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『一坪反戦通信』
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 第161号(2004年10月28日発行)

ひんぷん

夕なんぎーの道ジュネー

宇根悦子
(平和ガイド)



 去る10月13日(水)、知念ウシ(むぬかちゃー=文筆家)、本永貴子(一坪反戦地主・主婦)、宇根悦子(平和ガイド)の3人は「夕なんぎーの道ジュネー」(夕方の行列)と題して県民広場で集会を開き50人余りが参加した。

 この集会のきっかけは、9月12日に沖縄国際大学で開かれた宜野湾市民大会の署名と決議をもって、翌13日、宜野湾伊波市長が知事に面談するというので、県庁6階のエレベーター前で迎え激励しようと数名が集まったことにある。その場に居合わせた女性3人が私たちだった。面談を終えて戻ってくる市長を待ちながら、私たちも何か行動を起こしたいね、という話になった。辺野古では、新基地建設阻止の座り込みとボーリング調査阻止の海上行動をしている、宜野湾市でも市民や学生がさまざまな行動を起こしている。那覇市民や浦添市民も県庁を目の前にして何かできることがあるのではないか、との思いからだった。私たちはさっそく打ち合わせに入った。期日はヘリが落ちて2ヶ月目の10月13日(水)17時30分からと決め、「夕なんぎーの道ジュネー」と銘うった。

 一般市民でできる行動で知事にプレッシャーを与えたいという思いから、県庁を人間の鎖で囲むことを考えたが、たくさんの人数を集めなければならないので、それには時間がかかる。また、せっかくとり囲んでも沿道からは見えないので、アピール力は今一つ弱い。それで、県民広場に集まって、そこから県庁入り口まで人間の鎖でつなぎ、知事と沿道の人々に訴えよう、ということになった。さらに、行動に直接参加できなくても手紙なら書けるという人もいるかもしれないので、手紙も集めようということになった。それだけでなく、辺野古を支援するためのカンパも集めることにした。

 集会というと構えてしまう人たちも気軽に楽しんで参加できるような集会にしたい。だから、仮装して、それぞれがメッセージを持って集まるよう呼びかけることにした。写真パネルも展示することにし、宜野湾市の「かまどぅぐゎ」の会や宜野湾市職労に協力を求めた。

 この企画を記者会見して発表しようという提案もあったが、それだとマスコミがどれくらいの扱いをしてくれるかわからない。それよりは道ジュネーの準備をしているところを取材に来てもらったほうが大きく扱ってくれるかもしれない、ということになり、地元両紙に取材依頼を出した。思惑は的中、期待以上に大きく扱ってくださり、方々から反応は上々だった。オリジナルのチラシも作成し集会などで配った。

 ところが、「夕なんぎー」の意味は何?とたびたび質問された。私たちは夕方のこと、と思い込んでいたのだが、どうやら違うようだった。夕方のことは「ゆまんぎ」あるいは「ゆさんでぃ」と言う、「ゆうなんぎー」とはユウナの木のこと。知事がユウナの葉が揺れるようにユラユラしているからその名前をつけたの?など、反応はさまざまだった。ウチナーグチもまともに知らないウチナーンチュ3人の企画は大いに話題を提供した。

 「道ジュネー」を前日に控えた12日、辺野古の座り込みテント村で手紙を集めるため訪問した。40人近い方々がそれぞれの思いを書いてくださった。高校生からも150通の手紙を集めた、当日も参加したい、と電話をいただき、とても心強く思った。いよいよ「道ジュネー」当日。県民広場にテントを張り、写真を展示しようとしたが風が強く、地面のタイルに貼り付けることになった。その間、修学旅行生を含め多くの旅行者が回りにいたがなかなか関心を示さなかった。関心をしめしても、「どこにヘリが落ちたの?」「沖縄国際大学ってどこにあるの?」という具合にまるで知らないようだった。

 夕方、三々五々参加者が集まってきた。友人、知人に混じってまるで初めての顔もあった。成功するのか心配で見に来た人、面白そうだから来た人、反基地の思いを込めて来た人、動機はそれぞれだった。

 集会はミニライブで始まった。それから、県庁に向かってメッセージを一つ一つ読み上げ、全員で「稲嶺知事、私たちの声を聞いてください」と繰り返し大声で合唱した。私たちの声は確かな感触をもって県庁に届いた。

 その後、1600年代の琉球から現代へタイムスリップしたという想定の寸劇も演じられた。基地問題に翻弄される現代の沖縄に驚いて過去に帰っていく、というストーリー。ウチナーグチで演じられ、観衆にも問い掛けるやりとりは大いに笑いを呼んだ。

 集会には大学生や高校生も仮装して参加した。高校生は「知事は辺野古の海を愛していないのですか?」「辺野古を見に行ってください」と知事へのメッセージを読み上げた。大学生は自分たちが学ぶ大学にヘリが落ちたことの恐怖と不安を訴えた。立場の違うさまざまな人が集い、心温まる集会となった。

残念だったのはカンパを集めきれなかったこと。それは3人の仮装のせいだったかもしれない。3人の出で立ちは、魔女、アラブ人、琉装だった。そのかっこうでカンバ箱を下げてチラシを配っていたので、路行く人から避けられているような感触さえ感じていた。仮装の発想は悪くないが内容は考えた方がいいかもしれない、と反省した。

 後日、私たちは知事に直接手紙を届けようと秘書課に連絡をとった。「基地対策室に届けてください」とそっけない反応だった。知事は一般市民には会わないのだろうか?多忙なのは理解するが、市民に会うのも知事の仕事のはず…。知事に直接届ける、あるいは秘書課が受け取り知事に渡す、ということでなければ私たちの目的は果たせない。その件は現在交渉中である。

 集めた手紙は240通余りとなった。知事に渡すだけで終わらせてはもったいない。私たちは冊子にまとめ販売し、辺野古の支援に当てることができれば、とその準備も進めている。

 たった3人で始めた「夕なんぎーの道ジュネー」は、人が人を呼び広げることができた。今後も、思いはあるけど表現する場がない、大きな集会に参加するのは構えてしまう、そういう人たちも気軽に参加できるような集会を企画していきたい。