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沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック
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『一坪反戦通信』
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 第144号(2003年3月28日発行)

普天間基地を即時撤去し、開放せよ!

平良  修

二〇〇三・三・一三
(沖縄県収用委員会・公開審理 宜野湾市民会館)


 私は普天基地内に共有地を所有する一坪反戦地主の平良修です。日本政府は私たちの所有地を、私達のこれまでの度重なる拒否にもかかわらず、再び継続的に強制収用し、米軍の軍事目的に提供しようとしています。そのことに関して開かれたこの公開審理の場において、私の見解を述べます。 

 まず起業者である日本政府に対して、その出先機関である那覇防衛施設局に対して意見を述べます。「あなたは自分のことを日本人だと思いますか、それともオキナワ人だと思いますか」、こういう奇妙な質問が普通に行われている場所、それが沖縄です。この問いに対して多く聞かれる答えは「私は日本国民ではあるが日本人ではありません。沖縄人です」という答えです。国籍の面では確かに日本国民ではあるが、心情としては日本人ではなく、沖縄人だというこの応えは、どこから出てくると思いますか。かつての沖縄県知事が「あなたにとって沖縄の心とは何ですか?」と聞かれたとき、「それは日本人になりたくてなりきれない心だ」と応えたそうであります。形式的には日本国民ではあるが、心底からは日本国民になりきれないわだかまり。それが多くの沖縄の人の中にあります。なぜそういう違和感があるのでしょうか。それは日本国に対する不信感からきています。

 一八七九年、琉球王国は日本国によって征服併合され、強制的に沖縄県にされました。以来百二十年、今日まで、沖縄は日本国の国益のためにはどのようにも利用できるところとして扱われてきました。それが近代日本史の中での沖縄の歴史であります。一八七九年の琉球処分による日本の国土拡張、一九四五年、天皇を頂点とする「本土」防衛のために捨石とされた沖縄戦、さらに一九五二年、戦後日本の独立の質草として、沖縄住民の反対にもかかわらず沖縄を切り離して米軍統治にゆだねたこと。一九七二年、沖縄を日米軍事体制の要にするために、日米安保条約体制の中に引きずり込んだいわゆる日本復帰。この日本復帰を最初の琉球処分から数えて、第四次琉球処分と呼ぶなら、今年二〇〇三年は第四次琉球処分三十年目ということになります。このようにして沖縄に対する琉球処分は今も続いていると言うしかありません。

 「世界中の地獄を一箇所に集めたような戦場」と言われた沖縄戦からかろうじて生き延びた人たちが、心の底から渇望したのは、軍隊や基地や戦争とは無縁の平和な生活でした。しかしそういう生存者たちを待っていたのは、占領米軍による新たな支配でした。日本軍支配から米軍支配への移行。そこには沖縄の人たちの安らぎはまったくありませんでした。したがって、戦後二十年に及ぶ米軍支配から脱却して求めていった行き先は、憲法九条を高々と掲げる平和憲法の日本国でありました。沖縄住民が日本復帰を激しく求めたのは、何よりもそこには平和憲法があったからです。しかし、頼みにしていたその平和憲法は日米安保条約に場所を譲って空洞化し、その結果、沖縄は一番望まないかたちでの復帰と、その後三十年におよぶ厳しい現実を強要されることになってしまいました。日本全国の米軍専用基地の七五%を押し付けられ、それに加えて、復帰前は存在しなかった日本軍まで駐屯するようになりました。現実の政治状況や経済状況の中で、生計をたてるために、やむを得ず基地の存在を認めざるを得ない人たちも確かにいますが、その人たちとても基本的には基地を良しとしてはいません。軍事力によらない平和共存こそ伝統的にも現実的にも沖縄住民が基本的に求めている在りようです。にもかわらず日本政府は、沖縄住民の心の深みにある平和への渇望を無視して、基地と共生することを要求して止みません。共生とは、共に生かしあい、生きていくことです。それに反して、軍事基地は暴力をもって意に添わない相手を倒すことによって立とうとする生き方です。したがって、共生と軍事基地とは共にあることはできないのです。そのことを私たちは知っています。しかし日本政府は、この矛盾を国益の名のもとに沖縄住民に押し付けつづけています。日本政府が考える国益のためならば、沖縄住民をどのように利用してもかまわないという構造的差別に基づく人間疎外の悪政と言うしかありません。

 その結果、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン攻撃、そして一触即発のイラク攻撃において、沖縄はまったくその意志に反して加害者にさせられてしまうのです。加害者にさせられるほどの深刻な被害を私たちは受け続けているのです。ベトナム戦争のとき、あるベトナム人が言いました。「沖縄と聞くとギョッとする」と。沖縄の米軍基地が動くと間違いなくベトナムでは流血と破壊と殺戮がおこったのです。被害者になることも加害者になることをも拒絶する私たちの基本的人権を、押しつぶして政府は恥じることがありません。

 国家は、国民の人権を擁護し、人間らしい生活を保障することに奉仕するためにこそ存在しています。個々の国民が国家のために存在するのではなく、国家が個々の国民のために存在するのだというこのことを、今一度この機会に明らかにしておかねばなりません。然るに今、日本政府が沖縄住民に対して強要しているのは、沖縄の住民を危険にさらすこと以外の何ものでもありません。九・一一テロのとき、なぜ政府は特別機動隊を数百名も沖縄に派遣して米軍基地を警護させ、ホワイトビーチへの原子力潜水艦入港を公表しない措置をとったのでしょうか。明らかに沖縄がテロにねらわれる可能性のある危険な場所だとの認識があったからです。沖縄の私たちは、日本政府に、私たちの命を危険にさらさせたり、私たちを他国への加害者にさせる権利を決
して与えてはいません。

 今日の公開審理で直接的に審理の対象になっている普天間基地は、住宅地域のど真ん中にあり、日米両政府が共通認識しているとおり、きわめて危険な状態にあります。だからこそ一九九六年四月一二日、橋本元首相とモンデール元中日米大使は五年から七年かけて全面返還することを合意し、公約したではありませんか。今年の四月一二日は、その公約の七年目の満期日にあたります。日米両政府の公約どおりに普天間基地は直ちに解放し、地主に返還すべきです。生産と生活の場に戻していくあたりまえのことを私たちは必ずします。戦争のためには土地は一坪たりとも提供しません。沖縄を軍事植民地にはさせません。沖縄に対する日本政府の構造的差別政治を、私たちは一切認めません。那覇防衛施設局は、一日も早く東京にひきあげてください。

 次に、収用委員会の皆さんに申し上げます。日本政府は、沖縄の米軍基地を確保するために、なりふりかまわず駐留軍用地特別措置法を繰り返し改「正」してきました。メゲームの最中に、負けそうになったので自分に都合のいいように勝手にルールを変えたモと批判されるような悪政でした。その結果、私たち地主の当然の権利主張の枠が著しく狭められました。健全な抵抗手段を奪うことによって日本の軍事国家への危険な傾斜はますます強まっています。そういう中にあって皆さんの役割は、日本の将来の生死に関わる極めて重大なことです。皆さんご自身の生存にもかかわってくる選択をみなさんはしなければなりません。どうか生きる道を、共に生かしあう道を、真理になかった道を選択してください。人間味あふれる実質審理に徹してください。

 反戦地主、一坪反戦地主、その他の仲間の皆さん。私たちの求めている方向は。正しいと信じています。それに対して日本政府は不幸なことに悪魔的な過ちを犯しています。この公開審理に見る私たちの闘いは人間的なものと、非人間的なもの、悪魔的なものとの対決です。平和への人間の道を築くことはいつの時代でも、どういう所にあっても、時間とエネルギーを必要とします。運動を広げ、世代をつないで、平和を創り出していきましょう。そうすればいつの日か、軍事力迷信の信者である国家権力も、真の人間性に目覚めるでありましょう。