軍用地を生活と生産の場に!
沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック
http://www.jca.apc.org/HHK
東京都千代田区三崎町2-2-13-502
電話:090- 3910-4140
FAX:03-3386-2362
郵便振替:00150-8-120796

『一坪反戦通信』
毎月1回 28日発行 一部200円 定期購読料 年2,000円
 第160号(2004年9月28日発行)


基地形成の根に天皇制

若林 千代 (現代史研究) 

 沖国大一号館に米海兵隊のヘリコプターが激突・炎上した事件の翌日、私は僅かな時間だったが辺野古を訪れた。偶然沖縄にいて、事件により辺野古のボーリング調査の時期が早まるのではないかとの恐れから、現場の不安を想像した。とにかく路線バスに乗った。雨模様で海も荒れ気味な土曜日で防衛施設局からは誰もこなかった。座り込みの人は多くはなかったが、「もし彼等が来たら」と思うと体調が悪く感じられるという声を聞いた。

 東京に戻ってからもヘリ墜落事件への怒りと辺野古への気がかりで、仕事が手に着かないし、落ち着かない。だが落ち着かないなりに、一つの事実が頭を離れず、考え続けている。
 それは、一九四七年九月に天皇の御用掛・寺崎英成からGHQ政治顧問代理ウィリアム・シーボルドに伝えられた、いわゆる「天皇メッセージ」のことである。「天皇メッセージ」の存在が明らかにされたのは沖縄の日本への施政権返還後、一九七九年である。
 このメッセージのなかで、寺崎は、天皇が「沖縄(その他必要とされる島嶼)に対する米国の軍事占領は、主権を日本に残したまま、長期にわたって(二五年ないし五〇年またはそれ以上)租借方式という擬制に基づいておこなわれるべきである」と考えていると述べている。
 そして、天皇の、日本に主権を残しつつ軍事的に基地を使用する権利を米国に与えるという意向は、米国政府にとって非常に有効な「代案」(講和条約第三条)への導きとなった。本紙を読まれる方々はすでによくご存知の事実だと思う。

 ヘリ墜落事件以来、沖縄ではその衝撃の実感を「未だ占領下である」という言い方によって表現されている。私はこの「占領」という言葉を耳にするたび、「天皇メッセージ」を思い浮かべる。ヘリ墜落事件をめぐって、日本ではその議論が「国家主権」の侵害という点に収斂される傾向が強いが、基地問題が形成される根のところにこうした国体護持の発動があることは指摘されない。
 また、この「擬制」は一九七二年に終わったのではなく、より一層洗練されたシステムをもって継続し、日本と沖縄の、そして沖縄の社会の内側のさまざまな間柄を分裂させているのではないかと考えざるを得ない。

 新たな基地を作らせてはいけない。
 政治の裏面史に押し潰されないために、そして、「過去の克服」と人間の名誉の回復のために、一つでも具体的な動きを作り出したいと思う。