軍用地を生活と生産の場に!
 
沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック
http://www.jca.apc.org/HHK
東京都千代田区三崎町2-2-13-502
電話:090- 3910-4140
FAX:03-3386-2362
郵便振替:00150-8-120796

『一坪反戦通信』 毎月1回 28日発行 一部200円 定期購読料 年2,000円

第106号(1999年11月28日発行)

第八回公判記 名護市民投票裁判

沖縄を「本土」が裁くのか?

輿石 正(こしいし まさし)

 一〇月五日午後一時半、那覇地裁第二法廷(裁刊長・原敏雄)。一年九カ月の裁判最大のヤマ。原告側三人(宮城保、責真志喜トミ、輿石正)の初めての証言。

 そのポイントは、今回の裁判が比嘉鉄也・前名護市長による市民投票結果のねじまげによって、平和的生存権、思想・信条の自由が不当に侵害されたとして五〇四人の原告団が損害賠償請求をしたものであり、その損害賠償の立証のためには、被告の比嘉前名護市長の証人採用が必要不可欠である、とする点である、

 自ら、市民投票条例の「意見書」を名護市議会に提出し、議決させ、その法に基づき市の予算約2,000万円を使って行なわれた名護市民投票の結果、「米軍ヘリ基地移設反対五二%」が出た。それをたった三日後にくつがえし、基地受け入れ表明をし、即日辞任(リコールを回避するため)した名護市の行政の長の無責任さ、権利の逸脱・乱用。この事実の確認をしないで、損害賠償の立証は不可能である一。私たちはそう主張した。

 原裁判長はそれは必要ないと拒否した。前名護市長を証人に立てずとも権利の逸脱・乱用は報道記事(証拠として提出済)などを通して明らかである、とでも考えているのだろうか。

 私たちは裁判長の「却下」の発言に対して、即刻「裁判長忌避」を申し立てた。裁判長は「忌避申し立てが出されましたので、裁判を中止します」とだけ言って退席した。原告席、傍聴席のどよめきと抗議の声を背に、大きな扉のむこうに裁判長の黒い服は消えていった。

 この裁判はゴールではない。沖縄から米軍基地をなくし、あらゆるところから人を殺すことを許す軍事基地をなくしていくために、踏み固めていかなければならない一歩に過ぎない。その一歩を大切にしていくこと。そこをきちんとしたい。

 沖縄にはむき出しの軍事基地がある。辺野古の不発弾処理場では米軍基地内で日本の自衛隊による不発弾処理が今もなされている。決して米軍基地は米軍だけのものではない。それすらもが共通の認識であるかどうか怪しい。「これほどの負担をなぜ沖縄に押しつけてくるのか日本本土」とやりきれなさでキレそうになることがある。

 沖縄県庁では、本土化をより前進させるため「新平和資料館」の展示をよりやわらかいものにする(ねこそぎにする)歴史の改竄を進めている。ついに沖縄の人々の心の中にまで押し入ってきた。巨額の振興策なるもので、基地負担のバランスをとろうとし続けてきた日本本土が、本音を表わして「沖縄人」の中へ入ってきた。

 心の本土化という差別。くやしくてくやしくて、という思いが一番素直な心の表わし方であると思える。沖縄で生きる人間として、私は今回の裁判で思いのたけを述べた。忘れられないことがあった。真志喜トミさんが証言をしていた時のことだ。終わりに近づいた時、トミさんはこの裁判について地域のおじい・おばあと話をした時のことを話した。話しながら心にせり上がってくるものでトミさんのことばは方言になった。「基地はダメだけど、裁判までやるのはよくないんじゃないか」、そういう内容をトミさんは自然に方言で話した。本土から来た原敏雄裁判長は苦笑しながら、トミさんの発言を制し困ったという顔で「今のところは、記録の中でカッコでわかるようにして、弁護士さんから訳を提出してもらいますか」と言った。

 私は沖縄に来て一四年目で一番の怒りにつき上げられた。「なんて言った? 裁判長、いまなんて言った? ここは沖縄だ!」

 私はこの大切な怒りをこの掠めとった。渡してなるものか、と思って今も身にしまってある。

 (名護市民投票裁判・原告)