宜保幸男さん(一坪反戦地主)


当山会長代理

 ひきつづき宜保幸男さんにお願いしたいのですが、あのー、房前さんのほうで持ち時間の大半を使っておりますので、できるだけかいつまんで、最後にご連絡がございますので、よろしくお願いいたします。

宜保幸男さん:かいつまんではやりたくないんですが……。

当山会長代理:まー、そうでしょうけど、あと10分ほど。

宜保幸男さん

 はい。最初に房前さんがいろいろ申し上げてありますので、その部分については非常に簡略にしたいと思います。

 えー、復帰以前の土地の取り上げ方。と、復帰後の土地の取り上げ方。非常によく似ているという事を、わたしはここで指摘をしておきたいと思います。さっき「銃剣とブルドーザー」という言葉がありましたが、米軍は伊江島では、家に火をつけたり、その他しながらやったわけです。わたくしは小禄具志のほうへ行きましたが、放水車でおじいちゃん・おばあちゃんたちをけちらしながら、銃剣をもった兵隊たちが押し掛けてきて、家を壊し土地を接収してきた。

 ま、その他あちらこちらであったわけですが、その後、なにをやったか。

 布令布告という、法律の体をなさない、独裁者たちが出した、ローマ時代の(ような)布例布告を持ち出して、わたしたちの土地を取り上げることを、米軍は、暴力的に合法化してきた。この歴史をきちんと、わたくしは抑えておかなくてはいけないと思う。

 そして、その時におこった出来事は、われわれ沖縄県民に対して、どれほど基地が人権侵害を行ったか。その象徴的な事件として、わたくしは由美子ちゃん事件をここで申し上げざるをえない。

 ここで私と同年輩の方たちはすぐおわかりだと思います。六歳の女の子が、石川市、太平洋の海岸で、拉致をされて、嘉手納海岸、東シナ海側につれられて来て、そこで強姦をされて殺されて遺棄をされた事件が、そのころありました。

 さて、こういうような基地を、復帰の時に、日本政府は何をやったか。わたしたち

に一言も相談なく、沖縄公用地法なるものを制定して、わたしたちに強制的に適用したわけであります。これは、先にあった米軍のやり方を、日本政府が認めたということです。

 しかし、この沖縄基地の占領下時代の実態は、日本国憲法にとっては、当然、認められない。日本政府は、それを否定し、基地を返せといっている者に対しては、即座に返さなければならなかったはずです。その後、契約をするかどうか、話し合いに入

るべきだったはずです。それが、いわゆる人道に則し、真実に則し、正義に則する。いわゆる人間的な生活を、人間らしい生き方を求めてきたわれわれ沖縄県民に対する仕打ちは、それに反して、「銃剣とブルドーザー」で奪っていったと同じように、法の名の下に強奪した。それもまた、一地域に適用する法律でありながら、房前さんがいったように、憲法95条は適用せず、不法・不当に取り上げたわけです。

 その次、地籍明確化法。77年をみてください。あの時は、4日間、確実に法律は切れたわけです。それは政府の立場に立っても法律は切れた。そうゆう不法占拠が4日間続く中で、なにをやったかと。今の「象のオリ」と同じ事です。時間的には、今、象のオリは非常に長くなっていますが、その時の詳しいことは申し上げません。

 嘉手納基地では、米軍が銃剣を持って、わたしたちが入ろうとしたら、これを阻止する。わたしは、沖縄市側のゲートから、中に入りましたけれども、阻止をされて機動隊にかつがれて、外に出た。なんで私たちの土地に入るのに、法律も全くない状態でありながら、わたしたち地主の権利を拒否をするのか。それを機動隊まで、いっしょになって米軍とわれわれを排除したわけです。日本政府のこの法秩序たるや、日本国憲法に基づいて、われわれを治めているのではなくて、日米安保条約によって、われわれを治めているとしかいいようがない。

 国は絶えず国際条約の遵守義務を言います。これは憲法にあります。わたしも国際的な信頼関係は非常に大事なことだと思います。しかし、それを結ぶ国の最高権力者のみなさんの憲法遵守義務はどうなっているのか。彼ら、為政者はですね、憲法を遵守して、国民の生活や権利を守りながら、各国との国際的な信頼関係を保つために国際条約を結ぶべきはずなのに、それが本末転倒、ひっくりかえってみたり、そうゆうような事を糊塗しながら、いま、まさに米軍用地特措法の「改正」と彼らは言っていますが、改悪を持ち出して、いままた、再び、強盗の論理をですね、国家の名において、行おうとしてます。こんなことが許されていいのか。

 あとはあの、他にですね、わたくしは収用委員会のみなさんの現在の法律体系のな

かにおける位置についてもやはり、収用委員会は厳然とした態度を、この特措法改悪に対しては、取らざるをえないと、わたしは思います。

 それはなぜか。みなさんは準司法機関と言われている。そして、わたしたち権利者の土地を取り上げる、その一つの機関として、非常に重要な役目を持っている。その時、当初やはり会長が約束なさった通り、公平・公正な実質審理を、保証することによって、国および地権者に対して、真実と正義に立脚した、特にわたしは憲法を申し上げたい、憲法を基礎にして、みなさまの良識ある判断、裁決をお願いしたい。

 ただ、政府が今、しかし、不法・不当にもいろんな問題を起こしています。一つわたしが絶対にゆるせないのは、登記簿上であれ、地権者である生きた人間を殺人したという、まったく許しがたい。こういう手続き上のミスはミスでは済まされない。住所をきちんと確認すれば、こんなミスはわたしでもすぐにわかる。それが専門家かたる何百人という職員がいる防衛施設庁が見逃すなんて、もってのほかだ。

 それからもう一つ。みなさん、思い出してください。象のオリに収用委員会が、どのような形で立ち入り調査をいたしましたか。あんな屈辱的なことをですね、施設局はやったわけです。みなさん、ベニア板の道を歩いた。さあ、知花さんはどういう格好で立ち入りましたか。まったく違う。みなさんが歩いた時には、あの上は人が歩いたら、たいへんだということでベニア板。しかし、現実には、ものすごく重い芝刈り機が走り回っていた。その証拠を突きつけられて、裁判所では、結局命令をだそうとしたんですが、施設局があわてて、和解に応じた。こういう馬鹿くさい経緯があった。そして、最終的に特措法で、みなさんの権限を非常に……、わたしはこれは、決定的ともいえる、みなさんの現在の法体系の中におけるですね、権限に対する侵害だと思う。こういうような不法・不当なことを国がやっていく以上ですね、わたしたちは地権者として、抵抗権については、留保をしておきます。

 ただ、最後に申し上げたいのは、もう一つ申し上げたいのは、屋良県民葬に橋本総

理がいらっしゃる。わたしはこれについては、できるなら来てほしくない。わたくしにとって屋良先生は、直接の運動面における、あるいは組合の運営面における、その他諸々の件について、人生の師であった。その先生の気持ちは痛いほどわかります。屋良先生が沖縄返還協定批准の前に、屋良琉球政府の建議書を持って行った。日本政府はその前に強行採決をしたわけです。

 あの中にある、――ほんとは5点くらいあるんですが――、一つだけ申し上げます。屋良さんは、基地のない平和な沖縄、健全な沖縄、これをもとめてがんばっていらっしゃった方です。だから、保守も革新もない、沖縄県民の本当の意味での、わたしは偉人だと確信をしています。だから、この遺訓を、わたしたちは大事にして、たぶん、県民なら、良識ある県民なら、この遺訓を大事にしながら、基地のない平和な沖縄、健全な沖縄をつくるために、頑張っていくと思います。

 最後に、わたしたち……、先ほど房前さんがおっしゃいましたが、収用委員会がですね、公正・公平な審理、実質審理を続けて、そして本当の意味での、将来の歴史にたえうる、いわゆるさきほど申し上げた、人間らしい沖縄県民の生活を保証する、真実と正義にたえる、そういったような審理をですね、やっていただく限りにおいて、わたしたち地主も正々堂々、対応をして参ります。どうか、国のいかなる圧力にも屈せず、それから、政治情勢もいろいろあります。そういったものにも右顧左眄せず、収用委員会が独立機関としての誇りをもって、最後まで、この沖縄の将来を見据え、りっぱな審理をやっていただくことをお願いいたします。

 わたしは、施設局にもですね、おなじ日本人として、或いは日本人でなくてもいいんです、人間として、できるなら、ほんとに人間らしい生き方を施設局の職員、あるいは、部長もですね、良心にかえって、やってほしい。沖縄のこころとは何か、これをきちんと伝えて欲しい。橋本さんにはですね、ここで来て欲しくないと言っていたことを、もし来るんだったら、屋良さんの遺訓を守ってくださいと。基地のない平和な沖縄をつくるために、屋良さんの、屋良さんの県民葬に哀悼の意を表されるのなら、わたしは歓迎します。

 しかし、これは単にいまのやり方を見ていると、基地のたらい回しその他のことか

らは、本心で来ない。県民の、ちょっと頭をなぜてみたい。そういう気持ちがあって、わたしは、総理は来られると思う。そんな形で、来るんだったら、わたしは来てもらいたくない。わたしは屋良さんの指導を受けた一人として、率直に申し上げておきたい。

 終わります。

(場内大きな拍手)

当山会長代理

 大変ご苦労さまでした。次に、阿波根さんどうぞ。


 出典:第三回公開審理の録音から(文書おこしは比嘉

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