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第139号(2002年9月28日発行)

二つの島の出会いは天の定めのように必然的なものです
チャールズ・ミッツィ

A DATE WITH DESTINITY OF TWO ISLANDS
Charles Mizzi

  ここにお集まりの皆さん、マルタで毎日交わしているあいさつは「サッハ アンド パーツィ」といいますが、これは「お健やかで平和でありますように」という意味です。わたしはこの言葉で先ずごあいさつしたいと思います。

 マルタは地中海の真ん中にある島です。全島でもたったの三一六平方キロメートルで、人口40万ですが、同じ人口の大都市の大きさにも及びません。

 地中海のど真ん中という地理上の位置にあるため古来より戦争に巻き込まれてきましたが、また、その一方では繁栄をももたらしました。北はヨーロッパの一番近い地点からは60キロ、南は北アフリカからは一八〇キロの所にあります。マルタと沖縄はさまざまな点で大変似通っています。

 沖縄は太平洋にある島で、日本本土ばかりか、むしろ台湾や中国大陸に隣接しています。両島の人々はまだお互いに余り知り合っていませんが、共に人には優しく接する性格をしています。もっとも、文化、言語、宗教などは異なりますが、しかし、精神的な面では、同じ理想や目標をもっています。

 私たちは強烈な反戦意識を共有しています。テロリズムに対しては、元より、アメリカ、アフリカ、あるいはパレスチナの人々などいかなる国に対するものであれ、強く非難しますがしかし他国民が苦悩と屈辱におかれている限りテロリズムは拡大してゆくのです。

 沖縄とマルタの民衆は共に平和と穏やかな生活を求めています。両島は、長年にわたり外国軍隊によって軍事基地として使用されてきました。わたしたちの平和への願いをよそに、島は戦略的な足場として駆使されてきました。そして紛争に即応できるように常時体制整備されてきました。過去数世紀にわたって数え切れない程の両島民がよそ者の戦争のためにたたかい死んでゆきました。


 マルタ島の人口と経済発展は併行して拡大してゆきました

 観光業や小工業など平和経済の活動の上に強力な経済体制を築くたたかいは今もなお続いています。イギリスの支配から独立し、一つの独立国家になるまでに一八〇年を要しました。一九六四年に独立を達成した後、マルタはイギリス及びNATOと交渉し、全外国軍隊の陸海空軍の全施設を閉鎖させる協定にこぎつけました。

 わたしたちは一九七九年三月三一日という日を決定的な記念すべき日として覚えています。毎年、わたしたちは、この日を自由の日として祝っています。私たちはマルタ人が独立した自由な国民になれると信じていたのです。世界におけるマルタの新しい役割はヨーロッパとアフリカの間の平和のかけ橋になることだと、周囲の者たちに確信を持たせました。私たちは新しい地中海の平和がこなかったらヨーロッパには絶対に平和は来ないと世界のリーダーたちに確認させました。

 数年前、沖縄の友人の皆さんと仲間のジャーナリストたちがマルタを訪ねてきた時、わたしはこの皆さん方にマルタがどのようにして軍事協力に基づいた経済から平和経済活動に基づいた経済へと転換をどのようにして果たしたかをご説明する機会がありました。私たちにはなにか魔術みたいなやり方はなかったのです。人の犠牲とさまざまな抑制の上に立って転換できたのです。

 沖縄と同じように、私たちの第一産業は観光業なのです。過剰人口は、マルタ島とゴゾ島とうい二つの島に住んでいます。毎年一二〇万人もの観光客がマルタを訪ねてきます。マルタは外国の投資に対して、特別の誘因を提供しています。電気製品、ゴム、繊維工場はマルタ経済のバックボーンです。農漁業は国民総生産のわずか三%です。土地は不足しているので旧英軍基地の全てを五つ星ホテルや産業用の地所に変えました。マルタには天然資源もなく、また川や湖もないため、海水を真水に変えています。また世界の主な金融資本にも渡りをつけた高度金融サービスをも提供しています。

 マルタのフリーポート(免税の自由港)は地中海で最大のものです。ドライドックや造船工業は政府の援助なしではやってゆけません。これらの工業はマルタ経済においては財政的な流出につながってきました。

 沖縄では大多数の人々が米軍基地の完全閉鎖か大幅の縮小を望んでいるという意志をしでに表明しているとうかがっています。この美しい琉球列島に住む島民の皆さんが、はっきりした決断を下すためには、当然それなりの犠牲と確かな計画が求められます。

 皆さん方には島経済の計画を立てる必要があります。米軍基地には借り入れをせずに沖縄の経済を維持発展させる必要があります。

 マルタの基地閉鎖後、多数の人たちが米軍基地の職を失いました。またある種の日常品は輸入制限されました。緊急の労働者部隊が編成され、人々はほかの仕事のための再訓練を受けました。しかし、沢山の人々がもっとましな仕事を探しに他国へ移民してゆきました。

 たたかいはなおも続いています。小さい人口ですが未だに大きな問題に直面しています。全体として、中産階級の労働者はかなりの生活水準を獲得できています。

 今回初めて沖縄を訪ねてきました。この素晴らしい島もわずか数日の日程でしたが、滞在中にできるだけ多くの方々とお会いし、これまで皆さん方のやってこられた成果と今後の夢を共有させて頂きました。お互いがいだいている将来への希望とまた懸念していることについても交流しました。私は今ここに眠れる数知れない日米戦の犠牲者の方々をお参りさせて頂きたいと願っています。また、戦争中の惨事がくり拡げられた戦跡をも訪ねたいと思います。さらにマルタの仲間のジャーナリストとリーダーから依頼された皆さん方の正当な主張に対する支援の意志表明をここにお伝えさせて頂きます。

 この支援のメッセージは、地球の裏側という大変遠方からのものですが、沖縄の仲間の皆さん方はこれを喜んでお受け下さると信じています。沖縄が両島の定めの関係を受けて立って下さる日はそう遠くないでしょう。

    チャールズ・ミッツィ
        二〇〇二年六月二三日

編集部注
 チャールズ・ミッツィ氏はマルタ共和国のジャーナリスト。六月二二日に沖縄大学で「マルタはいかにして基地を撤去させ、自立経済を確立したか」をテーマに講演をおこなった。訳は山本勝美氏(日本マルタ友好協会理事)。本誌第一三七号の巻頭言参照。