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沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック
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『一坪反戦通信』
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 第162号(2004年11月28日発行)

「子連れ辺野古日記」

 「ジュゴンの家」のウェブサイトを見ていたら、先日辺野古の座り込みに参加したときの娘と夫の一コマが写真になって写っていた。娘は6歳。辺野古は2回目。美ら海水族館より海に行きたいと言って、途中で気が変わるんじゃないかと心配する父親を説得し、辺野古にやってきた。

 貝殻でままごとをしたり、カニを捕まえて町を作ったり、砂山を作ったり崩したり。朝9時から夕方5時まで、一日中、浜で遊んで大満足。「こんな海が幼稚園の隣に欲しい」と言っていた。疲れるとテントで休み、歌や踊りを鑑賞し、テント前にある海の写真に見入った。キャンプ・シュワブの金網に結ばれた何色ものリボンとそれに書かれた平和のメッセージも、読めないなりに一生懸命見ていた。 

 基地と戦争の話をすると、嫌がって顔をしかめる。イラク戦争で負傷した子供の写真を新聞で見て以来、戦争が自分たち子供に何をするか、よくわかっているのだ。「基地ができたら、ここに来れない」と言った。

 娘が浜を満喫している間も、海上ではボーリング調査のための作業に対し阻止行動が繰り広げられ、浜には大勢の人が双眼鏡を持って出て心配そうに沖を眺めていた。

 杖をつきながら歩いてきた85歳のおばぁに「浜はいいでしょう」と話しかけられた。「昔は、わたしの子供のころも、わたしの子供たちも一日中、浜で遊んだよ」でも今、地元の子供たちはどこで遊んでいるのだろう?振興策でできた公園には少し来ていたが、浜では一人も見かけなかった。

 おばぁは言う。「あんな振興策でいい気になって馬鹿さぁ。お金は天下の回りもの。たくさんなくても、正直に真面目に働いていたら、ちゃんと生きていける分だけ回ってくるよ。」「昔はこの辺りには道もなくて、那覇の方まで行くのも大変だったけれど、海からやんばる船がきて、ここの炭や薪といろいろなものを物々交換みたいにして、やっていたよ。」 別のおばぁからは、戦中・戦後の食料品不足のとき、魚や貝など海の恵みで子供6人を育てられたと聞いた。浜でのゆんたくは政策や行政のあり方に及び、「基地は人殺しの手伝いですよ。絶対作らせません。」ときっぱり言われた。

 東京に戻ってからも、娘は毎日海の絵を描いている。ままごとにボートや魚や貝を登場させ、空想の浜遊びが続いている。絵には「うみっていいな またいきたいよ」と書いてあった。その海が埋め立てられ、戦争につながる基地ができたら、彼女はどんなに絶望するだろう。(A)