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『一坪反戦通信』
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 第160号(2004年9月28日発行)


沖縄はもうだまされない! 普天間基地即時閉鎖!

辺野古の新基地建設を止めるために

(2004年9月4日)

主催:辺野古への海上基地建設・ボーリング調査を許さない実行委員会
講演 真喜志 好一さん(沖縄環境ネットワーク・世話人)

 皆さん今晩は。沖縄の今朝までの報告をしたいと思います。

 このポスターは今年の6月末に沖縄で開催された、第10回国際珊瑚シンポジウムに向け、日本語、英語で辺野古の問題を訴えるため作ったものです。こちらの新聞記事は8月13日ヘリが墜落した翌日の沖縄タイムスの紙面、一面、二面そして社会面と、これだけ紙面を取って大きく報道していて、オリンピックの記事なんてどこにもありません。これから1時間ぐらいヘリ墜落の現場の様子(スライド)を見ながら話しを進めていきます。

米軍ヘリ墜落事故
 ヘリ墜落現場です。沖縄国際大学本館ビルのすぐ脇に落ちています。墜落したヘリコプターはCH−53Dといい、ベトナム戦争の最中に開発されたものです。この間、墜落や部品を落としたり、様々な事故を数多く起こしています。墜落したヘリコプターは、尾っぽの部分とローターの部分とそれからどこかよくわからない部品と、本体と落っこちていました。尾っぽのほうが落ちたのは本体の墜落現場から330m離れた場所です。

 墜落直後の写真、これは宜野湾市役所のホームページのものですが、市街地の生活道路脇に胴体が落ちてきて、アンテナ、送電線を直撃。幸い通行人はだれもいなかったようです。赤ちゃんが寝ていた部屋です。窓ガラスを突き破ってさらに襖を突き刺し、破片がテレビに食い込んでいます。床にはガラスが散
乱しています。生後5、6ヶ月の赤ちゃんですが、お母さんと昼寝をしようとしているところに兄弟が電話をかけてきて「ヘリコプターが落ちるぞ」ということで、急遽外に飛び出して事なきを得たのです。墜落事故の直後から沖縄国際大学は、アメリカ軍の占領下にあるような様子を呈しています。墜落事件からしばらくの朝刊、夕刊をぱらぱらと並べて見たんですが、朝刊も夕刊も一面トップに連日載っています。明日市民大会が開かれることをまるで宣伝紙のように出ています。

公共事業が沖縄の環境を破壊
 ここからヘリ基地問題とからめ、沖縄の現状を報告します。まず沖縄の自然について触れておきたいと思います。珊瑚礁と亜熱帯の森、黒潮に抱かれている亜熱帯の琉球列島、これが珊瑚礁の島々であり、かつての琉球王国でもあります。島々が小さいので生態系も極めて繊細で、山の上でちょっと悪いことするとすぐ海に影響が出ます。沖縄が珊瑚礁の文化の島であることを僕は強調しています。隆起珊瑚礁の水を吸い込みやすい、乾きやすいところにきやすいところに人は住んで、珊瑚礁の地面に吸い込まれた雨が濾過されてわき出る泉があるのです。そして、沖合の珊瑚礁が台風の波を抑えて静かなラグーン、イノーを形成するのですですが、その静かなイノーが台風の時でも潮が引いた干潮の時には海に入り漁ができるのです。そこが沖縄の狭い島の生産力を補って、海草や、タコ、貝、魚などタンパク質を恵んでくれる海の畑であり海の牧場なのです。こういう島に僕らは支えられて生きてきたはずです。世界遺産である城(グスク)群も、全て隆起珊瑚礁の岩山の上に珊瑚でできた石によって築かれています。アカザーの漆喰も珊瑚を焼いて石灰にしてそこから作り出すものです。

 ご承知のように、沖縄には在日米軍基地の75%が集中していて、沖縄本島の20%を米軍基地が占めています。米軍基地が沖縄に集中しているその代償として、80%ないし90%という国庫補助金がついた公共事業が行われ、その公共事業が沖縄の環境を破壊しているのです。つまり、沖縄の亜熱帯の森と珊瑚礁という我々の生活の文化の元をなしているものが、基地がある結果として壊されていく、そういう現実があるのです。それを少し紹介します。

 山をまるはげにし畑を作り、林道を作る、こういうことが繰り返し行われています。畑の流末に赤土を貯めると称して池がありますが、全然役にたちません。そして、使いもしない林道が、ヤンバルの山に縦横に作られています。本来、沖縄の森は湿潤で湿った森です。それが林道を建設することで、風が通り抜けて乾いて木が枯れ、ますます環境の乾燥が進んでいます。そこに本来乾燥地帯に住んでいたマングースが入ってくる。そしてノグチゲラを捕食する、こういう悪循環が続いているのです。

 沖縄県の担当者たちは、マングースの北上をくい止めるために、フェンスを作ります。そうすると90%の公的補助がでます。つまり、沖縄の人が1千万円準備すれば、自治体は1億円の仕事ができるのです。そのことによって、僕たちの頭はどんどん悪くなっています。100円玉で千円分の買い物ができるわけですから、無駄遣いをしても得した気持ちになるということで、ヤンバルの山の中に使いもしない林道をどんどん作っています。さらに延べ200kmに及ぶ林道が予定されているのです。まさに復帰から32年、基地あるが故に9割の国庫補助があり、そのことによって僕たち沖縄人は、頭の1割しか使わない人間になっています。これが後一世代、2〜30年続くと1%の頭になってしまうのではないかと、僕は大変に心配をしており、そのことが僕の活動を突き動かしているきっかけなのです。

 山の乱開発、畑、林道作りだけじゃなくて、その他の工事を含めて赤土が沖縄の海を汚してきます。真水と塩水に、沖縄県がここまでの量なら流してもよいという赤土の量を入れてちょっとしたテストをしてみました。サンプルを作ってから5〜6年経っているのですが、二つを振ってみると、真水の中に溶かした赤土は舞い上がります。海水の方は少し舞い上がる程度です。近づいて見ると潮水に溶かした方は固まりになって沈殿していることがわかります。赤土の粒は非常に細かいので、動いている真水の中では沈みません。それが海に入っていくとマグネシウムだとかナトリウムだとかと結合して粒が大きくなって沈むことになるのです。

無駄な公共事業でズタズタに
 他にも無駄な公共事業が進んでいます。泡瀬干潟を埋める計画が進行中です。この計画も、工業用地ということで埋め立て造成が進んだわけですが、買い手あるいは借り手がつかない。国は、借り手がつかないのは港が浅いからだというふうに結論づけて、浚渫して大きな船が接岸できるようにしようとした。そして浚渫した土の捨て場がないので、埋め立てを行う。国が埋め立てを行って、沖縄県がその埋立地を買う。そこに道路を造ったり下水管を入れたり、水道管を入れたりというインフラの整備を沖縄県が行う。その造成された、インフラの整備された埋立地を沖縄市が買う。沖縄市は、そこにショッピングセンターやホテルを作る。こういう事業が進行中なのです。

 沖縄という島は、元々沖縄の先住民である我々の土地であったわけですが、日本政府によって占領されて以来、ズタズタにされてきました。

 今、また、企業によってもズタズタにされているのです。まさに植民地のような状況です。西表島にユニマット不動産(現在は別会社)によるリゾート開発が進んでおり、ほぼ完成しています。伊是名島の離れ島に屋那覇島というのがありますが、そこにも本土資本がくっついた業者が車エビの養殖をする計画があります。

SACO合意の裏に米軍の長期計画
 これからSACOという言葉を何度も使っていきますので、SACOについて話しておきます。the Special Action Committee on Okinawa『沖縄に関する特別行動委員会』と言ってますが、その頭文字をとってSACO(サコ)と言っています。そのSACOのバックグラウンドですけど、95年9月4日、今日と同じ日にレイプ事件がありました。県民大会があって、基地の整理縮小、地位協定の改定ということを沖縄県民は求めていきました。それを受けてアメリカ政府と日本政府がSACOを発足させたわけです。翌年4月15日に中間報告が出て、12月に最終報告が出ました。中間報告と最終報告は殆ど差がありません。普天間返還などを含む中間報告まで、わずか5ヶ月足らずで結論を出した。

 局地的とはいえ、米軍の軍事戦略にからむ普天間返還が、何故短い期間で合意されたのだろうか?私たちは、米軍の文書からSACO合意の背景を探るためのグループを作りました。宮城悦二郎先生、今年6月にお亡くなりになりましたが、琉大教授、元県立公文書館の館長をなさった方たちと一緒に、資料収集や、翻訳等を行いました。知花昌一、宮城康博さん達もメンバーです。調べた結果は、基地の整理縮小、あるいは沖縄県民のために基地を返還すると言っている裏には、実は米軍の長期計画があったのです。

 これは、SACO合意による返還される基地を示しています。ここの順番は、SACOの最終報告に記載されている順番を示しています。まず普天間が書かれています。何故か、北部訓練場、安波訓練場、キンバル訓練場、南から北へ記載が上っていきます。

 この順番は、実はオスプレイという飛行機を配備していくために普天間返還を考え、そして北部訓練場の整備を考えた、その痕跡を示していると思っています。バラバラに見えますが、それを米軍の立場に立って整理し直してみます。

 まず一つ目のグループとして、『病院や住宅など古い施設を更新する。新しくハウジングを作って、いらなくなった土地を返す。病院を別の場所に作って、いらなくなった病院の敷地を返す』そういう古い施設の更新です。二つ目のグループとして、『長期計画によって軍港を建設すること、辺野古の海上に基地を建設する』こと、三つ目のグループとして、先ほど言った『オスプレイを配備するに当たって訓練場を前もって準備しておく』こういう極めて合理的なグループ分けができます。

古い施設の更新
 58年に完成した海軍病院です。完成当時は東洋一の近代的な設備だと宣伝していましたが、今では手狭です。これは家族住宅の移設という、嘉手納基地から流れ出したデータですが、2千億円を超えます。返還するというのは、新しく住宅を作っていらなくなった土地を返すということなのです。そして海兵隊は家族連れの住宅を増やして沖縄に兵隊が来やすくするために、264戸更に加える。嘉手納基地は、一坪たりとも返還はしないわけですが、古くなった嘉手納基地の中の建て替えを1471戸、土地代を含まず一戸当たり5千万円を超える豪華マンションを建設中です。これらの費用は全部皆さんの税金です。

軍港の建設
 次に浦添の軍港建設問題です。これは米軍が作った浦添、那覇軍港の移設という表題がついています、パワーポイントデータですね。琉球新報がスクープしましたが、読み進んでいくと、『1969年に米軍と日本政府が那覇軍港移設問題について話し合った、そして日本政府は商業港として返還を求めた』と記されています。1969年というのは、その年11月に、佐藤ニクソン声明で『3年内に沖縄を本土に復帰させる』と声明を出した年ですから、69年の暮れに話し合いがあったと考えてもよいと思います。

 日本政府は、商業港、沖縄の僕たちが使う港として返還を求めたと書かれているわけですが、日本政府が沖縄のために率先してなにかいいことをしてくれたことは一度もないのに、本当に日本政府が求めたのでしょうか?具体的に調査を始めて、琉大図書館で一つの文書を見つけました。『工業用地土地調査沖縄』と日本語で訳された文書です。米軍がスポンサーとなってアメリカのコンサルタント会社に調査をさせた文書です。

 この文書全体は大きく二つの構成になっていて、まず一つは沖縄本島ですね、沖縄本島のほとんどに人が住んでいるし、米軍が占領していった所も工業用地を作るには土地が狭い。従って、沖縄の珊瑚礁の島の周りを埋め立てなければ工業用地が作れない。それでどの部分も埋めればよいかということが全体の前半部分を占めています。

 それから後半の3分の1くらいのところで、石油備蓄基地と港湾整理についてです、この中に突然、牧港が出てきます。牧港という小さな港がありますが、それは漁船だまりみたいなところで、牧港港の開発なんてあるはずがないんですが、つぶさに見ていくと、キャンプキンザーと呼ばれている牧港補給基地、那覇のすぐ北のほうにあって、南北3km東西1kmの大きな補給基地があります。その沖合を浚渫して、浚渫した土砂で埋め立てを行って港を造る計画図だったのです。

 文書の説明の中に、1966年にこの計画がスタートしたいということが書かれていました。宮城悦二郎先生が当時沖縄にあった機関の中に、高等弁務官室、今の日本の政治システムでいうと首相官邸みたいな、そういう部屋があってその中の復帰特別対策室が作った『70年1月12日』という文書を発見しました。更に70年5月に太平洋軍司令部からペンタゴンに送った秘密電報も見つかりました。

 これらの文書に書かれていることは共通しており、補給基地のすぐ近くに軍港を造れば、当たり前ですが便利で機能的だと報告しているのです。そして現在の58号線(当時1号線)は、当事デモ隊の通り道でしたので、『デモ隊に輸送を妨害されることもない』ということで、国防総省、アメリカ政府は、日本政府に対して、復帰に伴って『浦添沖に軍港を造ることを約束するなら、那覇軍港を返そう』そういうことを文書で強調しているのです。

辺野古を埋めるしかない
 次に辺野古の海上基地建設問題です。公式には沖縄県民の要求だから普天間を返し、その代わりに辺野古に建設するといってますが、辺野古はすでにキャンプシュワーブ、訓練場、辺野古弾薬庫という三つが結合した基地、軍になっています。

 先ほど紹介した高等弁務官、復帰対策特別室が作った文書の中に、このようなことが書かれています。『1965年に新空港、新軍事空港の建設適地を調査したところ、本部半島にある旧日本軍が造った飛行場を拡張する』か『久志湾(つまり辺野古のことですが)を埋めるしかない』と、こういうふうに書かれていたのです。1966年1月には、海兵隊が3000mの飛行場を計画した図面が見つかりました。

 一方、米軍は基地ごとにマスタープランなるものを作り、それぞれの基地機能を維持するだけじゃなくて、近代化し強化することをずっと計画を続けていたのです。これはキャンプシュワーブの87年のマスタープランです。横浜の梅林先生が発掘したものです。この中に『キャンプシュワーブ、辺野古弾薬庫、訓練場、これらの区域から爆発物を沖の船にヘリコプターで空輸したい』と書かれています。しかし米軍内部の安全基準で、弾薬庫や居住地からおよそ半径300m以内での吊り上げが禁じられていて、自らの安全基準で空輸ができない。それで爆発物の空輸を実現することが、海兵隊の長期的な課題と書かれています。

 97年9月29日、『海上基地に関する国防総省の最終報告』という文書が出てきました。日本政府がどのような基地が欲しいかということを示したという性格の文書です。海上基地と陸上は二つの橋、道でつながっており、飛行場本体から300mほど離して、弾薬吊り出し用のヘリポートも作るというようになっています。爆発物の空輸を実現するということが盛り込まれているのです。

 滑走路の向きについては、1966年の計画と同じだと書かれています。つまり、今辺野古に米軍が求めている海上基地計画は、66年の計画を温め続けてきたということがわかります。そこには桟橋も書かれています。現在海兵隊員はキャンプシュワーブ、キャンプハンセンからホワイトビーチまでトラックで移動していって、船に乗り込んでいますが、実現すれば目の前の海から乗り込めるようになるのです。

 2002年7月、日本政府が決めた計画は、全長が2500m、国防総省案に従うように、二つの橋で繋がっています。ところが日本政府は、非常に巧妙な言い訳をしています。一本は軍用、一本は民間用。明らかに66年の計画が連続しています。この新しい海上基地ができることで、辺野古は三つの機能に空と海が加わった出撃基地に強化されていくのです。

オスプレイの配備
 米軍は従来のヘリコプターに代わる、オスプレイという飛行機を開発中です。ヘリコプターに比べて3倍の荷物が積め、2倍の速度、5倍の航続距離があります。船に沢山積み込めるように、羽やプロペラを折りたたんだりできるようになっています。

 過去に15機生産して海兵隊に納入した中で、4機墜落していて乗員で助かったのは一人もいないというすごい飛行機なのです。オスプレイの配備計画表をホームページで見つけました。普天間の部隊とハワイにある海兵隊の飛行隊のローテーションが書かれていて、最終的に沖縄には36機が配備されることになっている。
北部訓練場の北半分を返還する返還条件として、7箇所のヘリパッドがあるので、それを南半分に作り直すという条件が付いています。南に残っている部分は、ゲリラ、亜熱帯の森でのサバイバル訓練などをしているのです。辺野古の海上基地の位置と、周りの訓練場、ブルービーチにも新しくヘリパッドを作っており、パラシュート訓練も伊江島に移ることになっています。そして嘉手納と。

 これらをカバーする扇の要の位置に辺野古があるのです。このようにSACOの合意は、米軍基地を整理縮小するためではなく、米軍の長期計画に従って強化近代化するものであると結論づけられます。

 オスプレイは、先ほど紹介したように、しばしば墜落しており、ものすごく墜落率の高い、とんでもない飛行機です。もしそれを、普天間に配備すると、格納庫を造り直さなくてはいけない、墜落でもさせようものなら普天間返還だけではなく、沖縄の全基地の返還を要求されてしまう。それで、日米両政府はこのようなことを考えたのではないかと。普天間の返還要求を沖縄側から強く出させる、実際に正直に沖縄は強く出しています。

 大田さんが知事の頃、1996年7月に沖縄県は『基地返還アクションプログラム』というのを作り、2015年までに全ての基地を返還させる、その第一期に普天間を位置づけておりました。普天間返還要求は、沖縄県の行政上の強い要求であるというのが作られました。橋本総理がそのころにアメリカに渡ってクリントンと会っており、そのころ大田さんは何度も普天間返還を口にしております。そのように沖縄側からの要求だということで、普天間を返還する、代わりにかねてから欲しかった海上基地を作る、そういう構図にしたのだろうと。

ジュゴン訴訟
 私たちは、アメリカで去年9月26日、ジュゴン訴訟を起こしました。アジアタイムスというアジア系新聞がイラスト入りで報道して、『ラムズフェルドの沖縄の新しい憂鬱』という題がついています。ラムズフェルドは、去年11月に来日しています。来日の大きな目的は、イラク戦争に日本を参加させること、日本から金を引き出すことが目的だったのですが、沖縄まで出向いています。

 沖縄まで出向いて「普天間は危険だ」という発言をし、ヘリコプターに乗って「辺野古って美しい海だ」と、こういう発言をしています。わざわざ沖縄まできたのは、ラムズフェルドが被告になっているから沖縄まで足を伸ばしたと思います。アメリカの裁判で、ジュゴンを原告の筆頭にして、いくつかのグループ、個人、さらにアメリカの自然保護団体が二つ加わっての訴訟です。

 どのような裁判かというと、アメリカに国家歴史遺産保護法という法律がある、この法律によると、『アメリカ政府は国外で行う行為において海外のいかなる文化財保護法も犯してはならない』という規定があり、『その法律に違反したときには何人も米国を訴えることができる』ということでジュゴンも僕たちも原告になることができたのです。

 ジュゴンは、日本の文化財保護法で天然記念物に指定されています。それで、海上基地建設にあたってジュゴンの保護策を示せ、国防総省の構想の中にジュゴンにつて1行もふれられてないから、保護策を示しなさいと主張しているのです。この保護策と海上基地ということは、辺野古の海がジュゴンの餌場になっているわけですから、保護策と海上基地建設は両立しない、つまりは作れないということを僕らは訴えているのです。

 それに対して、アメリカ政府から面白い答弁書が出てきました。1945年、沖縄戦から占領までの歴史を述べて、『72年まではアメリカ軍が沖縄で自ら基地を作り、自ら使ってきたが、72年からは日米地位協定によって日本政府が基地を作って提供しているので、アメリカ政府はこの基地建設に関係してない。だからこの裁判はなりたたない』こういうことを主張しています。

 僕らは証拠を提示し、『66年の図面がある、そのころは日本政府は沖縄の基地問題に口出しができなかった、アメリカ単独の計画である。そのアメリカ単独の計画を、97年の国防総省計画の中では滑走路の向きを踏襲している。日本政府は埋立計画をするに当たって国防総省の計画を引き継いで二つの橋でつないでいる。計画は繋がっており、アメリカ政府の関与は明らかだ』と、こういう主張をしています。今年の3月15日に裁判所で進行協議みたいなことが行われて、17日国防総省が資料を出し、我々が反論の文書を出し、国防総省が改めて主張の文書を出し、8月4日に裁判官の前でスピーチをしています。

国際珊瑚礁シンポジウム
 次に、日本政府・那覇防衛施設局が行おうとしている、ボーリング調査についてふれていきます。4月19日早朝、防衛施設局の車がたくさんきて、押し合いへしあいして追い返した。その後スクラムをくずさないで現在のテント小屋に繋がっているわけです。

 こういう現地での実力阻止行動をしつつ、国際珊瑚礁シンポジウムが沖縄で開かれたので、そこに向かってもロビー活動を展開していきました。『心に海染みり』カラーパンフ、英語、日本語両方で書いています。コンベンションセンターで会合があって1400名ほど人が、世界中80ヶ国以上から集まりました。

 その中で白保ツアーを企画して沖縄の海を実際に見せる、そういうことを3日間に渡ってやりました。その中で、アメリカの水産庁の役人みたいな人に、辺野古の海を見せ、船で沖合に出て島に渡らせて素潜りもさせました。彼らは、辺野古の海を見て、「こんな美しい海に飛行場を作るとはアメリカ政府はけしからん」と、こういうことを発言されたり、テレビのインタビューに答えたり、そういう成果を得ています。

 そして辺野古の埋立反対という決議をし、それと同じ文案の署名を募ったところ、およそ1400名の参加者の中から889名を集めることができました。それらのロビー活動を背景に、大会宣言文の中に『珊瑚礁の破壊の原因に埋め立てがある』ということも明記させ、そして結びのところで、『これ以上の破壊は許さない』と入れました。この文言が入ることによって、大会宣言が泡瀬干潟の埋め立てをくい止める、辺野古の埋め立てをくい止める、そのための道具に使えるような大会宣言になったのです。

ボーリング調査を阻止するために
 4月19日から始まった座り込みですが、9月6日、明後日、月曜日に141日目になりますが、Xデーの可能性があるということがメディアから伝わってきています。多分、那覇防衛施設局がリークして、我々の出方を見ていると思います。

 今回のボーリング調査は、護岸の構造=護岸の高さや巾を決めるためにボーリング調査をするという名目ですが、実は護岸の巾や高さというのはボーリング調査をしなくても決まるんです。海の深さと波の高さがわかれば決まるので、これまで文書開示請求をして文書を開示させてきた中身を検討すると、すでに詳細な図面が書かれています。この図面の開示請求を9月2日に行いました。9月3日、住民説明会が開催され、開催の意味を薄めるために、護岸図面の開示請求をしました。

 もう一つ、辺野古の海域は、日米地位協定3条1項なるものによって、日本政府がアメリカに提供している訓練水域です。その訓練水域をボーリングのために日本政府が使うためには、米軍の許可を取らなければならないというねじれ現象が起きています。海兵隊の司令官にその許可を出すな、取り消せという要請も出しています。

 環境原則に関する共同声明というのが、日米合同委員会で、つまりは、米軍が環境をちゃんと守っていく、日米両政府の環境関係の法令のうち、より厳しいほうの法律を使って環境保全を図れ、こいうふうな声明を出しています。これを盾にしてキャンプシュワーブに申し入れをしたわけですが、先ほど言った、陸地は提供された区域であると、海は訓練水域として提供されたと。

 今、那覇防衛施設局は辺野古の漁港から調査船を出せないので、キャンプシュワーブの中から出そうとしています。仮の桟橋でも造るつもりでしょう。それに対しても許可を出すなということを司令官に訴えました。ねじれで気持ち悪いですけど。

 8月31日に名護市議会に説明をしにいった、防衛施設局は説明をしたんですね、約半数が出席を拒否しています。護岸構造の検討のためのボーリング調査と言っているわけですが、すでに概略設計、そして工事費がいくらかかるかも積算されている。すでに防衛施設局が我々に6月に開示した図面です。護岸もすでに決まっている。図面そのものを開示請求したところで、おそらく彼らは延長できる期限ぎりぎりまでのばしてくるだろうから、照屋寛徳議員に議員調査権で資料をださせるという話しで文章を出したということです。

 9月6日早朝、調査に入るかどうか、現場での実力、そして文書開示で秘められたものを表に引っ張り出す等、さまざまな闘いを駆使し、辺野古沖の海上基地建設阻止に向け頑張ります。



テープおこし・編集 一坪反戦通信編集部
 真喜志好一さんは「電子紙芝居」=パソコンで作成した図解資料を使って、辺野古の歴史的・今日的建設問題をわかりやすく解説しました。そのため文書のみでは不明な点があると思いますがご容赦ください。