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第122号(2001年3月28日発行)

「思いやり予算」違憲訴訟・東京控訴審 控訴理由書(抄)

平成12年(ネ)第6233号
2001年3月12日
東京高等裁判所第15民事部御中

第1 はじめに
 原判決は全体で68頁からなるものであるが、このうち当事者目録部分が約半分を占め、判決の本文は38頁でしかなく、しかも判断部分は32頁から37頁までのわずか6頁にすぎない。日本国憲法の基本原理である戦争の放棄、基本的人権の保障、国民主権の三つを根拠とし、憲法前文が「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れて、平和のうちに生存する権利を有する。」と高らかに掲げた「平和的生存権」に基づき、そして憲法第30条に規定する納税(払税)者基本権に基づき提訴した本件訴訟に対する判断としては、余りにも短いものではないであろうか。

第2 原判決批判
1 (中略)
 原判決が述べるように、憲法の前文は憲法の理念、基本原則を宣言したものである。しかし「そこから直ちに法的効果、法的拘束力が生じるものではない」というのは正しくない。憲法の理念、基本原則を具体的に実現するために必要な立法的措置をとるべきであるのは当然であるが、しかし、そのような立法的措置がとられる前においても憲法及び法の理念をより豊かに発想することによって憲法の前文から直接法的効果を導き出すことは十分可能なものである。前文が述べる「平和的生存権」は憲法の基本原理であり、これは単なる努力目標でなく、まさに国民の権利である。前文が「平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と述べていることに留意すべきである。
 なお憲法第9条、13条らが「平和的生存権」を具体化するための条項であることは原審においても述べたところである。
 確かに1215年イギリスで王の権限を制限するために制定された大憲章(マグナカルタ)以来、憲法あるいは基本法は一方で国家の権能を規定し、他方で国民の権利を保障するという構造になっている。しかし,この国家権能の規定と国民の権利の保障(その裏返しとしての義務の定め)という二つのものは、全く無関係なものではない。
 国家が憲法によって与えられた権能を超えて権限を行使し、あるいは憲法が掲げる原理を否定するような行為をなすとき国民は主権者として国家のそのような行為を制止し、修正させなければならない。このことは憲法第12条が「この憲法が国民に保障する自由及び権利は国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない。」と述べていることからも明らかである。
 原判決が述べる権利と義務との分離解釈についても同様な問題がある。憲法第9条の戦争放棄条項は、国民及び国を拘束する規定であって、国民の権利の保障とは関係がないというのが、原判決の考え方のようである。しかもこのような戦争放棄、拘束規定があってはじめて、国民の平和的生存権が保障されるというのが、憲法の考え方である。
 したがって原判決のいうように仮に憲法第9条の戦争放棄条項が国民及び国に対する拘束規定であったとしても、それをもって直ちに国民の権利とは関係がないということはできないものである。
 2 原判決は
 「憲法13条に原告らの主張する平和的生存権の根拠を求めるとしても、同条は、個人の尊厳といわゆる幸福追求権を宣言したに止まり、またその規定上、平和的生存権に関連する文言も存しないから、同条から原告らの主張する個別具体的な実定法上の平和的生存権を導き出すことはできない。
 したがって、憲法前文、9条および13条によって原告らの主張する平和的生存権が法的に保護された個別具体的な権利ないし利益として保障されていると解することはできず、他に、憲法及び法令上、右の平和的生存権を保障していると解することができる規定は見当たらない。」
と述べる。
 しかし、このような見解は基本法としての憲法を余りにも狭く解釈するものである。基本法としての憲法は社会の変化の中で創造的に解釈されるべきことは、すでに私達は環境権、情報公開などの分野で体験済みである。原判決が単に宣言したにすぎないとする「個人の尊厳」と「幸福追求権」にとって最大の阻害者として立ちはだかるのが戦争であることは歴史的に明らかである。戦争は個人の尊厳と幸福追求の阻害者だけでなく、逆に日本の、あるいはかつての同盟国ドイツの場合にも明らかなように、個人の尊厳が否定されることから戦争への途を歩み始めるのである。
 3 納税者基本権についての原判決の考え方
 (中略)原判決は、「憲法は、国費の支出を伴う国のすべての施策について、個々の国民が納税者たる資格に基づいて直接にその是正を求めることができるような直接民主主義的な制度ないし権利を予定し、これを保障しているものと解することはできない。そして、他に個々の国民に対し右のような具体的権利ないし利益を付与する旨の法令も存在しない。」
と述べる。
 しかし、このような見解に立つならば、およそ国家の行為について裁判の場において、その違憲性を争うことができなくなってしまう。多数党に依拠した政権が国会の議決を経て違憲な行為をなし、国民の権利を侵害した場合に、憲法は直接民主制でなく選挙、議会を通じての間接民主制であるからとして、国民は裁判所に対して救済を求めることができないのであろうか。憲法第13条が規定する幸福追求の権利に関するこれまでの判例の集積は、まさにこのような場合に対処したものである。
 本件もまた、そのようなものである。後述するように、アジア諸国との間に緊張感をもたらし、かつまた沖縄に端的に見られるように基地周辺の住民の生活を破壊する米軍に対して、年間約5000億円支出しているという国家の違憲行為が議会の多数派を背景として間接民主制の名の下にまかり通っているという事態に対して、違憲な目的のために自己の支払った税金を使わせないという権利一一憲法第30条納税の義務は当然にこのような権利を包含しているが侵害された国民が裁判所に対してその救済を求めることができるのは当然である。

第3 米軍基地の実体に目を向けない原判決
 1 原審において控訴人らは、控訴人らを含む納税(支払)義務者全てが支払った税金の約0.9%、約5000億円が在日米軍のために使われており、この支出は憲法違反だと主張するとともに他方では約5000億円の金がどのように使われているかをインターネットを使った米軍情報の収集などによって具体的に検証をし、明らかにしてきた。
 しかるに原判決は第1、2で述べたように、控訴人(原告)らの法的救済を求める権利はないとして、いわば入口の処で控訴人らの請求を棄却してしまったため、上記米軍基地の実態についての判断を一切していない。また控訴人らよりなした証人尋問の請求についてもすべて却下した。
 しかし、年間約5000億円にわたる米軍への国費の支出が違憲かどうかの判断をなすにあたっては、米軍基地の実態についてメスを入れることが不可欠である。
 控訴審においては、この点に目を向け原審において却下された証人の調べをなすべきである。
 2 1959年最高裁砂川判決は、軍事の問題については、「一見明白に違憲」と認められない限り「統治行為」として司法判断の対象から除外するといういわゆる司法消極主義をとり、以降、下級審もこれにならってきた。
 しかし、1959年といえば、東西冷戦の真っただ中でのことであり、また当時の自衛隊の装備は今日とは比べものにならない程のものであった。前記砂川判決以来すでに約40年余、この間自衛隊の装備の拡充、日米合同演習等もはや自衛隊、在日米軍の実態は昔日の比ではない。前記最高裁砂川判決にいう「一見明白に違憲無効」という事態がすでに顕出されている。
 前記最高裁判決が東西冷戦の真っただ中でなされたものであることはすでに述べた。1989年の冷戦終焉からすでに10年余が経過し、昨2000年には朝鮮半島における南北首脳会談も実現した。
 21世紀の今、安全保障についても発想の転換か求められている。
 3 2000年11月29日、東京高等裁判所で花岡事件についての和解が成立した。加害企業の鹿島建設(株)が戦時中の強制連行・強制労働によって、受難した中国人達に対し、企業としても責任を認め、謝罪し、五億円を拠出して受難者、その遺族らのための「花岡平和友好基金」を設立すること等を骨子とする和解で戦後補償問題の解決として初めての本格的なものとなった。
 裁判所は、和解成立後の所見において、「本日ここに、『共同発表』からちょうど10年、20世紀がその終焉を迎えるに当たり、花岡事件がこれと軌を一にして和解により解決することはまことに意義のあることであり、(当事者間の)紛争を解決するというに止まらず、日中両国及び両国国民の相互の信頼と発展に寄与するものであると考える。裁判所は、当事者双方及び利害関係人中国紅十字会の聡明にしてかつ未来を見据えた決断に対し、改めて深甚なる敬意を表明する。」と述べた。
(中略)
 かつての「同盟国」ドイツは昨夏、国家が50億マルク、企業側が50億マルク、合計100億マルク(約5200億円)を拠出し「記憶・責任・未来」基金を設立し、ナチス時代に強制連行・強制労働させられた約150万人の人々に対する補償をなすこととしている。同基金も「法的責任」を認めているものではないが、「歴史上の責任」を認めている。
 しかし、ドイツにあっても、この「記憶・責任・未来」基金が一朝にしてできあがったものではない。戦後のドイツは、過去の犯罪に頬かむりをして、豊さと安定と「文化」を追求する一般の志向と、ドイツの犯罪を絶えず問題にしていこうとする人々との織烈なせめぎ合いの場であったという(三島憲一著『戦後ドイツ』・岩波新書・1991年)。このようなせめぎ合いを経てようやく「記憶・責任・未来」基金に到達したのである。
 原審において述べたように、我国は日米安保条約のもと年間、在日米軍の駐留費の約76%、40億1300万ドル(約4800憶円)を負担している。このような国は世界に類がない。ちなみに在独米軍のためにドイツ政府が負担している費用は、駐留米兵の数は日本とほぼ同じにもかかわらず、日本の約4分の1以下で駐留費の22%程度、9億5600万ドル(約1150億円)である(いずれも98年度)。この米軍駐留費約5000億円を強制連行・強制労働に留まらず、「従軍慰安婦」、軍票など戦後補償問題の解決のために順次充ててゆくならば、アジアの各地の人々との間に信頼関係が形成され、緊張緩和に役立つことは間違いない。それが軍事力に依拠しない「人間の安全保障」である。
 冷戦終焉後すでに10年が経過し、朝鮮半島における南北首脳会談も実現し、21世紀に入った。戦争の世紀であった20世紀的軍事力による安全保障に固執し、冷戦的思考方法から脱することなく、相も変わらず米軍駐留費の76%以上を負担し続け、米軍基地を維持し、基地周辺の民衆の生活を破壊するとともに、周辺諸国に警戒心を抱かせ、緊張関係を作り出すか、それとも戦後補償を実現して周辺諸国の人々との間での和解をなし、友好を深めるべきか。答えはおのずから明らかであろう。
 控訴人らが本件裁判によって訴えている核心はまさにこの点にある。