぐらに登ることを断念して引き返した。この日は施設局側も「監視はするが作業なし」と言明していた。

 私が登ろうとした第五やぐらは、全面に金網が張られており、抗議船からはしごをかけて登らなければならないので、風が強いとかなりの危険がつきまとう。それでもなんとか「登るぞ!」との意思をみせた。 翌30日は、天候も良好、更に月曜日ということもあって、早朝から海上へ出る支度。前日断念した第五やぐらへ再度登った。早速午前中に二回、サンコーが作業をさせろとやってきた。「金網や夜間灯を点検させろ。運び込んだ資材の油漏れを点検させろ。」などと言う彼らサンコーの態度は、悲しくなるほど悪い。彼らも中々作業が進まないことにイライラしている様子。それでも作業日誌に何か報告を書かなければならないので登場しているのだろう。

 彼らも生活があって働いているのだろうが、彼ら自身の人間性をも破壊しつつある作業を一刻も早くやめさせるべきと思った。(その意味で民間会社を盾にとった行政—那覇防衛施設局の責任は大きい。)それに比べて、黙々と阻止行動を守る海人の漁船の存在には大変に勇気づけられた。

 現在、やぐらの金網も撤去され、土日・夜間は作業を原則的には行っていないようだが、私の参加した三日間のころも夜間作業に関しては大分やる気をなくしているようであった。

 これは阻止行動と連動した、施設局への「やめろ」という声がかなり効いていると安次富さんは言っていた。それを踏まえて、夜間がないからと気を緩めるのではなく、絶えずに関係省庁への働きかけを行い、阻止行動を支えるカンパ集め、更に辺野古行きへの呼びかけ(体制を整えるためにも人手は必要)を強化することが、東京の我々の使命であると強調したい。

(O)