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第115号(2000年8月28日発行)

命を守る会 東京行動

普天間飛行場をアメリカに持ち帰れ!

県外に移設せよ!

請願行動顛末記


            安次富 浩(ヘリ基地反対協 共同代表)

 八月一○日、早朝六時、いまだ夜が明けぬ辺野古を、私たち六人の代表団は、ジュゴンの会代表嘉陽宗義(通称、嘉陽のオジィ)夫婦の熱い檄を受けて出発した。

 前日、命を守る会の宮城保事務局長から、「明日の請願行動には、敬意を示すため、スーツ着用」との急なお達しが出たため、着慣れていない夏服用のスーツを探す騒動も一段落して床についたおかげで、早朝五時起きの頭は完全にさめておらず(ニーブイ、カーブイしつつ)、那覇飛行場への車中では、守る会の嘉陽、稲嶺オバァと西川征夫前代表との雑談に加わることもままならぬ状態であった。それにしても、五時前に起きたというオバーたちの元気なこと。

 米大使館と首相官邸に提出する約一万部、五万人に近い署名用紙の重さに、男達は驚きの声を発した。宮城事務局長に言わせると、「島袋宗康事務所を通じての米大使館等との日程調整に追われ、署名用紙を運ぶ手だてをすっかり忘れていた」とのこと。大きなボストンバック四個に分散した署名用紙を、肩にくいいる状態で参議院議員会館まで移動した。羽田からモノレールに搭乗する際、自動改札口で切符をあわや取り忘れる一コマは、公共的交通機関を利用する日常文化の違いか!愛嬌々々……。

 島袋議員の控え室で休憩、同会館での昼食後、代表団は三グループに分かれて行動に移る。金城祐治代表と西川さんは赤嶺政賢共産党衆議院議員、オバー達は東門美津子社民党議員、宮城事務局長と私は島袋議員の車に分乗し、一路、米大使館へ。米大使館前には、一坪反戦地主会関東ブロックの呼びかけに応じた二○名ほどの支援のみなさんが激励のため駆けつけていた。黒塗りの公用車は、検問抜きで大使館の門を走り抜ける。黒塗りはまるで水戸黄門の印籠みたいであった。

 大使館の玄関口で、飛行場と同じシステムによるボディ・チェックを行うかで通訳の女性職員と上司の米職員との間でのやりとりを横目に見つつ、またもや、ノーチェック。エレベーターで二階に上がり、会議室では某三等書記官と通訳の女性職員が請願書を受領するため待機していた。去った七月二一日の万座ビーチホテルにおけるアメリカ側の対応は、駐沖領事であったが、地位はどっちが上なのかと自問しながら、誓願要請の趣旨説明に加わった。六名と三名の議員は、「辺野古への新たな基地には反対であり、ジュゴン、珊瑚が棲む自然豊かな海にはヘリ基地は似合わない。大統領が帰米する際、お土産として普天間飛行場を持ち帰って欲しかった」等々、それぞれの思いをぶっつけた。「みなさんの心に染みる気持ちを上司に伝える」と流ちょうな日本語を使いながら通訳を仲介にしての対応に、摩訶不思議さを覚えた。

 米大使館前で待機している支援者に、宮城事務局長が要請内容の報告をする。慌ただしさの中、議員控え室で休憩をはさんだ後、総理官邸へ直行。米大使館とは比較にならないほど質素な造り。請願を受ける控え室は、玄関に近く、狭い会議室。坂平(?)事務官一人が対応。「日米安保が必要なら、森首相の地元にでも誘致しなさい。沖縄は飽和状態であり、これ以上の犠牲はごめんである」と強く主張するが、表情を変えず、もちろん私見も述べず、淡々と要請の主旨をメモ書きし、最後には丁重な言葉で締め括る態度に、豆腐に釘の喩えのごとく、このようにして優秀な官僚が育つのだなあーと妙な感心を覚えた。その後、参議院議員会館での記者会見を終えて、命を守る会主催の報告集会会場に向かった。

 クリントン大統領への直訴は叶わなかったが、今回の東京行動で命を守る会の存在を日米両政府にアピールできたこと、また、対政府交渉の窓口を開設できたことの成果を生んだといえる。
 最後に、命を守る会東京行動団への労をとっていただいた沖縄選出の四革新国会議員及び、関東ブロックのみなさん、そして、報告集会で多額のカンパをしていただいた一五○名余りの支援者のみなさんに対して、誌上を借りて、深く感謝を申し上げます。

(編集部注 「ニーブイ、カーブイ」は居眠りをしている状態)