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第112号(2000年5月28日発行)

 【連載】

   やんばる便り 3
            
浦島悦子(ヘリ基地いらない二見以北十区の会)

 東海岸をイジュの白い花が彩り始めた。琉歌に「イジュぬ木ぬ花や あんちゅらさ咲ちゅい わぬんイジュやとてぃ真白ら咲かな(イジュの木の花があんなにきれいに咲いていることよ。私もイジュのように真っ白く咲きたいものだ)」と歌われるイジュが花咲く頃、やんばるは雨季に入る。 

 例年ならそうなのに、今年は年の初めから四月中旬まで雨が降り続いたかと思うと、それ以降、今度はカラカラ天気が続き、五月に入ってもいっこうに雨が降らず、咲き始めたイジュの花も元気がなかった。こんなに気候がおかしいのは、目に余る人間の傲慢と愚行に天が怒っているからだろうか。待ち望んでいた雨がやっと訪れ、水を吸ったイジュが生気を取り戻して胸に染みるように美しい日、大浦に住む宮里弘子さんを訪ねた。

 大浦は大浦湾の奥に位置し、大浦川河口の沖積地に形成された集落で、久志地域では古い集落の一つだ。弘子さんは一九〇五年生まれの九五歳。大浦生まれの大浦育ちで、高等科を卒業後、一六〜二〇歳(おそらく数え年で)まで大阪の紡績に出稼ぎに行った以外は、ずっとここで暮らしてきた。若い頃は部落の女性のリーダー的存在だったようで、婦人会長を一〇期勤めたという。もう今は体が動かないので現場に出ることはないが、部落のカミンチュ(神人)の一人でもある。足腰が弱くなり、自宅で寝たり起きたりの弘子さんは耳も目も達者で、訪ねるととても喜んで迎えてくれる。

   「弘子オバァ、久しぶりぃ。お元気ですかぁ」(と外から声を掛ける)
弘子
    「誰ねぇ。元気よ。入りなさい。あぁ、あんたねぇ」

    「雨降ってよかったねぇ。イジュの花がきれいだよ」
弘子
    「昔はイジュの木の皮で(砕いて魚毒として使う)魚を捕ったもんだよ」

    「そうですってね。この大浦湾でも魚がたくさん捕れたの?」
弘子
    「テンマ(船)でビシ(干瀬)まで行って、ササ入れる(イジュの魚毒を入れる)と船いっぱい捕れてね。部落中に分けたよ。ウニもたくさん捕れた。今はここも(米)軍に取られてダメになったさぁ」

    「土砂も流れ込んで浅くなったしね。このまま梅雨に入ってくれるといいけど……。この頃天気がおかしいから」
弘子
   「世の中も逆立ちしているさぁ。昔は自分たちで米も作って野菜も作って食べていたのに、今はお金で何でも買えると思っている。戦争であんなに難儀したのに年寄りも大事にしない。こんな世の中があるか」

 雨に濡れてつややかな緑を見せる裏の山々は、沖縄戦当時、夫、長男、次男を兵隊に取られた中で、弘子さんが他の子どもたち、夫の両親、長男の家族を引き連れて避難小屋を造り、逃げ回ったところだ。大浦湾から米軍が上陸し、カヤ葺き屋根の集落はあっという間に丸焼けになった。村人を守るためと称し、立ち入り禁止のウタキ(ムラの神々の宿る聖域)の木まで伐採した日本軍はさっさと逃げてしまっていたという。

 弘子さんの次男は数え年一九歳の若さで護郷隊に出され、戦死した。弘子さんは本部半島まで行き、山の麓から頂上までを埋め尽くした遺体の中から次男を捜した。名護湾からの艦砲射撃に当たって吹き飛ばされたうえ、頭に大きな石が当たって死んでいたという。

弘子
   「護郷隊は、弾もないのに、アメリカーが通ると『石を投げてきなさい』『手りゅう弾を投げてきなさい』と言われて使われたって。『お国のため』と言いながら、隊長たちはみんな逃げて生き残って、幼い子どもたちを戦死させたんだ。かなわんのに、早く降参すればいいのに、人の子どもたちをみんな犠牲にして、沖縄を犠牲にして、人民を苦しめて、大将たち、バカであったな。親にとってはこんなに大事な子なのに、犬死にさせて……。人殺しをする世の中があるか。戦争はダメ」

    「なんだか、世の中また戦争しそうになっているよ。ここにも新しく基地を造ろうとしているし」
弘子
   「ぜったい反対しないとダメよ。どこまでも反対しないと。自分たちはもう長くないけど、基地なんか造らせたら、クヮーマガ(子孫)がアワリ(哀れ)するよ」

    「基地を造ったらお金をあげるとか、基地で儲かると言ってるけどね」
弘子
    「一時は儲かってもすぐさびれるよ。辺野古を見たらわかるさ。人間は働いて、農業して食べるのが本当よ。久志村も東村も一致して立ち上がらんとね。地元が反対すれば基地はできないよ」

 弘子オバァ、いつまでも長生きしてねー。