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沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック
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『一坪反戦通信』
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 第167号(2005年5月28日発行)

【報告】

沖縄は燃えています

   五月十三日〜十六日に南部全労協の枠で沖縄平和行進、普天間基地包囲行動、辺野古海上ヘリポート建設反対運動との連帯行動に参加のため沖縄に行ってきました。

 十三日は空港着後すぐに辺野古で海上基地建設反対運動をやっている現場に行き、現状の話などを聞きました。

 平和行進への参加者は本土から千八百人。全体でも三日間を通して数千人が参加しました。私は十四日の行進、十五日の行進に参加し、都合三十キロぐらいデモをしました。

 十四日は終日雨で寒い沖縄でしたが、みなびしょぬれになりながらも二十キロのデモを最後までやりとおしました。ずっとシュプレヒコールを続けながらのデモはなかなかしんどかったです。いろいろな組合から参加している人に若者が多かったのが良かったです。十五日は八キロほどのデモの後、総括集会そして普天間基地包囲行動に移りました。二万三千八百五十人が参加ししました。完全に人の輪でフェンスを囲みました。私たちの包囲したところは道路ではない場所なので、フェンスの横は立ち入るとハブにかまれそうなブッシュ(実際ハブに注意の看板が・・・)で、足場の悪いところでしたが、皆で沖縄ラジオの放送が「繋がりましたー」と報道するのを聞いて喜びをともにしました。

 夕方は「普天間基地の県内移設反対 五・一五県民大会」に参加。七千五百人が参加しました。

 公式な我々のツアーの行事はここでおしまいでしたが、私は急遽五人でレンタカーを借り、那覇の宿はキャンセルし再度辺野古へ行きました。テントで泊って深夜の交代での監視行動(防衛施設庁は危険を承知で深夜に作業をしたりするのです)、あるいは一キロぐらい沖の海上に作られたボウリング調査用のパイプやぐら(単管と呼んでいる)のところに泊ろうかと思いましたが、その日は要員が足りているので、近くの民宿に駆け込みました。

 昨日は朝四時四十五分に起きて、民宿のオヤジが寝ているうちに勝手に朝飯をいただき(三百円を缶に入れておけば自由に食べて良いので)、朝六時からの海上やぐらでの監視、調査阻止の一員に加わりました。当局が船で調査船を出すのを双眼鏡で確認し、何処のやぐらに向かうかを無線で連絡し合い、やぐらに陣取った皆で(私のやぐらは九人)役割分担をし、調査船が来たら作業員をやぐらに上がらせないためにどう防衛するかなど指示を仰ぎ、海上の波と風にさらされながらしばし足元の海の透明さに目を奪われたりしてました。

 八時過ぎから、四つの単管が作られているところに次々と調査船が向かい緊張感が走ります。来たという知らせと共に、私もパイプにつかまりながら時々腰まで波に打たれ、調査船を迎えます。サングラスをした調査船の責任者がいろいろ交渉してくる。結局痛んでいるパイプをつないでいるクランプを五個だけ交換するのを認めることに。作業員が潜水し、海中でというより私の足元で作業をしました。六隻の作業船と警戒船からいつやぐらに上がってくるかもしれないと聞かされていたので周りを警戒しながら作業を見守りました。私は十一時で交代の予定でしたがまさに緊張が続いている中、もしかすると予定の飛行機には間に合わないなと思いつつ、作業が終わるのを待ちました。

 結局十一時四十分に迎えの船がきたので交代要員と入れ替わって、テントに戻りました。ウエットスーツを脱ぎシャワーを浴びるまもなく、潮だらけの体で空港へびゅんびゅん車をとばし、予定の便に乗って帰宅しました。

 単管のやぐらには電気はもちろん、水もトイレもありません。ここでの二十四時間監視行動には大勢の要員が必要だし、たくさんの船も必要です。今回この闘いに参加し、現地の人たちが命を掛けて海を守ろうとしている姿に打たれました。またカンパ、人の支援もっと必要だと思いました。今日も徹夜で攻防が続いていると思います。日本政府がきちんと中止を決めるまで闘いは続きます。組合員の皆さんの絶大なるカンパを改めて訴えます。

 長い報告ですいませんでした。

    滝秀樹(全石油昭和シェル労組)

(編集部注 シェル組合員への報告記事から滝氏の承諾を得て転載。数字等を漢数字に変更しました。)