どうか、あなたも「心の反戦地主」になってください

――今、平和実践活動のとき――


 戦争の傷跡も生々しいまま、アメリカの軍事支配下に置かれた沖縄が本土に復帰し、本年で二○年を迎えることとなりました。その間、この小さな島はめざましく発展し、今では観光入域者数三○○万人を越えるまでになりました。

 しかしその華やかなイメ一ジの陰にあって、今なお、日本全土にある米軍基地の七五パーセントがこの島に集中し、また二○○○トンあまりの不発弾が処理されぬまま眠っているという状態があるのです。県民の悲願であった、基地のない平和な島沖縄は、その実現は愚か、冷戦構造崩壊後の混乱の中、かえってその厳しさを増しています。復帰前、「戦争のためには、決して土地は使わせない」と燃え上がった反戦地主の運動も、復帰以降の日本政府による巧妙なやり口で、(地代の大幅値上げ、地代も入り耕作もできる黙認耕作地の存続、そして契約に応じない反戦地主からは強制収用という形で土地を取り上げ、しかも不当な差別を行なうなど)押さえ込まれてきました。「正しいか、正しくないか」という基地撤去の闘いも、いつのまにか「損か得か」にとって変わられ、その結果、数千人を数えていた反戦地主も今では数える程になってしまいました。

 そのような中で、戦後一貫、して反戦平和を訴え続け、その土地を基地に提供することを拒み続けてきた数少ない一人に、阿波根昌鴻氏がいます。氏は沖縄戦で大切な一人息子をなくされ、戦後は氏の理想である農民学校建設のために苦心して集めてこられた広大な土地を、アメリカ軍によって強制収用されていきます。しかし、そんないくら憎んでも憎み切ることのできないアメリカ軍に対しても、愛と道理を持って「基地はアメリカのためにも、沖縄のためにもならない」と訴え、伊江島での基地撤去運動の中心を担ってこられました。そしてその運動は多くの人々の共感をうみ、島の六○パーセント以上を占めていた基地を半分にまで滅らさせ、とうとう全面返還の約束まで取り付けるという成果を上げたのです。

 ところが、その喜びも束の間、復帰以降日米安保条約のもとで日本政府は、米軍基地の安定使用を図り、その豊富な資金力にものをいわせ、未だに島の三○数パ一セントが基地のままなのです。しかも、契約を拒否する反戦地主には、強制的に土地を取り上げ、一○年分の賃貸料を一括して取らされるため、膨大な税金負担が課せられるのです。その一方で、契約地主に対しては、年度毎に払われ、賃貸料は毎年値上げされるのです。しかもその他に協力謝金等の名目で様々な優遇措置が取られています。阿波根氏も、その税金の支払いのため、多額の借金を抱え、窮地に追い込まれ、今この不当な差別を明らかにし、これを正す裁判を起こしています。このような状態の中にあっても、氏は決して屈することなく、ほぼ半世紀にわたる基地撤去運動の足跡を集めた反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」を運営し、時代を担う子供達や若者、そして平和を求める人々に、「幸せの道は平和を創り出すことである。」と訴え続けておられます。

 さてこの度、私達、阿波根氏の生き様とその実践に触れた有志のものが集いまして、氏の思想と実践に学びつつ、その継承をして行こうと「心の反戦地主」運動を進めることとなりました。今、日本の国は、PKO(国連平和維持活動)法を始め、その内外に様々な問題を抱え、岐路に立たされようとしております。そのような中で、決して反対のための反対ではなく、真に平和を求める阿波根氏の生き方に学び、その実践を継承して行くことが、平和への道程であると信じております。どうか、出来るだけ多くの皆様に御賛同頂き、「平和を創り出すもの」としてこの時代をともに生きていこうではありませんか。

一、私達は今、危険をはらむ国際情勢において「心の反戦地主」として平和を創り出す決意をいたします。

一、私達は、阿波根昌鴻氏の生きざまと平和実践に学びつつ、その大きな働きである反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」の運営に協力いたします。

一、私達は、時代を担う子供達に平和の尊さを訴えると同時に、より多くの人々に「心の反戦地主」となってもらえるようこの運動を進めて参ります。

「心の反戦地主」賛助会員  会費一口  一万円(何口でも結構です)

尚、この集めました会費は、反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」の運営(財団法人化への基金)とさせていただきます。なにとぞ宜しくお願いいたします。

 一九九二年十二月一日

 「心の反戦地主」発起人会

井伊文子
当銘由金
石川洋一
新城晃
謝花悦子
榎本恵

「心の反戦地主」の会

 〒905−05 国頭郡伊江村字東江前 2300−4

   (0980)49−3047

 郵便口座番号 02060-7-22354 「心の反戦地主」の会


沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック