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沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック
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『一坪反戦通信』
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 第160号(2004年9月28日発行)


継続は力なり

沖縄県宜野湾市議会議員 桃原 功

 2004年9月12日、宜野湾市の沖縄国際大学グランドに3万人余の人々が市内外から集結した。8月13日に発生した当大学への米軍ヘリ墜落炎上事故への抗議と普天間飛行場の早期返還を求める宜野湾市民大会開催成功のために。

 当初5日に開催の予定で実行委員会も呼びかけチラシ等3万枚以上作成しPRしていた。しかし台風で延期を余儀なくされ1週間も延びてしまい私は内心、心配していた。1万人以上集まるだろうか?その為、中部若手議員政策研究会群星(むるぶし)21という仲間で5日以降も必死で街宣をした。

 心配をよそに3万人以上の人々、6万人以上の署名が集まったのである。そして炎天下の中、副実行委員長当山収入役の開会宣言、そして事故発生時間の2時18分のサイレンに合わせ200羽の鳩が平和の願いを込め、青空に一斉に放たれた。

 実行委員長の伊波洋一市長は「二度と私たちの住宅上空を米軍機の訓練場としてはならない。市民の声を一つにし、事故が再び起こらない宜野湾市をつくっていこう」と力強く挨拶をした。

 この事故は人身の被害は免れたが一歩間違えれば大惨事となるところであった。多くの市県民が恐怖に陥り、今なおその不安と怒りはますます増大するばかりだ。今回の米軍ヘリ事故を起こしたCH53D型は全長約25mもある。比喩すれば25mプールが爆発して落ちてきたといえば被害の甚大さが判るであろう。

 このような事態を招く前に、市長はじめ多くの団体が日米両政府、米軍に対し危険な住宅地上空での飛行訓練の中止や普天間基地の返還を訴えてきた。そして、事件、事故が起こるたびに私たちの抗議に対し、米軍は再発防止を繰り返してきた。

 しかし、事故の発生は後を絶たず、今回の墜落事故は、住宅地上空で発生し、最後に大学へ墜落炎上するという大事故を招く結果となり、腹腸が煮えくり返る思いだ。その根本原因は住宅地に隣接した普天間基地を長期にわたって放置してきた日米両政府の政策とそれを容認している稲嶺県政の政治姿勢にあります。

 当初私はこの大会への知事の参加を望みながら期待していた。なぜなら宜野湾市議会の与野党が7対21という圧倒的不利な中、事故直後の臨時議会で「SACO合意を見直し辺野古沖への再考を求める」など7項目を全会一致で決議し、それ以降、他の多くの議会も抗議決議をしていく。そして大会前日の9月11日には宜野湾市議16名が主導し、北は本部町、名護市から南は宮古の平良市までの市町村議員と県議、県選出国会議員、総勢148名の超党派議員で普天間基地の真栄原ゲート前に集結をし、抗議決議集会をしたからである。

 しかし稲嶺知事は大会への不参加を表明した上で「市民大会の成功を祈る」とコメントした。不参加の理由は「市民大会だから」と全く情けないの一言である。多く市民参加が予想される大会にメッセージさえ託せなかった知事に失望した。県民を守る知事という立場で、今怒らないでいつ怒るというのだ。怒りの矛先は知事だけではない。

 現場で見たものはまさにイラクの現状によくある戦場というしか表現できない惨状であった。そこで行われていたのは軍事占領という米軍の超法規的な暴力支配であった。宜野湾消防に消火はさせておいて、鎮火したら排除、もちろん県警もそうである。原因調査をさせないとは国家主権の侵害である。

 また見逃していけないのは大学の自治をも蹂躙した。事故後、大学職員さえも入れず米軍は勝手に木々を伐採し、土壌ごと採取していく。現場に一本だけ残った、焼け枯れたモクマオウの木は「ここに落ちたんだ」といわんばかりに手の人差し指のように天を指している。

 それから副知事や国会議員である嘉数知賢防衛政務官も現場に入れない。米軍に制止させられUターンしたのである。そのやり取りにも愕然とした。どうして「俺は防衛政務官だ。通しなさい」「副知事だ、入れなさい」と何故押し入らないのか?唯一要人で米軍に詰め寄ったのが伊波宜野湾市長であった。

 米軍は現場を写そうとするカメラにも「ノーピクチャ ノーピクチャ!」と拒み、ビデオにおいてはフィルムを奪い取ろうとする始末である。川口外相は「フィルムの押収は可能」と9月7日の参院沖特委で発言するが、撮影妨害行為とフィルム要求行為は完全な違法である。仮に警察権が存する場合でもこのような行為は許されていない。ましてや米軍には基地外での警察権は存しないものであるからなおさらである。それだけではない、米軍は大学の許可を得ずに無断で大学構内に入り、立ち入り禁止区域を設定して大学関係者、警察、住民の立ち入りを禁止したこと。そして3日目に大学に許可なく敷地内の木を伐採し、機体残骸を搬出した行為。また県警が検証令状を得たにもかかわらず、米軍の同意がないとして検証を実施しなかった行為等、日米地位協定に違反する行為だらけである。

 我々は日米地位協定の改定をと訴えているが今回は日米地位協定を遵守されていない実態がある。さらに日米地位協定の大きな問題として墜落に関しての条項(対処方法)がないことも挙げられる。協定や合意事項など約束を守らなければ紙切れにすぎず、これでは全くの植民地でしかない。

 日米地位協定の抜本的改定も重要だが併せて、沖縄県の一般会計にも相当する日本政府が米軍へ提供し、米軍の駐留根拠である「思いやり予算」等6,000億円も今こそ見直しすべきである。

 事故後に地元新聞社が行った県民世論調査によると普天間基地の辺野古への移設に対し8割以上が「反対」しており、賛成の回答は1割にも満たない。

 それに対し知事は従来の方針を堅持する姿勢を崩していない。この世論と県政との乖離を知事は改めて認識し日米政府に声を荒げないといけない。沖縄の基地問題を取り巻く国際、国内、県内の環境も大きく変りつつある今こそ、知事は普天間基地を辺野古へのベターな県内移設から、県民が望む早期撤去であるベストの選択をするチャンスだ。そしてラムズフェルド国防長官が「歓迎されないところには配備しない」というならば我々県民も歓迎しないというパフォーマンスを継続していかなければならない。

 あの95年の米軍の集団による小学生レイプ事件以降、日米地位協定改定や基地返還運動も途絶えたわけではないが、今度こそ普天間基地を一日でも早く撤去し、人間が生まれながらに持っている生命・自由・平等などの権利を勝ち取るために県内外へ向けて行動を継続しよう。