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『一坪反戦通信』
毎月1回 28日発行 一部200円 定期購読料 年2,000円
 第165号(2005年3月28日発行)

【新刊紹介】

未完の沖縄闘争

沖縄同時代史

別巻●1962〜1972

新崎 盛暉


凱風社
・定価3800円+税
・ISBN4-7736-2902-9 C0031
・2005年1月31日



   沖縄返還政権の否定と沖縄解放
  
 実に五百四十ページ。時局と思想的状況についての堅い内容三四編。しかも地味な展開ときては、一坪関係者か社会学か政治学の学者にしか読まれないのではないかと本紹介者は心配になる。

 しかし著者は一坪反戦地主会の代表世話人の一人。実践的活動にも深く関与し、「庶民」にもわかる語り口で六十年代から七十年代初めの沖縄について語る。振り返って今日書いているわけではなく、執筆は当時のもの。


 第二編目の「砂糖自由化と沖縄産業」(一九六三年執筆)では、沖縄の砂糖産業がたとえ自由化にさらされるにせよ、国は予算を投じて 「原料の生産基盤整備」、甘味資源作物生産振興をすべきだ(った)と論ずる。コスト低下もそれで可能になるはずだという。当時、施政権の「壁」があったとはいえ、「本土政府」が砂糖産業保護対象から沖縄を外したのは不当だと批判している。

 今でも政府は保護策=セーフガードを中国産ネギ、生シイタケ、畳表の三品目に対して発動して、無用な対中国「紛争」を起した(二〇〇一年)。政府は自由化論を振りかざしてはいても、彼らが必要なところには保護策を講ずることはできるのである。沖縄への構造的差別は今に始まったものではない。


 第二七編目の「思想としての沖縄」(一九六九年)では大田昌秀氏にことのほか手厳しい。・沖縄対本土・の図式だけではありえない、というのである。東京・本土にいて・沖縄を訴える・のは実は本土依存的な危険性をはらんでいる、と強烈な批判を展開している。

 さてここからが注目されるのだが、著者は沖縄返還論について「返還協定粉砕・佐藤訪米阻止」論である。当時の反復帰論にあるいは近いのかもしれない。粉砕して阻止したら復帰が遅れるのではないか、という主張は当時もあった。しかしそれは「返還協定そのものを単独で切り離してみる」(四九一ページ)ことである。「…佐藤首相は決して沖縄『返還』という目的のために渡米するわけではない。安保体制のあり方を協議するために、自らの政治的必要性に従って渡米するのである。…反対闘争(阻止行動)が無視できない強さをもつ場合だけ、政府は人民の意志に対して、一定の配慮をせざるをえなくなるのである」(五〇一ページ)と述べるのである。

 「沖縄の非軍事化宣言」(七一年一〇月、知識人百五十人が賛同)が主張する「返還交渉のやり直し、ないしは返還協定の修正」も、著者にとっては問題にならなかった。「なぜ五月十九日の沖縄におけるゼネストが返還協定の修正を要求したのではなく、『返還協定粉砕』を主張したのかということを考えてほしいと思います。…そこには従来の沖縄返還政策の総体を否定し、そのことを通じて沖縄返還政策を中心的政策としてきた政権を否定し、その否定の前途に沖縄解放を展望する思想をみることができ」(四九二ページ)ると指摘している。

 かくして著者は、沖縄返還は目的ではなく手段であって、目的は沖縄の解放・変革にある−−というのである。

 本紹介者も六九年当時、「返還粉砕」のスローガンを叫んだ一人である。沖縄側から見たら「なんという奴らか」と見えたに違いないと思い、後になって赤面した。せめて「返還協定粉砕」とすべきだった、と。著者の考えを知り、複雑な思いだ。            (吉田)