沖縄県収用委員 第5回会審理記録

阿波根昌鴻(あはごん しょうこう) 伊江島反戦地主


当山会長:

 まだ残っておりますが、今日ではちょっとできそうにないので、次回にしたいと思います。で、次回の公開審理ですけど、豊見城村立中央公民館を予定しております。で、期日は平成9年8月12日火曜日、午後2時から開催を予定しておりますが。

阿波根昌秀:あの。

当山会長:はい。

阿波根昌秀:すいません。

当山会長:はい。

阿波根昌秀:

 あの、しばらくですね、5時までの予定なんですけれども、あの、阿波根昌鴻さんのですね、今日、この場にきてませんけれども、ビデオでの陳述をですね、それから、伊江島の基地の実態の中で、フェンスの中での実態については名嘉さんが今日陳述しましたけれども、その外側の黙認耕作地の実態についての陳述はですね、今日中にやっていただけないでしょうか。多少時間ずれますけれども、コンパクトにしてですね、やりたいと思いますので。えー、あの、是非お願いしたいんですけれども、もし仮に二つ出来なかったらですね、阿波根昌鴻さんの陳述だけは、今日中に、あの。

当山会長:やりたいですか。

(拍手)

当山会長:15分くらいで大丈夫ですか。あの、予定は15分になっておりますけれども。大丈夫ですか。

 それでは、ちょっと区切りの良さというのもあるんでしょうから、阿波根さんのビデオですか。それをやって今日は終わりたいと思いますけれども、準備はよろしいですか。

(拍手)

当山会長:これは、高岩仁さんがご説明なさるんでしょうかね。

高岩仁:

 あの、映画を撮った高岩ともうしますが、ちょっと、阿波根さんの今日のためのメッセージを突然言われて撮っただけで、映画の格好をしていないんです。ただ撮った、本人の話をとっただけで、今日持ってきてますので、ちょっと説明を加えないとわかりにくい部分があると思いますので、一言申し上げます。

当山会長:どうぞ。

高岩仁:

 一つはですね、阿波根さんが映画のなかで、デンマーク式農場をまだあきらめていない、その用地が基地の中に残っているから、ぜひ土地を開放してそれを続けたいということをおっしゃっています。それはどういうことかといいますとですね、阿波根さんは、あの、農民こそが土地を利用して生き物にとって非常に大事な物を作り出す、一番大事な仕事をしている、人間であると。その農民がいつもその歴史上騙されつづけてきたんで、農民こそが勉強しなくちゃいけないということを思いはじめてですね、それで、伊江島に渡られて3万坪以上の土地をこつこつと手に入れられて、そこに戦前ですね、もう80%がた、農民が授業料なしでそこで暮らしながら学べる場を作ってました。

 そして息子さん、一人息子をですね、そこの先生にしようということで、農業学校に勉強させて、その息子さんが18才の時に沖縄戦が起こって、まだ未成年なのに兵隊にとられてしまって戦死してしまうわけですね。それで、伊江島の闘いで農民学校がめちゃめちゃに破壊されてしまう。だけど、それを戦争が終わってやっと平和になったということで、さあ、今からもう一度その夢を実現しようということで取りかかった10年目に再び今度は米軍によって、そこを全部取り上げられて、しかもあろうことか、人殺しの訓練をしてしまっている。ということに非常に、阿波根さん、怒りを持っていらっしゃる。

 しかし、その土地はまだ残っている訳だから、それを早く解放して、そこに再びその農民のための学校をつくりたい。それが、デンマーク式農場と、阿波根さんが映画の中でおっしゃってることの内容です。そのことを前もってちょっとご理解いただきながら、見ていただける良く分かっていただけると思います。どうも失礼いたしました。

(拍手)

阿波根昌鴻:(ビデオ)

 や。お集まりのみなさん。戦後50年を過ぎたというのに、今なお、基地問題、軍用地問題について、ごたごた。アメリカと日本の両政府、安保条約なんかといって、いい名前を付けて、日独軍事同盟よりも、もっと恐ろしい条約を持ってきて。我々農民、伊江島の、手を合わせて、大事な土地は取ってくれるなと、お願いしたのに、対し、完全武装の、アメリカ、ガイディア隊長、300名余り、伊江島に上陸してきて、「この島はアメリカ軍の血を流して日本軍よりぶんどった島である、君たちはイエスでもノーでも立ち退かなければいかない、君たちには何の権利もない。 」

 お願いする、62才のシベリア帰りの並里清二さんを、「土地がないと、ママーもベビーも死んでしまう」といって、死にまねをして、お願いしたのに対し、5、6名の暴力、ガイディアはかかってきて暴力。私たちはもう、死んだものと思って、4、5名、名を呼んで駆けていきましたが、アメリカに逮捕、発言、発言したら、嘉手納に送って刑務所にやるという約束で。そして、用意した金網にて、ぶち込まれてしまったのであります。

 152戸の立ち退きに対し、我々の反対によって13軒にくい止めたのでありますが、この13戸の家、皆焼き払おうとしたので、焼いてはくれるなといって、ようやく、焼くのは止めたわけでありますが、この家族、家を壊して、アメリカ軍の古い天幕、それに押し込まれたのであります。その中で、おばあさんたちは、こんな唄を歌いました。

 雨(あみ)降りば むゆい 

   雨降れば、あちらこちらから漏る

 太陽(てぃだ)照りば 暑(あち)さよ

   太陽がでたら暑い

 水(みじ)や泥水(どろみじ)ゆ 飲(ぬ)むる くちさ

   水は泥水を飲む この苦しい、ああ、だれが知ってくれるであろうか

 親ゆじり地畑(じはた)

 アメリカに奪(と)ぅらり

 取いむどちたぼり

 沖縄(うちな)しんか

 

 その後、その幕舎から、出た、伊江島、真謝区、我々、同胞は、幟を上げて、「日米安保条約によって我々の土地を取られた。家もない、食べ物もない、仕事もない。我々はどうすればいいか。教えてください」といって、那覇を中心に、南は糸満、北は国頭、一年近くも訴えて回ったのであります。そして、そすると、沖縄の各地から、がんばれという、声援が続きました。

 そして、その翌年は、沖縄に、土地を守る協議会というのを、16団体によって、始まり、そして、3階はアメリカの民生官、ジョンソン准将、2階に私たちは座り込んで、取った土地を、土地を返せ、焼いた家を作ってくれ、といって、座り込んで、その合間に、ジョンソン民生官のところに、「アメリカがこのような不当な暴行、家を焼く、土地取り上げ。取り上げた土地は、核兵器の演習地、大変なもの。これでも文明人か。直ちに焼いた家を作ってもらいたい。取り上げた土地を返してもらいたい」、訴えたのであります。

 私たちは、一日も早く解放してもらって、私は、戦前も80%のデンマーク式農民学校を実現しておりましたが、この戦争に破壊されました。だが、私はまだ土地は残っておりますから、ぜひ、これを早々に実現したいと思うのでありますが、どうかみなさんも、力を結集されて、この実現が早くなるように、共に、頑張っていただきたいことを、お願い、いたしまして。

 去った10年前のあの不当は10年払い。今度もまた、不当な経済的に差別をして行こうととしているのであります。この不当な弾圧と経済差別、これを速やかに撤去せよということを、訴えておるのであります。どうか、みなさんがたも、これの事情を良くお察しいただきまして、日本の一角、沖縄にこのような差別が無いように、共に手を取り合って、力を合わしてアメリカと日本政府の不当なやり方を、徹底的に、撤去するよう、お願いいたしたいのであります。

 みなさん、私たちが土地を守る、というこの闘いは、自分の命も、日本人の命もアメリカ人の命も、戦中、命は鴻毛よりも軽しなんかといって、非常に粗末にしましたが、今は、私たちは命は地球よりも重し。大切なものであるという認識を持っておるのでありますから、どうかみなさんも共に、この大事な命を守るために、土地を守り、地球の上から武器を無くして、平和な社会、平和憲法を守るように、共に、頑張っていきたいと思います。よろしく、お願いいたします。

(拍手)

当山会長:

 え、非常にきりがよろしいようですので、これで終わりたいと思いますが、先ほど、申し上げたのをお忘れかと思いますので、もう一度申し上げます。次回の公開審理は、豊見城村村立中央公民館で行います。期日は8月12日火曜日、午後2時より開催を予定しております。

 ただどういうわけか、会場の最終的な使用許可がまだでておりませんで、正式な回答があり次第、開催通知書をお送りいたしますが、場合によっては、変更があるかもしれませんので、開催通知書をよくご確認の上、お越しくださるようにお願いいたします。

 以上で本日の審理を終わります。ごくろうさまでした。

(拍手)


  出典:第5回公開審理の録音から(テープおこしは比嘉

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