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『一坪反戦通信』
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 第159号(2004年8月28日発行)
 

「我々は8.13を忘れない」

——8.27米軍ヘリ墜落抗議集会ーー

 八月二七日金曜日午後六時半から、六本木の三河台公園で「米軍ヘリ墜落抗議・普天間基地返還要求集会」が開かれた。主催は辺野古への海上基地建設・ボーリング調査を許さない実行委員会。この集会に至るまでの、八月一三日前後の東京周辺の動きを、分かっているだけ、かいつまんで紹介したい。

 八月二日、平良夏芽さんが辺野古現地のジリジリとした思いを引っさげて単身東京へ乗り込んできた。議員会館前で座り込みを始めたことがきっかけで、その意思を引き継いで、ジュゴンとヨッシーの家グループ、キリスト者、その他女性団体や個人による座り込みが続けられている。

 そんな中、八月一三日、普天間基地の米軍大型ヘリが、沖縄国際大学に墜ちた。「戦争が始まった!」と周囲の人々を恐怖に陥れたこの墜落炎上事故は「とうとう」「やっぱり」「ついに」「起こるべくして起こった」と言われた。誰もが予測していながら防げなかった今回の事件の重大さと恐ろしさは、しかし墜落事故以上に日本政府と米軍の対応にある。事件現場を直ちに封鎖し、県警の立ち入りすらも制限した米軍。米軍への抗議はおろか沖縄住民へのコメントも出せない政府。あまりに沖縄を愚弄している。

 事故発生後、東京では個人、グループでアメリカ大使館への抗議行動が続いた。

 一六日、一坪関東ブロック、アメリカ大使館前で抗議書を手渡す。

 二〇日、実行委員会、大使館前で抗議行動。参加団体十数組が各々の抗議書を突きつける。

 二三日、新宿駅西口で約七十名のメンバーが参加して街頭宣伝活動。用意したチラシ二千枚を一時間で配布終了。カンパが三万八千円集まる。

 二六日、沖縄選出議員による「米軍ヘリの沖国大構内への墜落事故に抗議する緊急国会集会」に約四百名集まる。十一名中六名の野党議員の出席で、自公の議員は出席せず。院内集会会場から溢れた人々が、一階受付ロビーで待機するほどだった。

 そして二七日。集会は、五十名程の私服刑事と、警察官や警告灯が点滅する警察車両に囲まれる物々しい雰囲気で始まる。主催者挨拶で一坪の上原成信は「ほとぼりが冷めるのを待つという政府の態度に対抗するには、持続するこちら側の闘いしかない」と語った。

 現地宜野湾市から駆けつけた桃原功氏(市議会軍特委委員長)は、発生直後の現場の生々しい状況を報告。「首長すら現場に入れない。まさに治外法権下。沖縄は事実上の有事法制のもとに措かれている」と怒りをあらわにした。

 「命を守る会」の宮城保氏も緊急参加。「辺野古では三十人から四十人で日本の権力を相手に安保を止めている」「皆さんからたくさんのカンパを頂いたことは大きな励みになる。この場で心から感謝を述べたい」と挨拶した。

 連帯挨拶では、東京沖縄県人会青年部と立川・反戦ビラ弾圧救援会、東京全労協の三団体。

 最後に事故現場に行ってきたワールドピースナウの高田健氏もマイクを握った。「沖縄の人々に、東京の反応はどうかと必ず聞かれた。私は恥ずかしさでいっぱいです、なんの動きもなかったことに。でも九月一一日には以前から準備していた集会がある。そこで精一杯のアピールをしたい。諦めないで、沖縄の怒りを自分の怒りとしてこれからも行動していきたい」と締めくくった。

 集会後、日比谷公園まで約四十分のデモ行進。心配した雨も降らず、エイサーの三線、日本山妙法寺の太鼓、ヨッシー達の打楽器と歌声、「普天間基地を返せ、辺野古の基地建設止」のシュプレヒコールが、霞ヶ関の夜空にこだました。

 この日の参加者約三百名。   
                    
(通信員)