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『一坪反戦通信』
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 第161号(2004年10月28日発行)

【報告】
普天間基地の即時閉鎖と辺野古への移設反対

県民大会

10月2日 那覇・与儀公園
 主催・基地の県内移設に反対する県民会議

 普天間基地の即時閉鎖と辺野古への移設反対を訴える県民大会が久しぶりに与儀公園で開かれた。三千五百名余の県民・市民が、稲嶺県知事の辺野古移設の推進策を絶対許せるものではないと声高く糾弾。土曜日のせいか、名護も含め一般市民の参加者が多いとの実感あり。主催者である「基地の県内移設に反対する県民会」の山内徳信代表の外、加盟政党の社民、社大、共産の各政党代表挨拶の後、普天間基地の国外移転およびSACO見直しを打ち出している民主党からもヘリ事故に対する糾弾の声が上がりました。辺野古現地で大激闘している自称テント村の村長大西照雄さんが紹介されました。「四・二八は、沖縄の屈辱の日でもあるが、那覇防衛施設庁からインチキな工法書が出た日でもあります。テント村では、相手に対して耳から上には絶対に手を上げないと完全非暴力の闘いを行ってきています。施設庁の職員とはテント村の路上で三十数回もの話し合いを行ってきました。普天間基地のヘリ墜落事故を天災一隅の好機ととらえ、辺野古の調査推進を計った稲嶺知事は、もはや人間ではない。とても許されることではない。今、私たちは、海での闘いを強いられています。海での戦いにおいては、カヤックの提供や抗議する応援の船も多くなっているがもっと多くの方々の参加と資金カンパも必要としています。」との訴えがなされました。その後、来る一一月四日の那覇市長選挙に立候補している高里鈴代さんが万余の拍手で迎えられました。

 「この沖縄は、十・十空襲から六十年、対馬丸事件から六十年が経過しました。この間米国軍隊および米兵による事件事故が多発しました。私達県民は米兵による数々の婦女子に対する暴力にいつまで我慢しなければならないでしょうか。辺野古移設は、軍事基地の強化拡大であり美しい海の環境の破壊であります。このことがSACO合意の実態である」。ときびしく稲嶺県政の政策を糾弾しました。同時に市民はいつでも市政の当事者でなければならないし又、当事者となる施策を実施すると呼びかけました。高里さんは、那覇市長選挙でも県都那覇市としての使命、私たちが生きるための基本的姿勢のひとつとして、普天間基地即時閉鎖と辺野古移設反対を掲げて選挙戦を闘っています。

 ゲリラ戦用の実弾を使う都市型訓練施設に早朝から区民を結集して反対行動している伊芸区の池原区長は、住宅の庭先で遊んでいた幼児の足や部屋で化粧していた娘さんの太股に銃弾が命中したことや、砲弾の破片がバラバラと天あられのように降ってきた事件等を怒りをもって報告しました。又、早朝の阻止行動に参加している人々の大半がオジー・オバーであり、孫の代までにこのような危険な施設は絶対に残してはならないとの必死の思いで闘っている。県民、国民の皆さんの力をかしてくださいとの訴えがなされました。後段で辺野古現地を応援するための池宮城紀夫弁護団長、三宅俊司事務局長とする20人以上の弁護団結成報告がなされました。代表して池宮城氏は、「沖縄は決して米の植民地ではない。日本の植民地でもない。安保のゴミ捨て場でもない。沖縄の法律家も頑張る」と熱い決意を述べました。最後に頑張ろう三唱をした佐久川代表は、どうしてもこれだけは言いたいと報告しました。抗議に行った東京の防衛施設庁で、辺野古の移設のための調査推進を指示したのは、稲嶺知事と茂木前沖縄担当大臣であるとの返事を受けたことで、とても許せるものではないと怒りの「頑張ろう」三唱後、県庁までのデモ行進に移りました。途中経過で二七万余のカンパ報告。「久しぶりにデモらしいデモをした」が参加者の声でした。最後に、高里さんは普天間基地の一坪地主であります。私達は、総力をあげてこの市長選を勝ち抜かなければなりません。関東→名護→那覇市民であれ、関東→コザ→那覇市民であれ、親戚、知人を通じてのあなたの熱い一声を届けてくださるようお願いします。今、私たちは、沖縄市長、名護市長、知事選へと波及させ得るとの熱い思いを持っています。
 
(長嶺律雄)