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第101号(1999年4月6日発行)

語やびら…… 交流キャンペーン

各地で地域集会ひらく

東京(南部・北部・練馬・西部)・千葉・埼玉(所沢・浦和)など



 東京・南部

熱気あふれた集会

 それは「98年忘年会」から始まった。私たち「沖縄反戦地主の呼びかけに応える東京南部連絡会」の忘年会に「沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック」の石塚さんが参加して一言。「来年二〜三月に沖縄交流キャンペーンを行なうので南部で準備してね♥」。

 さてそれからがたいへん。「呼びかけ人のお願い」「実行委員会の開催」「駅頭情宣」……そしてとりあえず一月二六日を迎えた。

 当日私たちは緊張していた。なにしろ沖縄交流キャンペーンの初日であり参加人数や盛り上がりが気になったのだ。なにより迎える「語り手・浦島桝子さん」をガッカリさせてはならないと思っていた。

 ところがその気苦労はふっとんだ。参加者は七〇人を越え、熱気あふれる会場となった。

 呼びかけ人の南部全労協議長が「この南部の地で、いまほど沖縄民衆との連帯運動が必要な時はない」と挨拶した。

 次に浦島悦子さんの登場で会場から大きな拍手がおこった。小柄な彼女はおちついた声でていねいに話しはじめた。

 沖縄での反基地運動は、少女暴行事件を契機に、大きな変化があったこと、沖縄での女性たちのネットワークが拡大し、沖縄県民投票・名護市住民投票、そして県知事選挙などで底力をハッキしてきたことを報告した。とくに「新たな基地はいらない、やんばる女性ネット」の紹介と今後の活動について語った時、沖縄女性の思いや子供たちの未来につながる思いを感じた。

 会場からの発言、カンパ要請と続き、今集会のおまちかね、沖縄民謡がはじまった。地元品川区に住む「照屋さん一家五人」によるにぎやかな沖縄民謡が始まると、会場は踊りのうずと化した。
 沖縄交流キャンペーンの初日、東京南部で浦島悦子さんの話を聞き、沖縄民謡の中で交流できたことを感謝したいと思う。ほんとうに元気になれた一日だった。

(IS=沖縄反戦地主の呼びかけに応える南部連絡会)  



 千葉

運動の進め方も論議

 交流キャンペーン・千葉のつどいは三月二日夜、船橋で開催。約四〇人の参加者があり、沖縄反戦地主・有銘氏の報告をめぐって活発な意見交換があった。

 このつどいは実行委員会結成準備がまにあわず、一坪反戦地主会関東ブロックの呼びかけで開催された。
 冒頭に関東ブロックから、交流キャンペーンの開催趣旨についての説明があり、千葉沖縄倶楽部の伊波さんの司会で集会が始まった。伊波さんは「もう沖縄『問題』は終わったかのようにいわれている。自分もそう考えていたが、まだこれからだ」と発言。

 有銘さんは、沖縄の中部に集中している米軍基地の地図を示して、特に強制使用されている嘉手納基地内部の自分の土地について怒りをこめてその不当性を訴えた。嘉手納基地が居座って住民の居住地が分断され、東西がつながっているのは二本の道路だけだ、と指摘。焦点になっている普天間代替ヘリ基地や那覇軍港の浦添移転についても説明し「どうせ県内のどこかに移設するほかないのなら、自分のところへヘリ基地を」という振興策めあての地元での運動さえ発生している現状についても語った。これは、沖縄に基地を閉じ込めておく状態が続いているために起こったものだ。また、県道一〇四号線越え実弾演習が「本土」移設されたといっても、米軍は沖縄でよりも射程の長い演習ができて喜ぶような側面もあると発言。

 会場の参加者からは「米軍基地をたとえば住民のいない尖閣列島に持っていくようにはさせられないか?」という発言も。有銘さんは「民衆の側に選択肢は与えられていないし第一、米軍は住民のいる重要なところに基地を置こうとするのではないか?」と回答した。また「沖縄県知事選でなぜ敗北したか、の総括抜きには今後の運動はありえない」、「七八年の日米ガイドラインは、韓国で国連軍から米・韓軍へ変更があった重要な時期だったのではないか?」などの問題提起もあった。

 さらに運動の進め方・集会の持ち方についても、「類似の沖縄関連集会が四つもあるようだが、一つにまとめないと参加者が少なくなってしまうのではないか?」「まとめるために意見を押しつけるようになるとまずい。若い人の参加も、そうした押しつけによって抑圧的に感じられて少なくなっているのではないか?」など様々な観点での意見が出された。

 決してまだ終わってはいない沖縄の闘いに向けて今後も集会などのとりくみを追求していこうーーという司会者の発言で閉会となった。



 東京・北部

渡久山さんが発言

 三月三日夜にECOとしま生活産業プラザで、「沖縄交流キャンペー99」の東京北部の地域集会が開催されました。主催は東京北部の労働組合が集まる北部労働組合協議会で、約八十名が参加しました。

 この時期のテーマに合わせて「99春闘勝利! 国鉄闘争勝利! 日米の新ガイドライン反対」と題されおこなわれました。

 主催者代表あいさつを北部労働組合協議会の満永議長がおこなったあと、基調報告として「99春闘への取り加み」、「国鉄闘争について」、「沖縄ー新ガイドライン」と三つの内容が れぞれの発言者から提起されました。

 そのひとつの「沖縄一新ガイドライン」で、那覇軍港の浦添移設に反対する市民の会の渡久山朝一副代表が発言しました。浦添移設が新設であり機能強化であること、浦添港湾の振興がデタラメであることなどを明らかにし、新ガイドラインのもとで進められていることを告発してたたかいの決意と支援を訴えました。

 最後に、参加した労働組合から発言され、力強く団結ガンバローで締めくくりました。



 所沢・練馬と浦和

有銘・国政さんが報告

 埼玉のく点>が、浦和と所沢の二つになった記念すべき三月三日の所沢集会。テーマは「沖縄・新ガイドラインと私たち」。主催は所沢・沖縄と連帯する会「いちゃりばちょうでー」(行きあえば兄弟、の意味)。

 厳しい闘いの続く毎日であろうに、明るい顔と声で生き生きと語る有銘さんに参加者(約四〇人)は賛嘆のまなざしで聞き入った。

 ○全国の米軍基地の七五%が沖縄にあり、その七五%が海兵隊。そして米軍駐留経費の八○%は日本の思いやり予算。これを断ち切れば米軍は引き上げる。

 ○沖縄の意思は稲嶺知事を含めて「基地の整理・縮小」。那覇軍港・普天間の移設は、実は古くなった基地の拡大・強化。
 ○ガイドライン法案が成立すれぱ、ヤマトの基地や関連施設すべてが自由使用できることになる。
 ○米軍基地では家族まで含めて避僻訓練をしている。「有事の際」は一日で完全に撤退できるそうだ。決して安全ではないという証拠だ。逃げられない私たちは基地を撤去するしかない。
 ○国の政治体制を変えましょう。沖縄は変わり得ますよ。埼玉はどうですか?
 ○いま一時間、決意表明しました。これから一年間、私は大丈夫ですよ(みなさんからエネルギーをもらったので)。また会いましょう。

 この後、三月五日に練馬(練馬区立勤労福祉会館。「沖縄交流キャンペーン・練馬」主催)、三月七日に浦刊(市民会館。「知ろうよ! 学ぼうよ!〃沖縄"を実行委員会」主催)で地域集会があった。両会場とも参加者は約四〇人。

 練馬と浦和で語ったのは〃カマドゥ小(ぐわー)たちの集い"(メンバーは宜野湾市中心)の国政美恵さん。普天間基地のすぐ近くに住む彼女の話は、淡々としているようでいて経験に裏づけられていて、胸の底に響くものがいっぱいあった。

 ●普天間基地は〃爆音がうるさいから、危険だからいらない"ではなく「戦争につながる基地だからいらない」。
 ●基地があるからミサイルが飛んでくる。武器を持たないことが身を守ること。
 ●「知事選負けて、しんどいネー」「でもそれを待っているのは政府よ」という仲間がいる。
 ●津堅島(与勝半島の南、約四q)で海上軍事基地誘致、沖縄島から橋をかけてもらおうと署名が集められた。有権者四九〇人の九二%が署名した。シマチャビ(離島苦)から来たものだと思う。沖縄へ帰ったら津堅島へ渡って「基地があるとはどういうことか?」を訴えるつもり。
 ●沖縄へ応援に来てくれる人に、誤解を恐れずに「あなたのところに問題はないんですか?」と言いたい。沖縄問題ではなく、日本の問題なんです。
 ●日出生台で演習をおえた海兵隊は民間機で、武器は民間の船で沖縄へ帰ってきた。これはガイドラインの先取り全国各地の基地・港・空港・病院等を自由に使えるということは恐ろしいこと。沖縄の基地を壊しても平気だということ。沖縄を再ぴ戦場にしていいのか考えてほしい。
 ●カマドゥ小のまわりの男たちは今は疲れているようなので、休んで充電してもらっている。その間、私たちがやって行く。女性は、自分が大切にしなければならないことをよくわかっている。安心して御飯がたべられるように、やっていく。
 ●何もしない方が楽だけど、気がついたら行動しなければ悔いが残る。その方が辛い。
 ●一人ひとりやること、できることはある。自分で考えて行動すればいい。行動を評価するのは自分なんだから、行動することで世界は広がり真実が えてくる。
 


 東京・西部

浦島さんが発言

 三回目の今年は中野に世田谷の仲間も加わり集会を準備した。独自ビラも作り中野駅前でまいてはみたが、仲々受け取ってもらえない。沖縄の基地問題への関心も薄れたか?と思いきや、集会参加者は八○名を越す盛況ぶり。

 楽しい集会にしようと泡盛とウッチン(ウコン。ショウガ科)茶を用意した。おみやげに今が収穫時のサトウキビを本部半島からとり寄せた。

 お話は、昨年末にできたばかりの「新たな基地はいらない、やんばる女性ネット」の浦島悦子さん。二見以北に住む彼女は、いまやんばるに咲く花や木の紹介も交えながら、名護市民投票を機に立ちあがった女たちの想いを語ってくれた。

 その時普天間の地元宜野湾の女たちに助けられた彼女たちは今度は普天間基地を包囲として共に無条件全面返還を叫んだ。そして基地のない南部の女たちとも出会い、今、全島で県内移設を許さない闘いの核となっている。

 今回は参加者との交流をメインにすえて会場から様々な質問、意見、アピールを発して頂いた。全体としては短い時間なのに充実した印象を持ったのは私だけではないようだ。キビを持って帰られた皆さん、甘い汁を吸うためにさぞかし苦戦されたのではないでしょうか(?)
 
 (西部実 N)