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第118号(2000年11月28日発行)

那覇市長選 なぜ?

 大敗だ!風速八〇メートルの台風が吹き荒れている。この台風は自らの大統領を決めきれない米国と党内からもヤメロとの声が出ている森政権の日本政府、そしてうそつき稲嶺県政にとっては最高の追い風である。いや追い風以上のものである。しかし、基地撤去を求め、普天間基地の辺野古への移設や那覇軍港の浦添への移設を望まない人々にとっては存在そのものを根こそぎ持って行かれかねないほどの大衝撃である。

 那覇市長選はなぜ敗れたか?『長すぎた三二年』『革新疲労』などという二年前の知事選以来の謀略スローガンは効を奏したか?また『県都初の女性市長』は市民の心を捉えたか?

 残念ながら双方ともNONである。選挙前の地元紙の調査では八〇パーセント余りが関心あると答えながら実際に投票に行ったのが六三・五二パーセント。この差を埋めるのが基礎票の少ない「ほりかわ陣営」にとっての勝利の方程式だったはずだが、それは期待はずれに終った。結果は両陣営とも市民の「心」をつかむ事ができずに、従前たる保革の構図がそのまま現れただけである。
 今回の選挙は初めから両陣営ともちぐはぐだった。自公候補の方は立候補段階から自民単独派と自公派に分かれ、結局中央の意向で自公派にまとまるが、選挙戦を通じてもその溝は解消されず、「ソウカ学会」の底力と現実不満派の「希望票」で勝利を納めた。

 それでは、ほりかわ陣営の敗北はいったい何だったのか、反基地運動にとってはその事が一番重要な事だ。選挙は両陣営とも『市民』を名乗って出た。しかし実態は自公対反自公であった。ほりかわ選対は事務局長こそ市民派を置いたがその中身は旧態依然とした社大、社民、共産を軸としていた。それに民主、自由連合が加わる五党体制プラス労組部隊。そこへ来年に政治センター設立を目指す連合沖縄が独自の体制で初の選挙参加。しかしスタートするや否や旧同盟系はそそくさと自公候補側へと走り去るという、お粗末さをさらけ出した。

 さて、ほりかわ選対に結集した五党だが、彼らはすでに去る六月の県議選で無方針ぶりを実証済みだった。市長選になったからといって、突然方針が出ようはずはないのは明かだった。

 選対を開くとその懸念はすぐさま表面化した。せっかく「初の女性市長」と言いながら、やる事は「親泊市長の後継者」論を軸に、革新市政は悪くなかったなどと、ことごとく相手の主張に反論すると言う後手後手の対応である。せっかくの女性市長と言う目玉を活用できずに、相手の土俵でバタバタするばかりだ。その主張からはこれまでの市政における自らの利権を守ろうとする姿は見えても、残念ながら新しい時代に向けて、一緒にやりましょうと市民に訴える事は難しい事が誰にでも解かる。かくして、ほりかわ選対は展望なく、無方針のバタバタ選挙をやって行く事になる。市民の顔の見えない街宣車。繰り返される親泊市長の後継者。……

 さて、今度の選挙に対し、市民運動の側はいかなる対応を取ったか?この選挙で負けると自公保政権の思い通りにされると危機感を持った市民運動部分は独自選対を発足させ、ほりかわ勝利へと立ちあがった。独自のビラ、独自の行動計画、ほりかわ選対との連携、かつてなかったほどに市民運動体の取り組みは具体的だった。だが、結果は散々たるものだった。確認したはずの「危機感」は共有される事はなく。少数精鋭の毎日が続いた。意思一致はしたものの人は集まらず、叫べど応えぬ日々が続く。結果的に市民に切り込んで行くはずの力がそがれてしまった。ここが機能していたら勝てていた。しかし結果は違った。なぜか?

 今度の選挙は基礎票の差で勝敗が決まった。しかし、革新政党なるものがますます自己保身的になる一方、市民運動の側もこのままではジリ貧になるだけだろう。どうすべきか総括会議が真剣に模索され始めた。
                島田正博(一坪反戦地主・元那覇市議)