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第119号(2000年12月28日発行)

【連載】
     認定・裁決取消訴訟 (5)

四  「地籍明確化法」の背景と立法経過


 日本政府は、沖縄返還の時点において、おそらく五年もあれば全地主と契約を結ぶことができると踏んでいたのであろう。ところが、一九七七年(昭和五二年)一月一日現在、別表(注・省略 編集部))のとおりなお四九〇人の未契約地主が存在した。「公用地法」は一九七七年(昭和五二年)五月一四日で失効する。その時これらの土地は地主に返還されねばならないわけであるが、それらは、嘉手納基地、牧港補給基地、航空自衛隊那覇基地等、米軍・自衛隊の重要基地を含め、米軍五五基地中二五基地に、自衛隊二九基地中六基地の中に点在していた。これらの土地を返還するとなると、沖縄の基地機能が麻痺状態となるのは目に見えていた。
 政府にとっては、これらの土地はどうしても確保されねばならなかった。政府は地主の同意を得るために、あらゆる手段をとっていたが、全地主との契約は、まず不可能といわざるを得なかった。

 かくして政府は、再び沖縄の基地を確保するための新しい法律を必要とするにいたった。
 それが「地籍明確化法」であった。

 一九七七年(昭和五二年)五月一一日、「地籍明確化法」案は、衆議院において可決され、参議院に送付された。
 その附則六項では、「公用地法」二条一項但書中「五年」を「一〇年」に改める旨が定められていた。
 ところが参議院において右法律案を審議中に、一九七七年(昭和五二年)五月一四日「公用地法」による「暫定使用権」の存続期間が満了し、「公用地法」二条一項に基づく「暫定使用権」は消滅した。
 「公用地法」に基づく「暫定使用権」の消滅は、政府もこれを認めざるを得なかった。

 一九七七年(昭和五二年)五月一五日、参議院内閣委員会において、真田秀夫内閣法制局長官は、政府統一見解として「(「公用地法」)第二条第一項但書の期間は過ぎているので、第二条による権限はない。従って第四条による返還の義務がある。五月一五日以降も、返還するまでは国は管理する義務と権限があり、それに必要な行為を適法にすることができる。この基準に照らして適法な行為を行なっている」と表明した。

 また野党委員(日本共産党)と真田長官・三原防衛庁長官との間では、一九七七年(昭和五二年)五月一五日、参議院内閣委員会で、次のような応酬が行なわれた(沖縄タイムス、昭和五二・五・一六)。

内藤功委員
 一五日以降も、(土地を)返還するまでは国は管理する義務と権限があるというが、誰のために管理するのか。

真田長官
 (土地)所有者本人のためである。

内藤委員
 何のためにするのか。

真田長官
 民法の趣旨を生かすために管理したい。

内藤委員
 地主の希望・意向を最大限尊重するのか。

真田長官
 本人の意思を尊重して管理することになろう。

内藤委員
 自衛隊・軍事基地をとどめるための管理でなく返還のための管理とみてよいか。

真田長官
 自衛隊基地として使用する権限はない。

内藤委員
 (政府が言う新法律成立までの)つなぎ基地を維持していくということではないのか。

真田長官
 (土地を)返還せねばならない義務があるので、その手続は進めるのではないかと思う。

内藤委員
 地主のために、返還するための管理ということに、厳正に限ってゆくという指示はしたのか。

三原防衛庁長官
  具体的な指示はしていない。(しかし)基地の使用についても演習・訓練など積極的な使用はしてはならない。所有者が自分の土地を見たいと言った場合は丁重にやれと伝えている。

 一方、沖縄基地では、一九七七年(昭和五二年)五月一八日午後一時過(「地籍明確化法」が成立するのは、同日の午後一〇時過である)、契約拒否地主四世帯が米軍基地キャンプ・シールズ内に大型トラクター一台を持ち込み、土地を耕し、ニンニクを植え、アヒル二羽を放したうえ、「防衛施設庁とアメリカ軍に告ぐ。ここは私の土地です。許可なく、立ち入り、使用を禁ず。反戦地主会、島袋善祐」と記載した立看板を打ち立てた。(沖縄タイムス、昭和五二・五・一九)

 また、那覇市では、同年同月一六日、反戦地主上原太郎さんら九人が、航空自衛隊那覇基地内に立ち入ったが、一七日も午後二時から自衛隊と防衛施設局職員の案内で“不法占拠”の続く自分の土地を踏んだ。この日の立ち入りは地主9人に弁護士一人を含む一〇人……地主一行は午後四時二〇分、那覇市具志四六、農業上原正義さんの土地(三〇〇坪)でむしろを広げ持参の弁当・菓子・お茶などを口にしながら「祖父の土地でいつでもこうしてくつろげる日が必ずやってくる」と語っていた。一方、自衛隊員たちは地主側の動きを遠巻きにみながら無線機片手に連絡を取り合っていた(沖縄タイムス、昭和五二・五・一九)。

 沖縄県及び那覇市も、「暫定使用権」が消滅した土地につき立入調査を行った。
 すなわち、五月一七日には那覇市が、同年五月一八日には沖縄県がそれぞれ牧港住宅地区に立ち入り、市有地・県有地につき、調査を行った。

 以上のような経過を経た後、一九七七年(昭和五二年)年五月一八日午後一〇時一一分、「地籍明確化法」は、参院本会議で可決成立した。政府は、同法を即日施行、「公用地法」の失効による四日間の「不法占拠」に終止符が打たれたとして、同日付で官報掲載の手続をとった。


五  「地籍明確化法」による土地使用についての政府の見解

 一九七七年(昭和五二年)五月一八日の「地籍明確化法」の立法により、政府は「公用地法」二条一項一号所定の「暫定使用権」は、その存統期間が当初の「五年」から「一〇年」に延長されたものであると主張した。

 その根拠は、那覇地方裁判所一九七七年(昭和五二年)(ワ)第九五号軍用地返還請求事件(原告平安常次ほか七名、被告国間)における被告国の主張によれば次のようなものであった(同事件における一九七七年(昭和五二年)七月一九日付準備書面・第四回・および一九七七年(昭和五二年)一一月一日付準備書面・第五回・より引用)。

 「暫定使用法二条及び同法施行令一条は、同法二条一項一号に掲げる土地のうち同法の施行の際当該土地についてアメリカ合衆国が有する使用の権限が「賃借権の取得について(一九五九年高等弁務官布令第二〇号)」に基づいているもの(以下「施行令一条一号に掲げる土地」という)について、同法の施行の日(昭和四七年五月一五日)から五年間国においてこれを使用できると規定していた」。

 「ところで一九七七年(昭和五二年)五月一八日制定、施行された『沖縄県の区域内における位置境界不明地域内の各筆の土地の位置境界の明確化等に閣する特別措置法』(昭和五二年法律第四〇号)、以下「特措法」という」附則六項において、暫定使用法二条一項ただし書中「五年」を「一〇年」に改正する旨定められ、同改正に伴い、同日『暫定使用法施行令の一部を改正する政令』(昭和五二年政令第一五三号)をもって同施行令一条一号中「五年」とあるのを「一〇年」に改正され、更に同改正に従い、同日『防衛施設庁告示第五号』をもって一九七二年(昭和四七年)四月二七日防衛施設庁告示第七号(沖縄における公用地等の暫定使用に関する法律第二条第一項第一号の土地についての告示)及び同年五月一一日防衛施設庁告示第八号(沖縄における公用地等の暫定使用に関する法律第二条第一項第一号の土地及び工作物についての告示)中「五年」とあるを「一〇年」と改める旨告示されたから、施行令一条一号に該当する土地の暫定使用権の存続期間は、暫定使用法施行の日から一〇年に延長されたものである。」

 「暫定使用法二条一項ただし書の改正の経緯及び特措法附則六項の文書・体裁に照らすと、右附則をもって、暫定使用法施行の際五年の暫定使用権を設定する対象土地を定めた暫定使用法施行令一条一号及び防衛施設庁長官(昭和四七年四月二七日第七号及び同年五月二日第八号)について暫定使用法の改正に対応する使用期間に係る改正がなされることを前提として、当初存続期間を五年とする暫定使用権が設定された土地につき、右期間の経過によりいったん消滅した暫定使用権を復活させ、その存続期間を暫定使用法施行の日から起算して一〇年を越えない範囲に延長させることを定めたものと解すべきである。そして、本件各土地につき暫定使用法及び暫定使用法施行令の施行により期間を五年とする使用権が設定され、特措法附則六項が制定施行されるとともに、これに伴い暫定使用法施行令一条一号及び前記防衛施設庁長官告示につき使用期間を五年から一〇年に延長する改正がなされ、これによって本件各土地に対する暫定使用権も復活したものである。」

 「公用地法」および「地籍明確化法」による本件土地等の使用についての、右のような政府見解は、原告の到底承服し難いものである。以下六において、右のような政府見解に対する原告の反論を詳述する。


六  「地籍明確化法」による土地使用の違憲性


1  「暫定使用権」の消減


(一)「公用地法」に基づく「暫定使用権」は、一九七七年(昭和五二年)五月一一五午前零時の到来によって消減した。そして「公用地法」が実質的に時限立法ではないかという問題は一応おくとしても、少なくとも土地の使用権取得に関する部分(同法二条)が、五年を経過することによって法的効力を有しなくなり、政府と原告ら土地所有者との法的関係は、原告の土地返還請求権と政府の土地返還義務、原状回復義務の関係(同法四条)を残すのみとなったことは明らかである。

 このことは、右同日をもって、土地所有者が土地につき法的に何らの制約も負担もない、文字どおり完全・円満な所有権を回復したことを意味する。従って政府が右同日以降において土地を強制的に使用するには、新たな使用権の設定行為が必要であり、そのためにはそのような権原を発生せしめるに足る要件と効果をもった法規の存在が不可欠であると同時に、そのための適正な手続が履行されなければならない。なぜなら、土地所有者が回復した完全・円満な所有権を再び制限しようとするのであるから、国民の権利・自由を制限するのに法律の根拠なくしてなし得ないこと、法治国家の建前上当然のことであり、また国民の権利・自由が実体的のみならず手続的にも保障されなければならないこと、国民主権主義をとり基本的人権の尊重を宣言する(具体的には憲法一三条、三一条を根拠として導かれるところの)憲法上の当然の要請だからである。

(二)しかるに政府は、いったん消滅した「暫定使用権」が、「地籍明確化法」附則六項によって、「復活」したと主張する。「復活」という以上そこに使用権原を新たに発生させるという法的側面があることは間違いあるまい。そうでなければ「復活」ということは理論的にありえないからである。

  それでは、右附則六項はそのような使用権原を発生せしめる根拠法令となり得るであろうか。附則6項は、その「文言・体裁」からして「公用地法」による「暫定使用権」の期間の延長を定めているにすぎないことは一見明白である。そこには、本件土地について政府に新たな使用権の取得という法的効果を発生せしめる要件は何一つ定められていないし、使用権取得のための適正手続の保障も全く欠いており、現実にも何らそのような手続きはとられていない。

 このように「地籍明確化法」附則六項は、「公用地法」による「暫定使用権」の存続期間の「延長」を定めたものにすぎないのであるから、それは「公用地法」に定める「暫定使用権」が生きて存在していることを当然の前提とするものであって、死んだ(消滅した)「暫定使用権」の存続期間を「延長」するということは論理の矛盾というほかはない。「暫定使用権」が消滅してしまった以上、もはや、期間の「延長」という法形式をもってしては、いったん死んだものを生き返らせ、消滅した権利を「復活」させることはできない。

 そもそも附則六項をふくむ「地籍明確化法」は、一九七七年(昭和五二年)五月一四日の期限が満了する前に成立させることを意図して準備作成されたものであり、そのために「延長」という法形式をとったものが、それに反対する広範な国民の世論と運動、野党の反対にあって、当初の意図に反して右期限を徒過し、「暫定使用権」消滅後の同年五月一八日に成立をみたという経過からしてもこのことは明らかである。

 先に述べたように、いったん消滅した「暫定使用権」を「復活」させるためには使用権発生のための要件と効果を明確に規定した法形式と実体を兼ね備えた立法措置を講じなければならないのである。「公用地法」による「暫定使用権」は、一九七七年(昭和五二年)五月一日午後一二時をもって確定的に消滅したものであり、「地籍明確化法」附則六項によって「復活」することはありえない。


2  「暫定使用権」の存続期間の延長は許されない

 いったん消滅した「暫定使用権」が「復活」したとする政府の主張がいかに根拠のないものであり、法理論として成り立ち得ないものであるかということは、以上にみたとおりであるが、「暫定使用権」の延長ということは「公用地法」の予定するところではなく違法、不当な許されざる法「改正」といわなけれぱならない。
 「公用地法」は「復帰」に際して、沖縄において軍用地ないし公共用地として使用されている土地または工作物を「復帰」後も、米軍用地、自衛隊用地または公共用地として引き続き使用するにつき、無権原状態=法的空白状態が生じるのを防止することをほとんど唯一の立法の目的・理由としていることは、その国会での審議の過程において政府自らがそのことを繰り返し言明していた。

 また、参議院予算委員会(昭和四六年二月八日)において「公用地法」が審議された際、西村直己国務大臣は宮之原貞光議員の質問に対し、「私は、この法案は5年の期間が過ぎましたら、これ自体をその後に延長してやるべきものじゃないと考えております」(参議院予算委員会会議録第6号参照)と答弁していた。

 これは「公用地法」制定における立法者の意思が使用期間の延長はしないこと、すなわち「公用地法」の定める使用期間を確定的期間とすることにあったことを明確に示している。しかも「公用地法」は、その立法過程の当初から、憲法に違反することが学者その他の識者あるいは野党から問題とされ、なかんずくその使用期間の「五年」という点については、「米軍用地収用特措法」の「六月」、「小笠原暫定措置法」・「同政令」の「三年」に比較し著しく長期であって、もはや暫定使用の域を越えるのではないかということが指摘されていたのであり、右答弁も当然にそのことを踏まえてなされたものである。

 さらに「公用地法」の内容それ自体が、公用地法は「復帰」に際しての暫定的な経過措置を定めたものであることを明言し(同法一条一項参照)、かつ「公用地法」制定後にあっても使用権原の取得は、土地所有者との合意を原則とする旨をわざわざ明記しているが(同二項参照)、このことは、「公用地法」が厳格かつ例外的に適用されるべきこと、またその解釈にあたっては国民の権利を尊重し、国家権力を抑制することを要請していると理解すべきことである。

 以上、「公用地法」の立法目的ないし理由とその必要性、立法者の意思、法そのものの内容と性格、その解釈、適用にあたって前記の抑制の原則がとられるべきこと等からして、「公用地法」はその五年の使用期間を延長しないことを法定立の前提条件としていたと解すべきである。

3  「地籍明確化法」附則六項の違憲・無効性

(一) 第一に、附則六項は、土地収用法規であり、政府の契約拒否地主ら所有の軍用地に対する一九七七年(昭和五二年)五月一八日以降の占有・使用は右土地収用法規を発動しての新規土地収用であるにもかかわらず、附則六項は、土地収用法規に必要不可欠な、事前に土地所有者の意見を徴することはもとより、事前・事後の不服申立、第三者機関の裁定等の権利者保護のための手続を何らおいていない。これは、憲法三一条の定める適正手続保障、憲法二九条の財産権保障に真向から反する。

(二) 第二に、そもそも「公用地法」の定めた五年という「暫定使用権」の存続期間が「暫定使用」の域をはるかに逸脱するものであることは、すでに指摘されているところであるが、附則六項は、政府によれば、この「公用地法」による「暫定使用権」の存続期間を五年からさらに一〇年に「延長」したものというのであるから、それは、もはや、いかなる意味においても「暫定使用」の名によっては許容しえない代物である。したがって、附則六項による「暫定使用権」の「延長」は、適正かつ合理的な私有財産権の制限・剥奪とはいえず、憲法二九条に違反し、それ自体無効であると言わざるを得ない。
 (つづく)  


(〔別表〕公用地暫定使用法に基づく財産権使用状況は略)