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第114号(2000年7月28日発行)

平和サミット

 花は土に咲く

  基地なき平和を求めて

 七月一日、主催者(伊江島・わびあいの里)の心配をよそに、読谷村文化センターに続々と人が詰めかけた。辺野古のおじい、おばあの顔も見える。最終的には、席に着けない人も出て、その数、約九百。

 会場入り口近くには、阿波根さんの写した土地闘争の記録写真がメッセージを添えて展示されている。

 集会では、九七年公開審理で阿波根さんの証言が記録フィルムで紹介され、続いて伊江島の反戦地主・平安山良有さんらの唄と三線「陳情口説」なども演じられた。

 シンポジウム「基地なき平和を求めて」は、受付の手伝いなどをしていてほとんど聞けなかったが、山内徳信・元読谷村長の「弱い者が強い者を乗り越えるには、学ばねばならない。東京がだめなら地方の力で、憲法の平和主義・主権在民・基本的人権の尊重を実現していこう」という訴えが心に残った。

 最後に、「花は土に咲く」と声高らかに平和宣言がなされた。
(O)  


平和宣言 花は土に咲く


 私たちの住む沖縄は、美しいさんご礁に囲まれ、緑の木々、たくさんの動植物の住む島です。
 この美しい島は55年前、戦場となり、20数万人もの人間が、殺されました。赤ん坊も、年寄りも、若者も、戦争は、人間だけでなく、この島の美しい自然をもことごとく破壊しました。この悲惨な戦争を起こしたのは、人間であります。敗戦後日本国民は、二度と再び戦争を繰り返すまいと誓いました。

 戦争が終わり、ようやく平和が訪れると、誰もがそう思っていた頃、完全武 装の米兵300人が、伊江島へやってきました。彼らは、家を焼き払い、島の 人々を縛り上げ、追い出し、その土地をフェンスで囲い、米軍基地を作り上げ ました。命を育む大地を、戦争のための基地としたのです。伊江島の平和を願 う人々は、接収以来今日まで、その不当性を訴え、用地の返還を求めて闘いつ づけてきました。しかし島の人々の願いもむなしく、今なお、在日米軍基地と して接収されつづけているのです。

 伊江島だけでなく、沖縄には在日米軍基地の75パーセントが集中するという異常な状態が今も続いており、戦争が終わり55年の歳月が経過した今日でも、数え切れないほどの米軍による事件事故が起こっております。

 復帰時の核ぬき本土なみ返還という約束も守られることなく、基地の強化が進み、今では、基地の整理縮小という名のもと、普天間飛行場の県内移設として、名護市辺野古での新たな基地を建設しようという暴挙がまかり通ろうとしているのです。

 聖書には「剣を持つものは剣にて滅ぶ」と書かれています。「武器を持つ国は武器にて滅ぶ」歴史はそれを証明しています。武器によって守られる平和ではなく、人間の良心によって守られる平和を、私たちは望んでいるのです。

 「他を責めない、愛を持って友と友が、人と人が、国と国が、不義を正し、世界中の人々と仲良く、譲り合って、助け合って共に生きる。」これこそが、真の平和であり、幸福であると私たちは、信じているのです。

 さあ、今こそ、私たちは、武器を捨てることを危ぶむよりも、武力による破壊の危険を捨てる勇気に目覚める時です。

 21世紀を目前にして、私たちはこの沖縄から、世界中が、武器を捨て、基地をなくし、ほんとうの平和という大輪の花をこの大地に咲かせようではありませんか。

 本日、民衆による平和サミットに結集された、全ての人々の願いと共に、ここに高らかに平和を宣言します。

  1. 私たちは、過去の戦争体験に学び、その反省を教訓とし次の世代に平和の心を継承する。
  2. 私たちは日本の平和憲法を世界の憲法とし、核をはじめとする、あらゆる兵器の廃絶を訴える。
  3. 私たちは、軍事基地の存在自体が世界を滅亡させる第3次世界大戦を準備するものと認識し、基地の廃絶を訴える。
  4. 私たちは、アジアの平和と信頼、友好関係を民衆の立場で進め、共に生きる平和を創造する。
  5. 私たちは、名護市東海岸辺野古への新たな基地建設に反対し、武器に守られるのではない、墓地なき平和を求める。
  6. 私たちは、自然の声、声なき声に耳を傾け、花は土に咲くという最も確かな真理を柱として平和を実現する。
                      2000年7月1日

沖縄 伊江島  財団法人 わびあいの里