沖縄県収用委員 第8回会審理記録

長嶺哲


長嶺哲(土地所有者・代理人):

 一坪反戦地主の長嶺でございます。

 嘉手納基地、嘉手納の地主の城間勝氏の代理人として発言いたします。

 嘉手納町の基地と街づくりについて述べます。

 嘉手納町は北谷村の一行政区字嘉手納を除いては純農村地域であったが、沖縄島のほぼ中間という立地に恵まれていたため、県営鉄道の終着に位置し、県立農林学校をはじめ、県立師範学校、沖縄製糖嘉手納工場等が所在し、中頭郡の経済・文化・教育の中心地でありました。さらに沖縄八景に数えられる、水量豊富で風光明媚な比謝川には各地から家畜を積んだ船が出入りし、家畜の集配地としても賑わい、人と自然の調和がとれた街として発展していました。

 戦後、嘉手納基地の影響のため、村域が二分されたため、著しい支障をきたしたため、北谷村より分村して嘉手納村となりました。

 スライドの65をお願いいたします。

 嘉手納町の83パーセントは米軍基地であります。嘉手納町の面積は1,504ヘクター ルあります。しかし、嘉手納飛行場、嘉手納弾薬庫地区、陸軍貯油施設施設の米軍基地が1,247ヘクタールで、街の面積の83パーセントは基地であります。次のスライドお願いします。

 約1万4,000人の住民は、残り250ヘクタールの中で住んでいます。

 1992年時の住民地域の人口密度は1平方キロ当たりで、5,482.9人で大都市圏並みの人口密度となっております。

 このスライドを見ていただければお分かりになると思います。

 町の施設は、返還地と米軍との一部共同利用地にしか建てないという状況について述べています。

 町役場、町民会館、消防、警察、ごみ処理場はすべて返還された土地であります。スライドの67をお願いいたします。

 嘉手納の返還地について示した図であります。

 嘉手納の行政センターとの土地は返還された土地に建設されたということを示しています。

 それに米軍との一部共同利用地は中央駐車場や行政センター駐車場、消防庁舎駐車場、久得霊園、久得酪農施設、養卵や養鶏をしている施設ですが、施設整備に利用されています。次のスライドお願いします。

(スライド)

 以上のとおり嘉手納町は83パーセントが基地にとられたため、行政施設は返還もしくは一部共同利用地にしかつくれない実情です。

 先ほど述べたように、行政センターの駐車場でさえも、米軍との一部共同利用地にしかできないということです。次のスライドお願いいたします。

(スライド) (58K)

 この図は、防衛施設局が、国が嘉手納飛行場に近く、軍用機の離着陸等の騒音の影響で、居住環境としては適当でない地域を指定して、土地を買い上げているものです。ちょっと数字が分かりにくいんですが、平成7年までのものなんですが、最終的には7,110平方メートルの土地が買い上げられています。ただでも狭い住民地域の土地を買い上げ、虫食い状態にされている現状があります。騒音問題を放置して、実質上7,110平方メートルの基地拡大をされている実態を示しております。

 次は、若者の流出について述べます。

 嘉手納町の基地問題は、現在、若者の流出という問題を引き起こしています。人口は1万4,000で横ばいですが、14歳以下の人口が30年前に比ベ43パーセント減少し、高齢者が倍増している状況があります。例えば、入居率が約4割と低い県営住宅があるほどです。この状況を危惧し、嘉手納町で行われた会議の中で、過密の中の過疎と言われるほどの表現がされています。

 基地の被害の影響は若者の流出の中で深刻で、街づくりに大きな影響が出ています。嘉手納町に住んでいた人は、町内に土地の確保ができないので、町外に土地を求め、よって若者が減少する悪循環に陥っています。町外に若者が出ていく例として、嘉手納町の職員の半分は町から給料をもらって、読谷村で税金を払うという人がいるほどです。

 次に、深刻な空き店舗問題について述べます。

 戦前は中部の経済の中心であった嘉手納町ですが、土地がなかなか返還されないため、抜本的な土地開発ができない状況にあります。中心商店街は、空き店舗が目立ち、既存の商店の廃業が深刻化しています。嘉手納町の3商店街、嘉手納町新町商店街、嘉手納町国道通り会、嘉手納町国映通り会の空き店舗率は25.3パーセントと非常に高い数字を示しています。

 私が伺った話では、私の店の前には、日に10人ちょっとしか通らないという人がいるほどでした。次のスライドお願いいたします。

 これが嘉手納マリーナ地域です。嘉手納マリーナ地域については、議会は何度も嘉手納マリーナ地域の返還要求を出しています。町は返還後の計画も立てていますが、返還されていません。マリーナの中には、沖縄に芋を広めた野国総官の碑もあり、町民の憩いの場であります。歴史的にも由緒のある場所であります。最近は、ガードマンもおらず、出入り自由なのですが返還されていません。

 以上述べたように、歴史的経過、現状を照らし合わせて、町の面積の83パーセントを基地にとられている状況は、街づくりという段階の話ではなくなっています。

 その上SACOの最終報告や、新ガイドラインは沖縄の基地の再編強化を図っていることは、嘉手納町民の生活破壊を増大させ、絶対に許せないことです。

 町長も米軍基地の全面返還を町民と一体になって進めるということを、先ほど明らかにしております。

 以上で終わります。

当山会長: ご苦労様でした。次に又吉京子さん。


  出典:第8回公開審理の議事録から(OCRによるテキスト化は仲田

  写真提供:スライド(違憲共闘会議)


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