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第111号(2000年4月28日発行)
【連載】
     認定・裁決取消訴訟 (3)

四 講和後の土地接収の違法性

1 布令一○九号による土地接収の違法性
 布令一○九号では、米軍の収用告知があった場合、土地所有者は告知後三○日以内に、収用を受諾するか否かを回答しなければならず、拒否する場合には訴願が許されるが、訴願に対しては、価格及び適正補償に関する点だけが審理決定されるのみである。

 収用告知後三○日を経過したときは収用宣告が発せられ、土地に関する権利は米国に帰属する。但し、前記三○日の期間中であっても、米国が緊急に占領し、かっ使用する必要があれば、直ちに明渡しを命ずることができる、旨規定されている。

 ところでこの布令では、米国がどのような場合に土地を収用することができるのか、換言すれば、権利取得のための目的、要件について何ら規定するところがない。この立法の上からは、米軍が必要だということが至上命令であって、これに制限を加えるものは何もない。その意味では、この土地収用令は米軍の土地接収に形だけの法的根拠を与えることのみが目的とされ、適正な手続により土地所有者の権利を保護しつつ、公共の利益との調和を図るという側面が全く無視されている。この布令には、収用の手続はあっても、何らの適正性はなく、したがって、これは「適正手続を規定した法令」というより、単なる米軍の内部用の手続規定にすぎないというべきである。このことは、収用の適法性について争う方法がないこと、訴願はあっても、それは価格および補償に関してのみであること、また、たとえ訴願があっても収用宣告を発する妨げにはならないことなどが規定されていることによって、なおさら明らかであろう。

 とくに問題なのは、収用告知後三○日を経過しなくても、米軍が緊急に占領し、かっ使用する必要がある場合は直ちに明渡しを命ずることができる。三○日という期間が立退準備に必要な期間としてはいかにも短かく極めて冷酷な規定であるのに、この三○日の期間すら守らなくてよいということになると、米軍は、いつでも好きなときに一方的に強制収用することができるということであって、このことは収用告知書が土地所有者に到達する前に武力接収した安謝、銘苅の例で経験ずみのことである。かかる人民の権利を不当に侵害する布令による接収は、国際法及び当時潜在主権を有していた日本の憲法の許容し得ない無効なものであったといわなければならない。


2 布告二六号による土地接収の違法性

 布告二六号が発布された経緯やその内容については、さきに簡単に触れておいたが、ここでは、同布告が土地使用権発生の論拠とした「黙契論」について、その不当性を明らかにしたい。

 布告二六号はその前文の冒頭において、「一九○七年一○月一八日の第四回「ヘーグ会議」において定められた陸戦法規及び陸上戦闘の規則、慣習に関する規定第三節第五二条の条項に基き、合衆国軍隊は、占領軍が必要とする不動産を収用し、これを占有した」と述べて、講和条約発効前の土地使用がヘーグ戦闘法規を根拠にするものであることを明らかにするとともに、続けて、「対日講和条約第二章第三条によって合衆国に与えられた土地収用権に基き、合衆国軍隊は、一九五二年四月二八日以後、更に、合衆国軍隊の必要とする他の不動産を占有し、これを使用した」と述べて(第二項)、講和条約発効後の土地の使用の根拠が平和条約第三条によって米国に与えられた統治権に基くものであるという米国の考えを示した。

 しかし、その後につづく前文の第五項では、「該土地が収用された一九五○年七月一日及びその翌日から合衆国においてはその賃借についての黙契とその賃借料支払の義務が生じ、当該期日現在で合衆国は賃借権を与えられた」とも述べている。

 そこでまず疑問となるのは、一九五二年四月二八日以降の米軍の土地使用の根拠を、当の米軍は何と考えていたのか、ということである。前文第二項からすると、平和条約三条によって米国に与えられた統治権が、即「収用権」になり、なんらの法的手続を採るまでもなく、米軍は当然に土地の使用権を取得したことになるとも認める。そうであれば、一九五○年七月一日に「黙契」によつて土地使用権を取得したという前文第五項との関係はどうなるのか。同布告は前文において、まずこのような矛盾を露呈している。

 次に、さきに引用した前文冒頭の部分では、占領期間中の土地使用を戦時国際法にもとづく強制的な徴発であるといい、前文第五項では、同じ占領期間中一九五○年七月一日以降は「黙契」による賃借権であるといっている。これも自家撞着した見解であり、明白な矛盾である。

 そもそも、米軍が占領中から強制的に使用していたという事実によって、その土地の使用者との間に、暗黙の合意による賃貸借契約が成立し、平和回復後もその関係が継続されるというのは、土地の私有財産制を認める文明国民の間では、とうてい通用することのない暴論である。

 米軍の見解によれば一九五○年七月一日以降の土地使用料を受けとったから、それによって暗黙の賃貸借契約が成立したというのであろうが、その使用料は、補償料というべきものであって、賃借料ではない。沖縄県民は当時そう考えていたのであり、一九五四年四月三○日に立法院で成立したいわゆる「土地問題に関する四原則決議」でも「現在使用中の土地については適正にして、完全な補償がなされること」という項目を掲げている。

 従って、「黙契論」が国際社会において、土地使用の法的根拠として承認されうるはずはなく、同布告を根拠として、講和後土地を接収、使用したのは、明らかに違法といわざるをえない。


3 布令二○号による土地接収の違法性

 布令二○号は、布令九一号、布令一○九号、布令一六四号という一連の収用法令の流れを受けて発布された法令である。

 これは、右に挙げた法令に対する県民の抵抗を柔らげるため、琉米代表による現地折衝という手続を経て米軍が制定した法令であり、布令一六四号で定められていた「一括払い」「限定付土地保有権(実質的には土地所有権)の取得」という点を修正して「不定期賃借権」を規定しているが、内容は前記の布告、布令を集大成したものに外ならない。

 例えば、琉球政府が土地所有者と賃貸借契約を結び、琉球政府はアメリカ合衆国に対して転貸する、という点は布令九一号に定められていたし、この契約が成立しなかったときは、米国「収用宣告書」を発することができ、必要によつては宣告書を発する以前に直ちに明渡しを命ずることができるということは、布令一○九号、布令一六四号に定められていたものである。

 従って、布令二○号という法令に対する批判は、右の各布令に対する批判(布令一六四号に対する批判は布令一○九号に対する批判とほぼ同様であり、布令一○九号より「限定付土地保有権」という考え方を持ち込んだ点で、より悪質である)を引用することで足りる。

 ただ、布令二○号の場合、琉米間の現地折衝という「手続」を踏み、その妥結を受けて同布令が出され、土地所有者も同布令によって琉球政府と「土地賃貸借契約」をし、琉球政府がアメリカ合衆国に土地を転貸するという形がつくられている点については、若干コメントが必要かもしれない。

 しかし、琉米の双方の代表による「現地折衝」なるものが、そもそも対等な独立国間の交渉ではなく、「占領者」たる米軍(米民政府)と「被占領者たる沖縄県民」との間、あるいは米軍の一方的任命による主席が長で、米軍の代行機関たる性格しか有しない「琉球政府」との間の圧倒的に軍事力、政治力の違う者同士の交渉であり、それまでも一五年もの間米軍事権力の「力」をいやというほど見せつけられた沖縄県民あるいは「琉球政府」に、基本的な点で「否」と言える状態になかったことを考えれば、この現地折衝なるものも、民主的手続という粉飾を凝らすための一種のセレモニーであり、その実質は多少譲歩しても米軍の基地維持目的を合法化しようとしただけのものにすぎない。その証拠に、現地折衝前と現地折衝妥結後とで、布告、布令の内容はなに一つといつてよいほど変わりがない。変わったものといえば、米国が導入しようとしていた「一括払い」「土地買い上げ」が、「不定期賃借権」「土地使用料の前払い」に修正された点だけである。従来の土地使用を合法化し、将来の土地使用の法的根拠を得るということでは米国は、講和条約発効以来の方針を貫いている。

 こういう、米軍権力の前に屈した「妥結案」によって、沖縄県民は「琉球政府」と「契約」させられていき、かくして土地は米軍に提供されていったのである。このような「米軍権力の下での契約」、この米軍権力によって制定された布令二○号の下での「契約」は、契約の名に値せず、いかなる意味でも自由な意志に基づく契約とはいえず、従って、従来の米軍の「実力による使用」を合法化する法的根拠とはなりえない。  
                    (つづく)