軍用地を生活と生産の場に!
沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック
http://www.jca.apc.org/HHK
東京都千代田区三崎町2-2-13-502
電話:090- 3910-4140
FAX:03-3386-2362
郵便振替:00150-8-120796

『一坪反戦通信』
毎月1回 28日発行 一部200円 定期購読料 年2,000円
 第162号(2004年11月28日発行)

連載  ひんぷん
ひんぷん:沖縄の民家にみられる、正面の門と母屋の間に置かれる屏風状の塀。目隠しと悪霊を防ぐ意味がある。中国語の屏風(ヒンプン)から来た言葉だといわれる。

夕なんぎーの道ジュネー その後
−− 府本知事公室長に知事への「辺野古新基地建設断念」を申しいれる −−


本永 貴子

 稲嶺知事に対する「名護市辺野古への新基地建設断念」を訴え、2004年10月13日に集会「夕なんぎーの道ジュネー」(前号ひんぷん参照)を行ないました。

 いよいよ11月12日、「夕なんぎーの道ジュネー」の中で募った240通の「稲嶺沖縄県知事への手紙」と「辺野古への招待状」を、府本知事公室長に手渡す日がやってきました。

 知事への手紙240通のうち、150通は高校生が自主的に集めたものです。集会への参加者も含めた12人の高校生たちと、普天間基地の即時閉鎖などを求める県民の署名4515人分をたずさえた「カマドゥ小たちの集い」のメンバーなどの宜野湾市民、普天間爆音訴訟原告団団長の島田善次さん、公室長へのアポを取ってくれた狩俣信子県議会議員、同行してくれた外間久子県議会議員らと共に総勢20数名という一行で知事公室長室へ行きました。

 最初、府本公室長はとてもにこやかに私たちを招いてくれました。私が、集会の趣旨と辺野古への新基地建設を断念するよう書かれた「夕なんぎーの道ジュネー」実行委員会からの知事への手紙を読み上げ、高校生から「稲嶺知事行き」とかかれたポストを手渡し、A3の大きさの「辺野古への招待状」を手渡しました。

 まずは高校生から発言する事になりました。高校生は涙ぐみながら、

 「何度か辺野古の海に行きました。とてもきれいな海でした。きれいな海に人殺しのための基地を作らないでほしい。」
 「知事に、辺野古の海を見てほしい。そうしたら基地をつくろうなんて思わないと思う。」

と、訴えました。

 すると公室長は、

 「あなた方の気持ちは痛いほど分かります。知事に伝えます。」

と答えました。

(以下、高校生=高、貴子=貴、公室長=府、宜野湾市民=宜、他とする。)

  知事は辺野古に行った事はありますか。

  行きましたよ。

  いつ行かれたんですか。

  ずっと前に行っていますよ。

  だからいつ行かれたんですか。

  何度も行ったと思いますよ。

  思いますよって事は、行っていないんでしょう。せめてその土地に行って話をきくことをして決めたらどうですか。

  辺野古に行って、辺野古の座り込みをしているおじぃやおばぁの声を聞いてください。

  辺野古移設はSACOにより国同士で決めた事なので、県はそれを遂行するだけです。

  県民の側にたって、県民の声を伝えてください。

  国で決めた事をやるだけです。

  県は国の出先機関に過ぎないという事ですか。私達県民の命は一体誰が守るのですか。

  県が守りますよ!

  守れていないから事故が起こるんでしょう。県は県民の命と暮らしを守るのが基本でしょう。基地を作ってどうやって守るんですか。

  辺野古にも県民が住んでいるんですよ。もし県民に犠牲者が出たら、誰が責任を取るんですか。知事は責任取れるんですか。

  事故が起こらないようにしますよ!

  事故が起こらないように、事故が起こらないようにって何度言っても事故が起こっているでしょう。沖国大にもヘリが落ちたじゃないですか。

  県民の80%以上が辺野古への基地建設に反対しているのに建設するのですか。県は県民の側に立っているのですか。国の側に立っているのですか。

  知事はきちんと辺野古移設に反対と、県民の声を伝えてください。

  辺野古移設は知事の選挙のときの公約です。知事は公約を守りますよ。 

宜  県民の声が変わっても、県民の側に立てないんですか。県外移設は言えないんですか。

  それは受け入れるところがあれば…受け入れるところはありませんよ。

  呉〈広島県・知事公室長の出身地〉に持っていけばいいじゃないか。

府  呉には(基地を)作れるところはありませんよ。

  沖縄にだってこれ以上基地を作るところはありません。

   こんな小さい島に基地を作ろうとしているのだから、呉にはいっぱい基地を作るところがあるでしょう。あなただって自分の島(故郷)には作りたくないんでしょう。

  どうして自分のところに作れないものを沖縄に作るんだ。


 最初、温和な笑顔を見せていた府本知事公室長の顔は、「国の出先機関」と県を非難したところから次第に険しくなり、まるで鬼のようになっていました。

 その後、「カマドゥ小たちの集い」で集めた4515人分の書名を渡そうとすると、日程に入っていないとして受け取りを拒否しようとしました。しかし、狩俣議員の「もう一度申し入れの日程を取る。」、外間議員の「議会で追及する。」という声に押され、やっとの事で受け取りました。

 ぞんざいな受け取り方を見ていた高校生の中には、
 「捨てないで下さいね。ちゃんと知事に見せて下さい。捨てないで下さいね。」と泣き出す子もいて、慌てた公室長が過去の書類を棚から出し、高校生たちに見せてこうやって知事に報告すると説明をする場面もありました。

 最後に…とたくされ、

  県民の声を伝えるのが知事の役割。これでは子どもたちに地方自治を教えられない。

  どうして日本政府に主張できないの。沖縄は戦争で痛みをうけたのに。

と訴えました。

 沖縄人の大人の一人として、子どもたちの思いに思うように応えられないのが悔しいです。

 でも、子どもたちが「知事本人に会えるまで何度でも県庁に来たい」「知事を変えないといけないと思った」「あきらめない」と言ってくれたことを受け、私も「辺野古新基地建設に反対して声をあげよう」と呼び掛けた大人の一人として、最後まで闘おうと思いました。来年にはまた、誰もが参加しやすい集会をやりたいと考えています。