軍用地を生活と生産の場に!
 
沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック
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第124号(2001年5月28日発行)

【報告】

 五・一五集会に一三〇人参加

 防衛庁、「百%防止は不可能」

 五月一五日は一坪反戦・関東ブロックが結成以来、一貫して取り組んできた「われわれの土地を返せ!」というアピールの日である。これまでは、屋外集会とデモの形で取り組んできたが、今年は趣向を変えて、屋内でじっくり沖縄の軍事基地反対闘争の現状と展望を語り合おうということにした。
 

  夜の集会に先立って、三時半から市ヶ谷の防衛庁に申し入れをした。集まった人一九人。そのうち一人を遅れて来るかも知れない人のために門前に残し(一人貧乏くじを引いた人ごめん)、一八人がぞろぞろとシェルター付きの屋外エスカレータで会見室に向かう。防衛庁の新庁舎を知らない人のためにちょっと解説すると、庁舎は高台に建っているので、正門から一〇メートル程高くなったところがベースグラウンドになっていて,
その高さまで階段かエスカレータで上がることになっている。

 入口で名前を書かされたりで、D棟一階の会議室に入ったのは三時四〇分。制服をまとった四人の男が着席して待っていた。中心になってわれわれに対応した男は、防衛庁航空幕僚監部・補任課・服務室長吉岡秀之(一等空佐)であった。他の三人はオザワ、ウスイ、ナカムラと名乗り、階級は二等空佐であった。
 初めに、要請団を代表して木村辰彦が、防衛庁長官中谷元宛の「抗議・要請書」を読み上げて吉岡一佐に手渡した。

 対話は、まず、防衛庁は事件をどのように把握しているかとの質問から始まった。それに対し、吉岡一佐はつらそうに次のように話した。

吉岡「三月一六日に警官が尋ねてきて、犯人目黒は逮捕された。事件が起きたのは三月一二日夕方で、石川市の海岸に少女を連れだして、ビデオを撮った。四月一八日に航空幕僚長が懲戒免職を発令した。」

問「強姦したのか?」

吉岡「強姦したと本部に報告されている。」

問「自衛隊は懲戒免職にしたことだけで終わりか?そのほかに自衛隊としてやることがあるか?」

吉岡「南西航空団に今後事故が起こらないように標語を作らせたりしている。」

問「被害補償は犯人目黒が個人としてやるだけか、自衛隊として何か考えているか?」

吉岡「その点についてはあくまで個人犯罪であって、国としてはタッチしない。」

問「被害者への謝罪は行われたのか?」

吉岡「三月一七日付で、沖縄県民宛の長官の謝罪文を県知事に提出している。犯人は起訴されて五月七日に初公判があった。」

問「個人犯罪と言うが、自衛官としてやっている、長官が謝罪したというのは、自衛隊が責任を感じているということではないか?」

吉岡「被害補償についてはあくまで個人犯罪で……。」

問「犯人に犯罪意識がないのではないか。犯罪と自覚していれば証拠隠滅を計るところを、この男は携帯番号を書いて少女に渡している。」

 話し合いは三〇分以上にわたり、ここに要約した以外にもいろいろあったが、結局は「綱紀粛正」に努めるが、犯罪を百%防止することはできないという、居直りに近いものにならざるを得なかった。


 防衛庁の制服四名が退席し、入れ替わって防衛施設庁の担当者四人が入場してきた。
 いつものことであるが、施設庁の役人は名刺を持っていないと言う。そこで、メモ用紙を渡して書かせた肩書き氏名は次のとおり。
  • 施設取得課用地調整室室長補佐 安村完英
  • 普天間対策本部総合調整室室長補佐 笹山和幸
  • 本部整備計画室室長補佐 近藤義行
発言のなかった一人は無視。


 普天間飛行場の強制使用手続きについて、対象地主に契約諾否の確認をしたか? しなかったならその理由は? との問いに、安村室長補佐は「手続き前の諾否確認はしていない。一坪反戦地主会は軍用地を生活と生産の場に変えることを目的として、一坪地主の拡大、契約拒否の拡大をはかる運動を行っていることから、客観的に見て契約に応ずる見込みがないと判断して、意思確認は控えさせていただいているところです」と答えた。

 二〇〇一〜二〇〇三年に普天間飛行場移設というSACO合意はすでに破綻していると思われるがどうか、との問いに、笹山補佐は大田前知事のころからの経過をくどくどと並べ上げた後、的はずれの「防衛施設庁としては移設返還が一にも早くなるよう努力しているところであります」と答えた。「環境省がジュゴンを保護する方針を固めたと言われるが」については、「環境省に確認しところ、その様な事実はないとの答えを得た」と見得を切った。

 「三月一〇日に辺野古地域区で行われたヘリの試験飛行で騒音問題について、住民の理解が得られたか」との設問には「市民の方々に騒音を体験して貰うことができた、騒音が少ないと評価して貰ったわけではない」と近藤補佐が答えた。

 安村補佐に対しては、一坪地主に契約の意思確認をしないのは、思想信条によって法律の適用を差別することであり、憲法違反だと口々に反論があったが、「私どもはそうは思わないので、問題だと思うなら、しかるべきところで主張してください」と裁判でもやれという調子であった。 

 夜の集会は労働スクェア東京で予定どおり七時ジャストに開始され、最終的参加者は一三〇名を越えた。
  当夜の講師は池原秀明(反戦地主会事務局長)、安次富浩(名護ヘリ基地反対協代表委員)、上村英明(市民外交センター代表)の三氏で、初めにそれぞれ二〇分ずつ話を聞いて、いったん休憩してその間に聴衆から質問事項を提出して貰い、各講師から時間の許す限り回答をして貰った。

池原秀明氏

 反戦地主会の闘いは、他団体と協力しての基地反対の行動と、強制使用に対する収用委員会を場とする闘い、違憲訴訟の裁判闘争の三つである。

 裁判闘争は強制使用関連の法律が時限立法で五年ごとに作りかえられるため、二九年にわたっているのに一度も判決を貰ったことがない。審理途中に法律が消えてしまうので、訴えの利益がなくなってきた。現在は、村山富市首相の使用認定取消要求、「象のオリ」の不合法占拠事件、収用委員会の使用裁決取消要求、など数件を3つの裁判に併合して進めている。収用委員会の使用裁決取消裁判とは別に違憲裁判として取り組んでいる政府の法律違反についてはまもなく結審の見込みであったが、国側が引き延ばしている。

 違憲共闘が県内労働組合などを基盤にして、この裁判を支えているが、組織財政的には困難な状態が続いており、みなさんにカンパを訴えている。

 自分の家業については、娘が手伝ってくれることになって、うまく行くようになった。軍用地を取り返して軍用地料以上の収入を上げるモデルケースになれるように頑張っていきたい。


安次富浩氏

 今日は那覇でも「基地の現実を問う五・一五平和集会」が開催されている。

 名護では市長選挙が来年1月に行われるが、基地反対派の市長候補の選出が難航している。政党労組の動きが鈍い。市長候補公募の運動が先月末発足しているが、自分としてはぜひ県内から出したいと思っている。

 青森、三沢の空港も視察してきたが、軍民共用空港構想は絵に描いた餅に過ぎない。

  なぜ普天間だけが一五年期限か、使用期限を問題にするなら、嘉手納でもどこでも一五年でいいじゃないか。

 基地建設については、埋立派は騒音がひどいことを前提にして、辺野古は移転費を貰って集落移転をすると言っている。海上派はリーフを残したいと言っているが、どっちの工法にも同じゼネコンが名を連ねている。しかもその裏にはアメリカのゼネコンも入っている。

 若者たちに対してどんな対策をとっているかとの質問があるが、いい知恵があったら貸して欲しい。


上村英明氏

 沖縄の問題はアイヌの問題とよく似ている。国内のプロセスでは限界があり、裁判でも選挙でも簡単に変えられる問題ではない。沖縄の場合には日米の外交ルートという手続きがあるが、県知事がアメリカに行ったからといって、どうなるものでもない。

 国内では解決は難しいから、いきなり国際的な場に持ちだした。問題を人権の問題としてとらえた。その基本は差別である。例え、基地の問題がなくなったとしても、今の日本と沖縄の関係が続く限り、沖縄には別の難問が押しつけられる。日本政府と沖縄の差別的な構造をどうやって解決するかをきちんと議論しない限り、この基地問題は永久に解決しない。国際人権規約の人権規約というのがある。二七条のマイノリティーの権利というのが使える。八七年まで日本に少数民族はいないと言ってきていた日本政府が九七年には「アイヌ民族の文化を守る法律」を制定した。使えるもう一つは人種差別撤廃条約で、日本はこの条約の発効から三〇年経って、九六年に批准した。

 ただこれらの国際法は物理的強制力がないので、条約の実施状況を監視するための委員会があって、批准した各国に対して2年に1回、国内の実施状況報告を義務づけている。そしてその報告を審査する。政府代表が尋問される。

 今年三月にジュネーブで開かれた人種差別撤廃委員会で日本政府代表に「沖縄についての報告がないが、次回報告では沖縄の問題も取り上げるように」と勧告が出された(本誌前号参照)。

(U)