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『一坪反戦通信』
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 第159号(2004年8月28日発行)

平良夏芽さん

緊急国会前座り込み 報告講演


8月2日(月)午後7時30分〜 
会場 ルーテル市ヶ谷センター・ホール

八年の歳月の上に今がある
 私のことを、先ほどから辺野古の座り込みの先頭にとか、中心になっている人という紹介を頂いたんですが、中心はあくまで辺野古のおじい、おばあです。金城祐次さんを代表とするおじい、おばあが八年間そこで座ってくださった。そのことなしには、私たちの今の座り込みはあり得ないし、今の座り込みもおじい、おばあがいなかったらあり得ないんです。

 考えてもみてください。いろんな価値観を持った人々や、違う政党、団体の人間が一日十時間近く、百日間も顔を合わせていざこざが起きないわけがない、普通はね。ところが辺野古の座り込みではほとんどトラブルが起きない。なぜか。それは、今トラブルを起こしたら、結局、得をするのは戦争屋だ、泣くのはおじい、おばあだってことをみんながわかっているんです。

お腹がすく辺野古の海
 辺野古の海がどういうものか、写真を回しますのでご覧になったらよくわかると思いますが、大変きれいな海です。いろんな調査によると、海のきれいさ、重要さでランク付けすると、辺野古の海は第一級に分類されるそうです。変なたとえですが、私は舟から辺野古の海中を覗いているとお腹がすいてくるんです(笑)。青くて透明でおいしそうなお菓子のゼリーに見えるんです。とにかく非常にきれいな海です。

 珊瑚礁はあまりなくて、ほとんどが砂地です。そこに藻が生えている。「うみくさ」です。海草(かいそう)と「うみくさ」の違いは、海草はもともと海にある草ですが、「うみくさ」は陸に生えていた草がゆっくりと海に入っていって「うみくさ」になったものだといいます。辺野古の海にはこの「うみくさ」がいっぱいあって、それがジュゴンの餌になっている。

 ジュゴンの生態はよくわかってないようです。ただ非常にデリケートな動物です。オーストラリアでは、ジュゴンの保護海域ではエンジン付きの船を走らせることすら禁止されているそうです。沖縄のジュゴンは、沖縄固有種で、世界に五十頭しかいないそうです。これは生物の常識からいうと、絶滅しているのに等しいらしい。現状維持だと、絶滅するそうで、絶滅させないためには特別の保護策が必要なのです。

ジュゴンは可愛い、でもひとの命はもっと大事
 私は沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団という組織の事務局長をしています。その私がこんなことを話すのは許されるかどうか、でも、あえて言いましょう。私はジュゴンの命よりひとの命の方が大事だと思っているんです。ジュゴンは大好きです。だけど、申し訳ないけどジュゴンの命よりひとの命の方が重いんです。

 非常に残念なことに、ひとが殺される、殺されていく、ひとの生活環境が破壊されていくんだよというメッセージはなかなか伝わっていかない。おじい、おばあが苦しんでいる、死んでいくという状況はなかなか共感を得ていかない。だけどジュゴンが死んでいくんだと言うと、世界中が注目する。なぜそうなのか、わからない。非常に複雑な思いです。

 しかし、ジュゴンが棲めなくなったらひとだって住めませんよね。人間が自然を守るなどと言うのは、実はおこがましいのではないか、と、常々私は思っているんです。人間は自然を破壊し、人間も絶滅するかもしれない。でも、長い年月の間に自然は必ず生き返ります。自然は人間よりはるかに強い。人間は自然に守ってもらっているのであって、人間が守らなければいけないものではありません。人間が健全に生きていくためには健全な自然が残っていないと、逆に人間がヤバイということなんじゃないか。

 辺野古の海にはジュゴンだけでなく、大きなウミガメもよく泳いでいます。車のCMでウミガメと一緒に泳いでいるシーンがありますが、私は何度かあれに似たことを経験しています。ウミガメはこちらが攻撃しなければ向こうから近寄ってくるんです。

 そんな素敵な海を、人殺しの基地にしようとする計画はどうしても止めなければならないんです。

日本に戦後はない、未だ戦中です

 辺野古の闘いは地域エゴの闘いではありません。我が町や村にイヤなものをもってくるのはイヤだということではなくて、これ以上人殺しや戦争に加担させられるのはイヤだという叫びなんです。

 沖縄から三千名の米兵がイラクに行きました。米軍はファルージャで病院を占拠して入院している人々を全員追い出し、米軍専用の病院にしてしまった。その病院は、昨年の五月、私たちが医薬品を届けた病院です。また七百人ものイラクの人々を虐殺したのは、沖縄から出て行った米兵たちです。そんなことを私たちはずっと経験し続けているのです。

 ここでちょっと意地悪な質問です。戦後生まれの方がいたら手を挙げてください。はい、今、手を挙げた方は全員不正解です。ここには戦後生まれのひとは一人もいません。まだ戦時中です。まず、その認識を変えてほしい。日本には戦後生まれは一人もいません。アメリカは米本土が空爆されなくても自国が戦争しているという事実は知っています。しかし、日本人のほとんどは、自分の国が戦争しているという事実や加害国だという認識が人々の間にはほとんどない。

 しかし、沖縄にいるとよくわかります。自分たちが加害者だということが。沖縄から具体的に人殺しが出て行くわけですから。そのことに苦しい思いをして「もうこれ以上こんな思いをするのはイヤだ」という叫びが辺野古の座り込みなんです。

那覇防衛施設局との暁の攻防
 那覇防衛施設局はついに、四月一七日記者会見して「一九日の午前九時からボーリング調査の前段である海底調査を行う」と発表しました。私たちは彼らに何度も騙されてきたのでこのときも信じませんでした。記者会見の日からすぐに泊まり込みを開始して、二十四時間態勢の警戒を始めました。

 一九日の朝は、笑い話になるかもしれないが、五時前には集まろうよとみんなで声を掛け合って、まだ真っ暗な四時半に五十人近くが集まってきました。いくら何でも早すぎたねなどと、幾分緊張しながら、でも笑いながらゆんたく(おしゃべり)していたら、五時一五分に施設局が二十台の車を連ねてやってきた。

 本当にショックでした。「ほんとにこんなことするのか!」と。五十人が必死になって並んだが向こうの方がはるかに人数は多い。警察もどんどんやってきました。もしかしたら止められないかもしれない。その時「カヌー隊、準備しろ!」と声が上がりました。午前五時半でした。

 陸上で施設局を止めることができなかったら、調査船が出て行く漁港の出口をカヌーで塞ごう、何でもいいから船が出て行くのを止めようという思いで、一年間準備してきたカヌーでした。この日の海は大荒れで、別の港では二隻の船がひっくり返って二人亡くなっています。

 まだ真っ暗闇の中、七隻のカヌーが死にものぐるいで漕ぎ出して行きました。漁港の出口を塞ぐこと二時間、カヌー隊は二時間そこで踏んばっていましたが一隻カヌーがひっくり返った。陸では隊列をずっと組み続けていて、施設局職員に「こんな波の荒い日に海に出るのか。ほら見ろ、漁港の中でもカヌーがひっくり返るほどだ。海に出て事故が起きたらどうするんだ!」と激しく詰め寄った。それでこの日は、船は出さないと決まった。

 ところがふっと気がつくと、漁港の敷地内で何か工事をしている。最初はなんだかわけがわからない。船を阻止するということで頭がいっぱいになっている間に、フェンスのようなものが作られていた。何をしているのだと業者に聞いたら、ボーリング調査のための作業ヤード(資材置き場)の柵を作っているのだという。それからまた騒然となって、慌ててその作業を中止させ業者を帰らせたのが約十時頃でした。施設局も警察もいなくなって、こちらがわも仕事のあるひとは帰って行きました。

 今後のことを十人くらい残って相談してたら、十一時頃に再度施設局の車が二十台ほどやってきたのです。この時は、百日の座り込みの間でたった一度だけの衝突があった。殴る蹴るは無かったが突き飛ばしはあった。漁港内に入った業者や施設局職員を体当たりで十メートル近く押し返し、追い返しました。「今日はもう工事はしないと約束したのになんて卑怯なことをするんだ」と説得したんです。後にも先にも衝突があったのはこの時だけです。この時から座り込みと見張りが続いているのです。

施設局は授業料を払いなさい

 今まで施設局は三十回近くきました。これが対峙している写真。おそらく皆さんが予想しているのとは全く違うはずです。施設局がきたら、道路に出て車を止める。「車から出てください。話をしましょう」と一緒に座ってお茶を飲みます。長いときには二時間半、穏やかに話をします。施設局は「とにかく作業をさせて」とだけしか言いません。私たちは最初の頃は、住民説明会をなぜしないのか、正しいことをするのであれば正々堂々と説明したら良いだろうと言ってきた。施設局はその時「説明会は行いました」と言った。何かというと各区の行政委員だけを呼んで他のすべての人を排除してやったわけです。何を話したのかわかりません。もしかしてお金を配っていたのかもしれないが本当のところはわからない。

 しかし現在は、逆に住民説明会が向こうの都合のいいようにアリバイ的にやられるのは困るので、その要求は口に出さないことにしています。集会のシュプレヒコールにも説明会を開催しろというのは、みなさんも言わないでください。

 施設局職員にはイラクの子供のこと、派遣された米兵のこと、そこで何が起きているかを一時間から二時間、毎回話しています。嘉陽のおじいは、「施設局は毎回立派な講義を聴いているんだから授業料を払いなさい」と言っています(笑)。

「あなたには人殺しになってほしくないんだ」
 私たちにずっと対応している施設局の和泉土木課長はウチナーンチュと結婚して、沖縄に一生住むつもりで浦添に家を建てたひとです。

 沖縄が好きだと言って移住してくる日本人はいっぱいいます。しかし、もし沖縄が戦場になったら、本当に沖縄がヤバくなっても沖縄から逃げないか? と、私は彼に言います。ウチナーンチュは何があってもここで生きるしかないんだよ、どこにも逃げるところはないんだよと。あんたはほんとに逃げない覚悟はあるのかと聞くと、和泉さんは言葉に詰まっていました。

 私たちは職員と対話することによって人間の信頼関係のようなものが出来てきました。不思議なもので、私はだんだんと和泉さんが好きになった。大事な人間になったのです。「あなたがたは私たちにとって必要なひとだ」というような、まるでサン・テグジュペリの『星の王子様』の中のセリフのように。「和泉さん、あなたには人殺しになってほしくないんだ。後ろにいる若い人たちもみんなそうだ」その言葉に、施設局職員は涙を流して帰って行くわけです。

 このような人間関係が出来てくると今度は別の心配が出てきます。施設局の担当者たちは、幹部の命令と辺野古住民の間で苦しんでいる。仕事と良心の狭間で苦しみ、神経が壊れて自殺でもしたらどうしようと、私たちも真剣に心配しているんです。

テント村の勝負は五秒間
 そんな反面、この状況を楽しもうとする気持ちもあります。私たちの自称「テント村」は施設局に常に監視されています。キャンプ・シュワブの中にある建物から、絶えず双眼鏡で私たちを見ている。私たちの動向はバレバレなんです。

 私たちもバードウォッチング用の望遠鏡で施設局の方を覗きます。目が合うこともあります。私たちが手を振ると、向こうはサッと身を引く(笑)。紙に大きく「今度いつ来るの?」と書いて見せたりして楽しむこともあります。

 施設局の車が見えてから港に達するまで十秒から十五秒かかります。ボーッとしてるとアッという間に突破されます。施設局を漁港内に入れないというのが座り込みの大きな目標ですから、突破されるのは絶対に避けたい。しかし、朝七時から夕方まで同じところをずーっと見張っているのは、実にしんどいことなんです。

 先日参加した、剣道五段だか六段だかというひとが「素人はずっと見ていないと見えないからねえ。訓練してるひとは横まで全部見えるよ」と言うので、「じゃあ、あんたが見ていてね」と頼みましたら、彼は途中から寝ていました(笑)。

 テント村のテントは四つあって、三つは参加者が座るところ。一つは見張り役と指揮を取る私たちがいる見張り小屋です。施設局が来たときのために三つのケースを想定して、それに応じた準備をしています。

1)施設局だけが車二、三台で説得に来るケース。
2)四月一九日のような業者連れで車何十台のケース。
3)機動隊連れのケース。以上の三つを想定している。
 1の場合、「来たぞ!」の声で五秒以内にテントで並ぶ。責任者だけが道路に出て車を止め、話をする。みんなが出てきてワイワイやると、どうしても粗くなってしまう。粗くなると機動隊導入のきっかけを与えてしまうかもしれない。

 なぜ五秒以内か。施設局の車を認知するのに数秒かかる。さらに1のケースか、それとも2かと、判断するのにも数秒かかる。それから声を出すときにはもう五秒前になっているんです。2の場合は、テント村の責任者が声をかけたら、参加者は一斉に道路に出る。

座り込みは反対運動ではなく、阻止行動
 午前中のオリエンテーションで、みなさんに説明します。このテント村は、激励する場でも、平和学習の場でもありません。施設局が来たときに五秒以内に阻止態勢をとらねばならない「闘い」の場なのですと。

 いざという時、「私のゾウリどこいったかねえ、バッグはどこか」などとウロウロしてると、間に合いません。「全員並べ!」と声をかけて並べなかったら、手遅れです。裸足でもとにかく五秒以内に道路に出て、スクラムを組む態勢を作ってほしいと、いつも話しています。時々はその練習もしています。さらにもう一つ申し上げているのは「ひとにはいろんな考え方や立場があるので、そこまで覚悟していないひともいるでしょう。そのこと自体は誰も責めませんが、イザという時、右往左往すると困るので、今決断しておいてください、スクラムを組む覚悟があるか、それがなければ後ろの空き地に逃げるかを。

 私たちのテント村は、将来、機動隊が導入される場所です。このままずっと、私たちが座り込んでいるのを政府が黙って見ているわけがないじゃないですか。そのときのためのことも考えています。

 機動隊が導入されたときは、全員その場に座る。ゴボウ抜きされるときは、絶対に機動隊に暴力を振るわないこと。スクラムから引き離されるときはそのまま引き離されてください。ゴボウ抜きは逮捕ではないので安心して引き離されなさいと言っています。

 陸で止められなかったら海で闘います。カヌーを海に出して、ライフジャケットを持っているひとたちが堤防を走って海に飛び込むという打ち合わせまでしています。

 辺野古で座り込んでいるのは反対運動ではなく「阻止行動」をしているひとたちです。反対反対と言うだけのひとはテントにはいない。絶対止めるという覚悟のひとたちです。

テント村は九月まで待てなかった
 この時期になぜ私がノコノコと東京まで出てきたか。テント村で座り込みのみんなが帰った後、金城祐次さんと話しています。「今日も無事終わって良かったねえ、でも疲れたね。いつまで続くのかねえ、これが」と。「百日集会が終わったら、二人で国会前に座り込みに行こうか」という話になって、でも、祐次さんを東京に行かせるわけにはいかないから、私が行ってくるから祐次さんは沖縄で待っててと。

 九月に集会をやって、国会前座り込みをしようという計画もあります。でも、テント村は九月まで待てなかったんです。みなさん、今日一日国会前で座って疲れませんでしたか?炎天下で空気も悪い。座り込む環境は辺野古より悪いかもしれない。でも、あの場には機動隊は来ません。防衛施設庁も突入してきません。辺野古の座り込みはそういう緊張感の中で、ずっと続けられてきたのです。一日一日がギリギリなんです。何人も入院しました。疲れ果て燃え尽きて、倒れて行ったひとたちがいます。

 このつらさしんどさを、東京に知ってもらって訴えてこないと、とてもこれ以上、頑張れないと思ったからやってきました。

 そして今日は本当に嬉しかった。あんなにたくさんのひとが集まってくれました。七十五人ものひとたちが一緒に座ってくれて、一日で延べ二百人を超えているんじゃないかと思います。こんな急な無茶なスケジュールで、ウィークデーの昼間に二百人以上ものひとが来てくれた。その背後には、想いを持ったひとたちがさらにたくさんいるだろうと思ってます。

 この想いを持って私は辺野古に帰ることができます。

ミイラになるまで闘えというのか
 辺野古にいてなにが一番つらいか。もしかしたら私たちは忘れ去られて、孤立しているのではないかという不安です。私たちがこんなに頑張っているのに、東京のひとたちがなにも知らなかったとしたら、仲間であるはずのひとたちですら、何も知らなかったとしたら、この後の闘いがわからなくなる。五百日、一千日座っても、東京で声が上がらない限り、白紙撤回はあり得ない。私たちは死に絶えてミイラになるまで、ここに座っているしかないのかという不安を抱えて、それを確認しにきたのです。でも、そうじゃないということが今日確認できました。受け止めて気にしてくれるひとたちがいるということがわかりました。私たちの闘いは、千人、たとえ一万人が座り込んだとしても白紙撤回を勝ち取らない限り、終わりはありません。

 二十七年間、耐えて耐えて、やっと勝ち取ったと思った施政権返還はあんなひどい仕打ちだった。この三十年間本当に立ち上がれなかった。諦めていた沖縄人が、いまやっと立ち上がり始めているんです。「もう一回かけてみようか」と思うひとたちが少しづつ増えてきている。これで基地建設を止められなかったら、もう沖縄はあと半世紀立ち上がれないでしょう。何をやっても無駄なんだという無力感にとらわれるかもしれない。日本もそうでしょう。白紙撤回にはいろんな意味があるのです。

それでも希望はある!
 大西照男さんが次のような素晴らしいことを言ってくれました。あの辺野古の緊張の中で語られたから尚更ですが。

 「(機動隊に)突入されるかもしれないねえ、いつかは。でも、作業は一日では終わらない。次の日には沖縄中の仲間たちが駆けつけてきてくれるよ。日本中の連帯する人々が飛行機を乗り継いできてくれるよ。そしたら二日目からは阻止できるはずだよ」

 私はこの言葉を、ほんとに有り難く希望を捨てないでやっていけるものとして聞きました。それまで、座り込み現場では、一分の隙も作ってはいけないと悲壮感漂う緊張感で苦しかったのですが、自分たちが止められなくても、二日目、三日目からは意思ある人々が駆けつけて来てくれるだろうという気持ちの余裕がでてきました。

 ですからみなさん、沖縄に駆けつけるための費用は今から準備していてくださいね(笑)。どうしても金が貯まらず、沖縄に駆けつけられなかった方は、国会前に集まってください。これで止めきれると思います。やってみましょうよ。

  (テープ起こし・編集 一坪通信編集部)