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第109号(2000年2月28日発行)

安里秀雄さん 記念講演要旨

名護移設は米側の初めからの作戦?

掘られていたトンネル

 第二次大戦後に米側が、沖縄人を追い出して一方的に囲い込んで基地にしたのは、私有財産の接収を禁じたへーグ陸戦法規違反である。戦勝国といえどもこれに違反することはできなかったはずだ。その後の布令・布告の乱発-銃剣とブルドーザーでの基地建設も許し難いが、そもそも沖縄の基地がそのように形成されて今日に至っていることを忘れるわけにはいかない。

 九二年の「グローバル=パートナーシップ=アジア・太平洋安保」、あれは「大東亜共栄圏」の別名ではないのか?「侵略」のことを「進出」と言い換えても実質同じではないのか?

 違憲共闘がとりくんでいる裁判は併合して、現在二件になっているが本年秋ごろには結審へ向かうことになろう。この裁判で国側は、沖縄のことを「キー・ストーン=優れた位置」だと主張しているが、米国の国益のために駐留しているのであって、なにも日本を防衛するためなどではないことは、もはやだれもが周知のことだ。

 平和祈念史料館「問題」の発端は実は九六年六月に橋本首相による「反日・的なものの調査」にあるのではないか?この時沖縄の博物館は「反日的」だと報告されているのだ。

 七一年一〇月二九日の『琉球新報』によれば、嘉手納基地からキャンプ・シュワブヘ地下トンネルがある、本土の技術者が掘った、約一四キロメートルで、トラックが通れる……とある。その後埋めたという報道はない。名護移設は実は米軍の初めからの作戦ではなかったのか?

 戦争では戦闘員ではなく民間人が殺される。ベトナム戦争では実に九五%が民間人だった。

 沖縄はたしかに太平洋のくさび=「くさてい」だ。沖縄は軍事的くさぴではなく平和のくさびになりたいものだ。そのためにがんばる。