沖縄県収用委員 第4回会審理記録

知花昌一(反戦地主)


当山会長代理:それでは、これから、第4回公開審理を続行したいと思います。ではさきほどもいいましたように、まず知花さんの意見を聞きたいと思います。よろしくお願いします。

(拍手)

知花昌一:えー、象のオリ、楚辺通信所に土地を持つ知花と申します。えー、今、防衛施設局は、一度だけ努力をしたということで、一坪反戦地主の人たちに対して、契約の要請に際して一度だけ努力したと言っていますけれど、僕に関しては、もう執拗なまでに、要請をしております。私は、最初来たときに契約はしないと通告をしてあったんですが、相変わらず通告をしてあったのにも関わらず、再三再四、執拗なまでに、契約を要請されました。その努力がみんなに行き渡れば、こういうことはならなかったのかもしれないですが、僕に対しては、執拗なまでにやられたということです。

 そしてもう一つは、それだけではなくて、「色をつけるから売ってくれ」ということまで、何回も言ってきました。

 ま、そういう、何回も来て、色を付けるから売ってくれということに関しても、私が拒否をし続けた理由、なぜわたしが防衛施設庁の契約要請に対して拒否したかというのを、今から話したいと思います。

 まず第一に、象のオリは戦争に使われてきたし、これからも戦争に使われる軍事基地だということです。日本国憲法は戦争を放棄しています。軍備を放棄しています。そういう中で、私の目の前に、私たちの目の前に、戦争に使われてきた、戦争に使われる、軍事基地があるということです。私は戦争を体験していません。1948年生まれです。だけど、僕は、自分の村にあるチビチリガマの集団自決の調査をして、戦争がどんなものであるかというのを、少しずつ追体験をしてきました。そのなかで、戦争につながるものに対しては、絶対いやだという思いを、自分の生き方を、貫こうと思っています。

 これは憲法の趣旨に合致する行為だと思っています。憲法は、国民の不断の努力によって、維持されていく、いくべきだと書かれております。わたしは、自分の土地を米軍に貸さない、戦争につながる基地に貸さないということは、憲法に基づいた生き方である、行為であるというふうに思っています。そういった意味で拒否をしたのは当然だ、ということです。

 そして、もう一つは、あの象のオリの場所は、前島といいます。「めーじま」といいます。わたしたちが今住む本島(もとじま)から前のほうにあります。本来ならばわたしの土地も、ま、宅地ですから、以前は住宅があったところです。ところが、象のオリに土地を取られたことによって、わたしの村が分断されています。地域の一体化が損なわれている、ということです。

 そして、もう一つは、この象のオリの私の土地は、知花平次郎さん、わたしの大叔父さんですが、その叔父さんが、1945年4月1日に米軍が上陸したときに、その地で米軍に抵抗し、米軍に撃ち殺された。その場に埋められた、私にとっては、大事な土地です。一度もこれまで入れていませんでした。その土地をぜひ取り返して、叔父さんのちゃんとした供養をやりたい、と思っています。

 そして、もう一つは、この土地は、さっきも言ったのですが、宅地です。本来ならば、わたしたちは、おじいさんから親父が引き継いで、そして、そこに家を建てて、わたしたちも住んでいたでしょう。でも今は、親父は別のところに土地を借り、今の住宅があります。わたしも子供がいます。その子供たちの住宅として、ぜひそれを取り返したい。宅地はそこしかありません。だから、ここを取り返していきたい、という風に思っています。

 この四つがわたしが反対している大きな理由です。そして、このわたしたちが反対している、契約を拒否しているということで、特措法が、改悪されてきているわけですが、4月17日、参議院で特措法が強行採決されるその時に、幸いにも私は傍聴席にいました。その上から、傍聴席から、審議を見たときに、bb先も有銘先生からも話がありましたがbb、議員さんたちがせせら笑いながら、指をさしながら、米軍特措法を反対している議員たちに、声を、罵倒を浴びせています。こういうものを上から見たときに、こういう人たちが沖縄の将来を決めている、日本の将来を決めるようなことをやっているのか。沖縄の思いを無視し、国民の57%の人たちが、特措法反対だといっているその特措法に対して、せせら笑いながら可決をしていく。そういうことに対して、自分の土地を米軍に取られている地主としてだまっておれませんでした。それが土地泥棒と叫んだだけで逮捕ということになったんですが、幸いにも、起訴されずに、起訴できない状態の中で、今、ここにおります。

 この改悪された米軍特措法は、4月25日に……、あ、4月24日に、防衛施設庁は、わたしのところに来て、担保供託をしましたので明日から適用しますという通知を持ってきました。彼らたちは4月25日から米軍特措法が改悪されたのが適用されるということになっているようです。その通知に対して、わたしは特措法は憲法違反だ、私たちは認めていない、だから受けることはできない。ということで、私はつっ返してあります。そしてその特措法に基づいて、彼らが持ってきたのは4月24日までの、去年の4月1日からの389日分のお金です。4月24日にもってきたお金は、損失補償金という名目で、26万ほど持ってきました。

 去年の4月1日、不法占拠が生じたときに、わたしの家にお金を持ってきた防衛施設庁は、1日676円の借地料相当分という形で持ってきました。借地料相当分、はした金なのに借地料か、どうして損失補償金ではないか、とあの時いいましたら、防衛施設庁は、課長は、借地料相当分なんだと、損失補償金ではない、ということを何回もいっていました。ところが今回もってきた金は損失補償金という風になっています。なぜ、借地料相当分がいま損失補償金としてなっているのか。ということを聞いたら、なにも言わない。ということです。

 そして、1日676円の計算をしてもってきた訳ですが、なんで676円か、といった問い対しても、なんら答えません。国の適切な基準によってやってます、というだけで、その根拠もなにも示さず、そういう中で、もってきたのが、協議書、――協議をするという――、協議書です。協議というのは、こちらからも、そして向こうからも話を合わしていくことだと思うんですが、そういう根拠も示さず、えー、名目が書いてある。そういうことでは、十分な協議が出来ないはずです。そういうことで私はいまその受け取りを拒否しています。

 そして、特措法が改悪、適用されたと彼らは言っているんですが、その389日分の金をもってくれば389日間の使用権原が得られたと思っているのかということです。改悪された特措法は、担保を提供したときにその翌日から適用されるということになっています。そして僕らに対しては付則で、遡って損失補償金を払うということになっています。だけど遡って使用権原を取る、ということは一行も一言も書いてありません。ということは、389日は特措法も適用されない。不法占拠がずっと続いてきた。違法行為をしたということです。そうであるならば、この389日分のお金というのは、借地料相当分でもないし、損失補償金でもないし、損害賠償金として、私は、防衛施設庁に要求をしたいというふうに思っています。

 違法行為をしたものが、居直っているということです。いわゆる、例えば、金を払えば、違法行為をしてもいいんだと。泥棒が物を取って、取ったその物に対する対価を自分で算定して、そしてそれを持ってくる。それで、泥棒した行為はチャラだと。そんなことが社会に通用すると思っているんですか。補償はしても、人の物を取った行為というのは、責任を問われるのが今の法体系のはずです。

 政府は、国は、防衛施設庁は、こういったことをあいまいにしてやっているわけです。盗人猛々しいとはこのことです。わたしたちはこの土地を、自分達の民生安定、福祉のために、僕らの村も住宅地として使いたい、とわたしたちは思っています。私の村、波平でも、象のオリの、楚辺通信所の跡地利用計画についての策定することを目標に、今少しずつですが、計画が始まっています。この基地に変わる私たちの住宅、主として住宅として使う。それが公共の福祉だと思います。

 この憲法違反の特措法によって基地を維持するのか。それが国民の、民生の、地域の人たちの為になるのか。それとも、収用を却下して、そして、象のオリの撤去を促進して、そこを住宅や公園や私たちの生活の場にすることが、この住民の福祉だと思います。その意味では、この違法行為、憲法違反の特措法の適用を認めず、私の土地に対する収用の却下を、収用委員会の先生方にお願いしたいと思っています。以上が、ぼくの意見です。(拍手)

当山会長代理:はい、ご苦労様でした。

 では、松島さんお願いします。どの施設のどなたの代理人か、明らかにしてください。


  出典:第4回公開審理の録音から(テープおこしは比嘉

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