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第114号(2000年7月28日発行)

 検問をくぐって

  万国津梁館・万座ビーチへ 

 基地包囲のあった翌日、二一日からG8サミットが始まった。

 辺野古の「命を守る会」(正式名称:ヘリポート建設阻止協議会)はこの首脳会議出席のため来沖する森首相とクリントン大統領に手渡すため、約一カ月かけて、ヤンバルへの基地移設に反対する約二万名の陳情署名を集めていた。同会の皆さんは二○日の嘉手納基地包囲にも大勢が参加し、おおいに気勢を上げたが、二一日は両首脳に直接面談陳情し、署名簿を手渡すため、会議場であるブセナの万国津梁館に出かけた。

 午後一時に、守る会の代表・金城祐治夫妻、相談役・嘉陽宗義夫妻、同会事務局長・宮城保氏らと、ヘリ基地反対協共同代表・安次富浩、弁護士・池宮城紀夫・三宅俊司の両氏、更にたまたま同会を訪れた一坪反戦地主会関東ブロックの四人計一五人が三台の車に分乗して辺野古のプレハブ事務所を出発。琉球新報記者、毎日新聞記者が同行した。

 金城代表と宮城事務局長の巧妙なルート選びで、途中の検問をかわし、ブセナ入口では「地元民の意見を述べたいと首相官邸に申し入れをしてある」と警備陣に申し立てて、ゲートを開けさせて待機。暫くして、外務省の課長補佐が出向いてきて、首相に会わせろ、会わせられないで押し問答。ゲートに三台も車が止まったのでは、ほかの車両の出入りの邪魔だということで、中の駐車場に移動。外務省の藤瀬という課長補佐が「私が責任を持って総理大臣にお届けします」というが、宮城事務局長の「こっちは官邸の責任者との話が必要で、首相が本当に地元代表に会わないと言ったかどうか確かめたい。官邸の責任者を出せ」という主張におろおろするばかり。

 一旦、上司と相談すると言って引っ込んで、また、駐車場に戻ってきたが、そう簡単にらちが明くわけもなく、「私がお預かりしたい」というのを「外務省では管轄違いで、信用できない」として署名簿は渡さず。

 この課長補佐が一旦引っ込んでいる間に、三○〜四○メートルしか離れていないヘリポートには自衛隊のヘリが次々着陸、EU・プローディ委員長、イタリア・アマート首相、ドイツ・シュレーダー首相が白バイ先頭に次々会議場に繰り出していった。クリントン大統領は宿舎である万座ビーチホテルが近いということで、アメリカから持ち込んだ専用車で、娘と二人で乗り込んできた。こういう人たちにまるで関心のなかった筆者には、思わぬおまけのハプニングであった。米大統領への面会については、すでに首脳会議が始まったということで、ブセナでの手交をあきらめて、米国国務省なり大使館なりの責任者に取り次ぐように、外務省の課長補佐に申し入れたところ、ブセナには米国のそういう機関はなく、それは万座ビーチの方だと言うことで、「それでは万座へ行こう」となった。

 余談ながら、自衛隊ヘリが首脳を運んでいる間に、池宮城弁護士の携帯電話に「グリーンピースのメンバーが四人警備陣に拘束されたので、接見に行って貰いたい」との連絡が入る。

 ブセナでは「・命を守る会・が万座ビーチホテルへ署名簿を持っていく」ということを、警備陣と米国関係機関に連絡するよう外務省の課長補佐に申し渡して、万座へ。

 万座入口の検問では、これこれしかじかと説明すると「はい、聞いております」と入れること入れたが、入口の直ぐそばの駐車場横に停車。警備態勢はブセナよりこっちの方が厳重。ここでもまた、外務省の役人。アメリカ人のSPも二人出て来た。「アメリカ政府への申し入れに、外務省は口出しするな」ともめあって、結局は在沖米国総領事館の領事が対応することになって、五○がらみの頭のはげたジョージ・T・ノビンガー領事が出てきた。しかし、結局話はつかず、署名簿は持ち帰りとなった。「命を守る会」としては八月初めにも、代表を派遣して首相とアメリカ大使に署名簿を提出したい意向。
 (U)