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第106号(1999年10月28日発行)

「思いやり予算」違憲訴訟・東京 (5)

第七回:憲法上有している主権者としての権利に基づく訴訟

第八回:原告は証人申請、被告=国は却下を求める反論

 前号(第一〇五号)では紙面の関係でやむなく休載せざるを得なくなった。まずはお詫びしたい。その間、第七回(七月二十三日)と第八回(十月十九日)の口頭弁論が開かれた。そこで、前回予告した『共同防衛のための同盟国の寄与』(九十九年度版)についての解説は次号に回し、今回は二回の口頭弁論について報告する。

 第七回口頭弁論では、原告側論証の一応のまとめとして、準備書面(九)・(一〇)と甲百二十九号証を提出した。準備書面(九)は「思いやり予算」の違憲性・違法性についてのこれまでの主張をまとめたもの。(一〇)は「日本国憲法の構造から見た本件訴訟の意味」について根本孔衛弁護士の格調の高い文章で綴られている。甲百二十九号証はインターネットなどを利用した検証のまとめである。全文はホームページに掲載されているのでお読みいただきたい(注)。

 準備書面(一〇)では、まず、本件訴訟を「「思いやり予算」の作成、議決ならびにその執行によって、原告が、その憲法上有している主権者たる地位、平和的生存権及び租税負担者の基本的権利から生ずる法益が侵害されていることから生じた損害に対して、国家賠償法第一条にもとづいてその賠償を求めている」と定義し、ついで、内閣・国会議員・防衛施設庁長官などの行為が国家賠償法上の公権力行使にあたり、その内容が憲法の一義的文言に違反している場合は国家賠償法上の責任が生じることを論証している。

 そして、先の国会での結果をも踏まえ、日米安保と憲法九条について、「……政府はこれを専ら個別的自衛権の発動として説明してきた。しかし、この度国会で成立された周辺事態法等が発動される場合は、米軍の戦争または武力行使があった場合の日本の自衛隊の積極的な軍事加担行為を意味するものであるから、その合憲性は個別的自衛権による説明では困難である」と述べ、さらに、「安保条約、自衛隊の問題をさしおいて、特に「思いやり予算」の支出を問題にするのは、これによって維持される米軍の最近の実状は、日本政府が主張してきた日米安保条約解釈の外に出ており、これに対する「思いやり予算」支出による日本政府の加担はその義務の履行の範囲を超え、……またこれまでいわれてきた自衛権の行使ということでは到底説明できない状態にあるからである」と説明している。

 ついで、「原告らが主張する権利ないし法益は、国民の一員として憲法上有する平和的生存権、担(納)税者基本権、幸福享受追求権であり、また、それらから発生する司法によって保護されるべき私法的権利ないし法益で」、これらは「日本国憲法の基盤をなす国民と国家の関係から生ずるものであって、それらは憲法の前文及び各条項によって具体化されている」と説く。さらに、日本国憲法の原理は明治憲法とは異なり、「国家の権力は、国民が主権者として国家機関に授与し信託した範囲に限定され、その行使の態様は国民に人権の享有せしめるという目的に向けられるのであって、それに反する行使は国民によって否認され、その責任が問われる」と、原告が被告の責任を憲法的権利として問う根拠を明らかにした。

 平和的生存権については、「憲法の平和原則は、形式的には憲法上の条項とその前文において平和的生存権として確認されているところであり、……実質的にも国民の生命、身体の安全及び生活の権利として存在してきていたのである。……被告は平和的共存権は抽象的概念であるとか、実性のない理念にすぎないなど主張しているが、……平和的生存権が国民の憲法上の権利として形式的にも、実質的にも存在していることは、……否定することができない」と、その実質性を強調した。

 担(納)税者基本権については、「租税は……国家の機構が機能するのに必要な費用を、国政の信託者たる国民が分担して拠出するものであ」り、被告準備書面でいう「納税者は、……法律上当然に租税を納付する義務を負担することになる」などというのは、「明治憲法下の租税法の教科書の引用としてでも通用できそうである」とばっさり切り捨てた。そして、憲法第三十条の「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負う」と明治憲法第二十一条の「日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ納税ノ義務ヲ有ス」とは表現は同一であっても、憲法の構造からいって、その法的意味は異なり、「政府は国民から信託された受任者の立場において国制をおこない、その結果である福利は国民が享受すべきものであるから、国民は国政の費用として分担拠出し、政府が支出した租税の用法とその効果がどのようであるかについてこれを監視し、検査でき、そのような権利を本来的にもっていることは当然」として、原告の訴えの正当性を主張した。

 準備書面(一〇)は次のように結ばれている――国及びその機関による原告らの平和的生存権及び担税者としての租税基本権への侵犯……はまた原告らの日本国憲法の制定者またはその継承者の一人として、世界の平和を愛する諸国民に対して日本国民がなした平和原則の遵守の誓約の履行を著しい困難におとしいれ、原告らが憲法第十一条によって現在及び将来の国民に負っている人権と平和擁護義務に対する良心を痛く傷つけ、また諸国民から平和的国民であるとの信頼とそこにおいて有する名誉を著しく失墜せしめた。原告らは今日の事態を結果としてではあるが許したことになったことに対して次代の国民から、憲法第十二条及び第九十七条の責務を怠ったものとして非難をうけるのではないかとの恐れを禁じえない。

 裁判所が原告らのこれらの損害について救済の手をさしのばさないのならば、裁判所もまた世界の人々及び後代の国民から批判をまぬがれることができないであろう――。さて、裁判官は被告の訴えに真摯に答えることができるであろうか。

 第八回から裁判長が吉戒修一氏に代わった。氏は元法務大臣官房審議官で商法の専門家。週刊新潮によるピースボートへの名誉毀損事件の裁判を担当したとのこと。

 原告側は、新倉裕史(横須賀基地の実態)・松井利仁(嘉手納・普天間の航空機騒音による健康影響調査)・田村順玄(岩国基地による住民被害と環境破壊)の三氏を証人申請した。

 一方、被告=国側は準備書面(一)を提出したが、被告代理人は、「事実関係のみに反論し、(原告の訴えは)失当という立場なので証拠調べの必要もない。国としての主張はない」と陳述した。被告準備書面の冒頭も次のように記されている――原告らは、原告ら準備書面(一〇)において、防衛施設庁長官が本件支出を行ったこと、内閣がその根拠たる予算を作成し、国会議員がそれを議決したことが違法であると主張している……が、かかる各行為は、直接国民に向けられたものではないから、原告ら各自との間で、それらについて職務上の法的義務違反が問題となる余地がないことは、被告答弁書……で述べたととおりであり、また原告らが右行為によって侵害されたとする権利ないしは法益が、いずれも損害賠償により法的保護を与えられるべき権利ないし法的利益に当たらないことも、被告答弁書……で述べたとおりであって、本件請求は証拠調べの必要もなく、速やかに棄却されるべきである――と。

 これらに対し、吉戒裁判長は「(本件は)難しい内容であるから、まず、基本的な事実関係を争いのない形にしたい」として、原告に対しては「証拠説明書」の提出を、被告に対しては裁判進行についての意見書の提出を、それぞれ求めた。被告=国としては、事実関係にはいる前の打ち切りを期待していたのだろうが、少々当てが外れたようである。予断は許さないが、少しは裁判らしくなる可能性がある。

 次回、第九回口頭弁論は十二月十四日、午前十時三十分より、東京地裁にて。ぜひ傍聴を。


 注:http://www.jca.apc.org/omoiyari/

(文責 丸山)