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『一坪反戦通信』
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 第150号(2003年10月28日発行)

第9回連続学習会

『沖縄における先住民族問題とは』

講師 上村英明さん(市民外交センター代表・恵泉女学園大学助教授)

 まず始めに簡単な自己紹介から。私は日本人です。日本国籍を持っているという意味では皆さんと同じですが、歴史的価値観や伝統という見地でいえば、残念ながらいろんな問題をずっと起こしてきた日本民族であるということをお伝えしたいと思います。

 私は大学の頃から日本の中で民族問題を考えなくちゃいけないと思っていて、最初に関わったのはアイヌ民族の問題でした。

 北海道から来られた代表の方々と国会や役所への陳情活動等を一緒にやっていて思ったことは、アイヌ民族の問題をこの日本人と話しても埒が明かないなということでした。歴史的な構造の中で価値観が違う人たちに、ある問題について例え論理的に話しをしたとしても、多分理解されないのではないかと。当時のウタリ協会理事長の野村義一氏に「日本の中で議論しても問題は解決しません。国際世論に訴えましょう」と話しをした記憶があります。最初に国連にアイヌ民族代表の方と行ったのは一九八七年でした。

 そんなふうにずっとアイヌ民族問題を私なりにやってきたのですが、あの九五年の事件以降、いろいろな沖縄問題を考える講演会が開かれ、私も機会があると参加するようになった。その際、沖縄から来られた講師の方たちの話しを聞いて違和感を持った。沖縄の基地問題についての内容は非常によくわかるけど、もっと違う説明の仕方、問題の設定をしないと、いわゆる日本人たちには何もわからないのではということを、やはりその時思いました。

 九六年になって東海大学の松島さんという方と「ひょっとして、沖縄の問題は国連に民族差別の問題として持っていったほうがクリアーではないか」という話しをして、彼が「上村さん行きましょう」ということで、沖縄から最初に国連の人権機関に代表が出たのは九六年のことです。


 「人類館事件」の背景にあるもの

 今から百年前の一九〇三年に大阪で勧業博覧会というのが開かれました。こういう催し物は十九世紀末から二〇世紀初めにかけて世界の先進国各地で開かれています。自分たちの文明を誇示するために何をやったかというと、未開、野蛮といわれる人たちを展示する行為が沢山あった。大阪ではどういうことをしたか。朝鮮人、台湾の先住民族、アイヌ民族、そして琉球人が、大和民族より遅れているということで展示された。これが世にいう「人類館事件」です。

 この時、皆さんご承知のように、大田朝敷という方が「沖縄県民は日本民族である。清和天皇の後胤で、皇族に繋がる人たちを野蛮だとか未開だとかいって展示するとは何事か」という反論をしています。

 この人類館事件をどう評価するかということはとても大事なポイントです。この時とられた論理的枠組みが、実は今の沖縄の反戦運動や反基地運動がひきずっている問題に通じるのではないかと思うのです。沖縄県民は大和民族であるという主張がどういう方針から出たかということを考える時、大田朝敷やその後、日琉同祖論を展開する伊波普猷を読んでいくとみえてくるのは、政治的状態が非常に厳しかったということです。

 例えば一八九〇年代は琉球併合(琉球処分)があり、脱清人の運動があった中で、一八九六年の日清戦争で日本が勝ってしまった。これは中国をあてにして日本に対してモノを言うことができなくなった情勢の中で、どうやって日本にモノを言っていこうかという、苦渋の選択があったのではないか。伊波普猷が日琉同祖論を展開するのは一九一一年ですが、一〇年に韓国併合が行われた。植民地を拡大する日本帝国主義のパワーを否定するのは非常に難しい状況で、沖縄をどう位置づけるのかという発言が、たまたま「人類館」をめぐって出てきたという歴史的背景が考えられます。


 構造的差別とは

 このことはしかし、日本国家の枠内でしか問題解決は考えられないということになってしまった。日本の枠内で差別を解消するという形、沖縄のアイデンティティを確保するという戦略が、残念ながら基本的な構造として第二次大戦後も変わらずに今日まで引きずられた。米軍政府の元での状況をどう改善するかということにこの戦略は「祖国復帰運動」という形で使われたわけです。

 私なんかがぐちゃぐちゃいう話しではないかもしれませんが、復帰運動も日本国憲法への復帰ですね。つまり日本の枠内に帰れば米軍政下の差別が無くなるだろうと。反基地運動も、日米安保体制を解体すれば基地問題がなくなるのではないかという議論がされた。

 今、アイヌ民族で言えば、日本は法冶国家かどうかは問題ではない。日本政府はずっと侵略者です。侵略者の国の問題は侵略者が考える、自分たちが考えることは日本国家にちゃんと権利を保障してもらうことなのだと。残念ながら沖縄の運動になると、そこの部分がとても曖昧になってしまう。

 我々が国連で最初に訴えたことは何か。一八七九年の琉球併合の違法性から沖縄の問題を考えないと今の基地問題は解けないというのが私たちの主張です。

 琉球併合の結果「沖縄県」が設置され、「沖縄県民」ができた。沖縄の矛盾はそこから始まりました。沖縄県民として差別を解消しろということは、日本国民として平等に扱えということですが、これは神奈川や埼玉の県民と同じだから、日本政府の論理だと、国家の決めた安全保障条約だから一部の地方自治体が受け入れざるを得ないのは当たり前のことなのだということになる。

 就職差別や結婚差別が無ければ差別は無いのではないかと、アイヌ民族の権利をやる時にしこたま言われました。象徴的な例でいうと、未だに北海道のテレビ局は「未踏の大地を開拓した」という番組を流す。これは個人のアイヌで被害を受けた差別ではない。でも殆どの、意識のあるアイヌの人は、自分たちが差別されていると受け止めて怒るわけです。こうしたストラクチャが、いわゆる構造的差別。特定の誰かではなく、その集団的意識のある人たちがおかしいじゃないか、こんなのと思う構造ですね。

 頭の古い政治家の、沖縄に基地問題を押しつけていれば半永久的に解決する必要はないという意識が、日本国民の大多数の無関心さに助けられている構造の他に、もうひとつ、若い日本人たちに広がっている構造があります。基地を無くしてほしいと訴えると、それは沖縄のわがままだと考える人たちもいる。「だって沖縄は日本の一部でしょ。国会が決めたことを何で受け入れないの」と。これが一番はっきりした形が最高裁の大田判決です。これは、構造的差別が未だに沖縄に対して非常に厳しく残っているという認識をすべきだというふうに考えています。


 民族の自己決定権と多文化主義

 国連の先住民族関連の問題でいうと、実は基地問題は平和の問題よりも差別の問題として沢山でてきます。

 何の差別かというと、民族の自己決定権、つまり自分たちの土地に基地が必要か否かってことを自分たちが決められないからこんな状況になるのだと。例えば、アメリカが必要ならアメリカに置きなさい。自分たちの責任のある所にちゃんと置け。我々の所に置くのは権利の侵害であると発想するのです。こうした主張というのはなかなか難しいですが、国際社会ではこのところ、こうした主張がむしろおかしくないという方向へどんどん進んでいます。これを「多文化主義」といいます。世の中いろんな文化があったほうが楽しいよねという考えです。これはいろんな民族がいて、対等に共存しているから楽しいということですね。「多民族主義」ともいいます。

 ハワイやグアムの反基地運動というのは、ハワイアンやチャモロ人のいわゆる先住民族による差別撤廃の運動です。

 大田知事時代にとても残念だったのは、アメリカの基地なのだからハワイやグアムに戻せばいいじゃないかという発言でした。これは差別の問題からすると逆転している。むしろ我々の視点からすれば東京に作ってもいい。だって、ずっと沖縄は差別されていたのだから。ハワイやグアムはやはりアメリカの中で差別されている人たちの地域です。米軍の基地をワシントンやニューヨークに戻すのだったら賛成です。

 沖縄に近い問題となると、インド洋に浮かぶチャゴス島という所に、アメリカの巨大軍地基地があります。島の百%が基地で、住民は強制移住させられた。チャゴスはまずイギリスによって植民地化され、イギリス政府が権限の範囲内でアメリカに貸与したのです。基地のために生活や権利が奪われた。沖縄も良く似ていますね、当事者が二つあること。日本によって植民地化され、基地としてアメリカに提供されたこと。全く同じです。


 国連を使う戦略の意味

 今日の話しの視点からすると韓国やドイツの米軍基地は少し構造が違います。もちろん基地機能としては韓国と沖縄は連動していますが、問題としては同じ構造ではない。アメリカがなぜあれだけの基地を韓国やドイツに建設できたかというと、簡単なことです。国境の向こうに共産主義国家があったからです。ですから、これらの国で米軍基地問題が起こると、何が構造的に違うか。全国的な問題になることです。韓国で女子中学生が米軍車両に轢き殺される事件があった。この時の国民の反応がすごかったのはみなさんよくご承知ですね。構造的な差別があるところではまず全国問題にはならない。つまり沖縄でどんなにひどい状況があっても日本本土は知らん振りです。もちろん米軍基地を無くしていく運動では様々な協力関係も必要ですが、僕個人は、ハワイやグアムの反基地運動と沖縄はもっと連帯したほうがいいと、強く感じています。

 国連を使う戦略というのは何かというと、緊急に役に立つかどうかは別にして、世界中の人に知ってもらうということです。九六年に最初に行った時、沖縄がどこにあるかとか、沖縄に基地問題があるってことは誰も知らなかった。度々、例に出しますが、アイヌ民族の問題もそうでした。でも十年頑張っていけば、日本の外交官は誰かに会うたびに言われる「あんたの国ではこんな問題があるんだってね」と。当事者である日本とアメリカはなかなか動かないが、国際的な動きを作り出すことはできると思います。長い目でみれば日本政府を取り囲んでいく構造を作ることができます。


 一人でも闘える“人権”の運動

 先住民族の問題は国際的に注目を集めていて、昨年、その国連の新しい国連機関ができました。国連の予算というのは東京都予算の十分の一くらいしかなくて、人権機関というのはさらにその中の一〜二%の予算しかない。とても冷遇されています。なぜか。アメリカに文句を言うからです。この機関をさらに縮小しろとか、無くせと言われながら、この時期に新しい機関ができるというのはとても大事なことです。

 沖縄が国連の人権機関をどう使うか。自分たちの問題、子供の問題等でもアプローチできる。先住民族の基本として先程話した自己決定権という集団的権利があるということを主張する。沖縄の人たちがやると独立論になってしまうが、これは自己決定権の主張なのです。先を言う必要は無い。沖縄の未来を決める権利があるということを主張すればよい。それに対して回答する責任があるのは日本政府です。独立論がでると、あんたたちはやっていけるのかなんて言われるが、そんなことはいらんお世話だということが自己決定権の基本的な考え方なのです。

 それから国際的な人権の運動は沢山の支持者を必要としません。九五年の後、何万人集まったかで、マスコミは記事を書いていて、日本では人を多数動員しないと訴える力が弱いという構造になっている。人権の運動は一人でも人権問題です。一人だからあんたはヒドい目にあっても仕方ないという理屈をとりません。一人でも国際社会に訴える道がある。それが、人権運動のもうひとつの特徴です。


 バラ色ではない国連機関

 国連の人権条約と言うのは定期的に日本がちゃんと条約を守っているかということを審査します。そのことで何がやりやすいかというと、準備ができるということです。定期的に自分たちのエネルギーを貯めておいて、来年日本政府をこの条約でたたくチャンスがある、どうやって準備するか、人は何人必要か、予算はどれくらいか、というような運動としてはある意味でエネルギーを納得いく形で使うことができます。今は、日本政府がイニシアティブをとってそれに沖縄の人達は振り回されている。沖縄の反基地運動はものすごいエネルギーを使います。結果的に沖縄の中に問題が持ちこまれてしまうので、沖縄人同士でけんかをしてしまう。とっても疲れる。これは、本当に悲しいことです。

 この国際的な人権機関を作る運動は、今までの反基地運動、さっきからひどいことをいって申し訳ありませんが、否定するものではありません。国連に持っていく人権の話は、国内でこれだけやったけれども変わらなかったということが前提なのです。その意味では今までの反基地運動と矛盾するものではないと思っています。むしろ我々がやることは、様々なルートでどうお互いが連帯しながら戦っていくかです。この運動は皆で一緒にやらなくていいのです。今までの成果を生かす形にして、運動が展開できるというところにひとつの完成があると思います。

 ただし最後に一言、国連は最終的には政府の機関です。バラ色では決してありません。ただ、我々が国連を限界があるものだとわかったうえでどう使っていくか、という視点がなければ、また別の意味で疲れて終わってしまうかもしれません。こうした状況の中で使えるとすれば、また一つの光が見えるのではないかということです。

(文責・構成 編集部)  

 この学習会は九月二六日、中野商工会館で行われました。紙面の都合上、お話しの内容をかなりの部分割愛しましたことをご了承ください。