軍用地を生活と生産の場に!
沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック
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『一坪反戦通信』
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 第157号(2004年6月28日発行)

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 私が初めて沖縄に行ったのは、九四年七月、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックが組んだ沖縄ツアーに参加したときでした。その当時、私は地主ではありませんでしたが、このツアーで、沖縄反戦地主の闘いについて理解を深めることができ、このときから私は、沖縄の闘いを意識し始めました。

 九五年九月に米兵による少女レイプ事件がおき、太田知事の代理署名拒否、九六年、「象のオリ」内の知花さんの土地を国が不法占拠する、そして次々に裁判、息つく暇もないほどの闘いが続きました。この間、何度か沖縄を訪れ、原則を貫きながらも柔軟な沖縄の闘いに新鮮さを感じました。そして、沖縄からの訴えに応えることは、身近な問題に取り組むことだと考え、横田基地の飛行差し止め訴訟団の原告に加わりました(九六年)。前訴訟団長(現名誉団長)・福本龍蔵さんが「軍用機のエンジンの音が増大すると、何かが始まる、と判ります。フェンスの向こう側は戦場なんです。私たちは戦場と隣り合わせに暮らしているんです。」と語られたことばが脳裏に焼き付いています。

  一坪地主になるという意思は、この時点でも曖昧でした。関東ブロックの方から話があったのは、米軍用地特措法が国会に上程され、これに反対する闘いの中ではなかったかと思います(九七・四)。地主になりたいと強く思い始めたのは、土地使用等に関する特措法が国会での実質審議がないまま圧倒的多数で可決成立した(九九・五)ときでした。反戦地主をつぶし、米軍が安心して恒久的に沖縄の基地を使えるようにという政府の露骨な企みに対して、安保条約の廃棄、米軍基地の撤去(沖縄であれ本土であれ)を求めるまで闘いたいという思いを強くしたからです。遅ればせながら、皆さんの仲間に加われたことを、光栄に思っています。
(F)