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沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック
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『一坪反戦通信』
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 第154号(2004年3月28日発行)

公開審理に参加して

四宮由美子(浦和)

 3月18日沖縄コンベンションセンターで第3回公開審理が開かれ、浦和一坪反戦地主の先輩たちと参加することができた。審理前の集会には反戦地主の方たちが挨拶された。阿波根昌鴻さんの養女謝花悦子さんが車いすで熱いメッセージを送る。地花昌一氏のお顔も見えた。

 米英軍がイラクに侵攻して1年になる。メソポタミア文明の歴史的遺産を破壊し、劣化ウラン弾で人体を、大地を汚染し、クラスター爆弾がイラクの人を(特に子供たちの被害が多いようだ)を殺傷していく。破壊しつくしたあとにアメリカのゼネコンが入る。石油の利権を奪う。軍隊を使った強盗殺人、地球破壊であり、世界中の人がこのアメリカの悪行を見ている。小泉政権はこのブッシュの戦争に賛同し、憲法9条を手前勝手な理屈をつけて利用し、自衛隊の海外派兵という既成事実を積み重ねようとしている。日本はもう加害国になってしまった。審理前の集会は反戦の集会になる。

 公開審理は壇上に県収用委員9名が座り(当山会長の声しか聞けなかった)、会場の左側に那覇防衛施設局の一団、右側のマイクに反戦地主や弁護士がひとりづつ質問をするという形で進む。有銘氏他地主側の質問は回答を引き出すというよりも、国の無能ぶりを表面化させようと、理由は?根拠は?とひとつひとつ具体的に迫っていくのだが、役人の方は用意した説明書から踏み出すまい、言質をとられまいととぼけ、はぐらかしの回答ぶりで、日本のどこの行政交渉でも見られる役人たちの回答風景であった。

 SACO合意で普天間基地は代替地を見つけるまでの5〜7年という約束になっているが、その期限はとうに過ぎている。どうしたのか?5〜7年とした根拠はなにか?という具合に地主側は迫る。日本政府が答えられようはずもない。政府に米軍基地を動かす力もないし、話し合いをしているようにも思えない。しかし、どんな無力な政府でも契約社会なのだから、地主との賃貸契約を誠意をもってするくらいはできると思うのだが、どうもそれすらできないらしい。反戦地主の宮城氏の家の門を入ったか、玄関を入ったか等の質問と回答がやりとりされて、国側の役人はまるで落語に出てくるコソドロのように戯画化される。

 嘉手納基地から米軍の戦闘機が飛び立っていく。強制使用の目的をアジア太平洋極東地域の安全を守るためとしているが、「イラクは極東か?」と質問する。答えられるはずがない。

審理後の集会で、弁護士が「この公開審理は安保の学校であると言われている」と胸をはって言われていた。私も地主の方たちの、理由は?根拠は?と執拗に問い詰めていく地道な闘いに胸が熱くなり、エールを送りたいと思った。不勉強な私ですら感動してしまったのだから、もっとたくさんの人たちに参加してほしいと思った。

 公開審理の翌日は辺野古の命を守る会の見張り小屋に行って、オジイやオバア、晋君に会って話しを聞き、鉄条網で分断された砂浜を見ることができた。3月10日に大浦湾にジュゴンが出たらしい。米軍は海質調査と称して、海底に63ヶ所もボウリングを打ち込んだ。本当の狙いはジュゴンを追い出すことらしい。沖に巨大な軍艦が停泊し、基地から13基の陸海両用の戦車が出かけて行ったが、11基しか帰ってこなかったという生々しいお話も聞けた。自然の生態系を破壊し、人間を殺すための戦争に大義はいらない。「命どぅ宝」なのだ。

 今回は初めての沖縄訪問であった。過去の沖縄戦の跡(ひめゆり平和祈念資料館、摩文仁の丘と資料館、嘉数高台戦跡)を訪ね、その犠牲の重さを改めて思い知り、辺野古の美しい海と砂浜に立って、この基地がなければ観光の島しとしてやっていけるはずなのにと思った。今回は急ぎ旅だったので、沖縄の人との出会いは少なかったけれど、今度またゆっくりと来たいと思った。《百聞は一見にしかず》の境地で、沖縄で見たものを今、胸中であたためている。この旅に誘ってくださり、案内してくださった石田さん、大武さんに特に感謝です。