沖縄県収用委員会 第10回審理記録

吉田健一(土地所有者代理人)


 土地所有者代理人(吉田健一):

 地主代理人の吉田です。私は、牧港補給基地について、基地の概要や基地から出てくるさまざまな危険物質等のいろんな基地の障害、そして基地が形成された経過や現在の使用方法の問題等々について、今の二人の陳述を補足して陳述をしたいと思います。

 まず、牧港補給基地の概要、役割について述べます。

 牧港補給基地は、キャンプ・キンザーとも呼ばれています。浦添市の西部、国道58号と東シナ海にはさまれた細長い平地を占有しております。1978年から、キャンプ瑞慶覧から海兵隊が移駐して、現在、2,000名ほどが駐留しているという状況でありま す。

 基地の司令官は、第3軍役務支援軍指令部及び役務大隊司令官であります。つまり、海兵隊の補給、整備、医療などの中心部隊がここに置かれているわけであります。資材倉庫や設備工場、兵舎、家族住宅などの設備があります。

 この第3軍役務支援軍という部隊は、海兵隊の戦闘員に分類されております。前線 における戦闘支援を本来の任務としているというふうに言われています。

 既に松島代理人が指摘しましたように、安保条約の枠を無視して活動している海兵隊、その駐留実態が違憲違法なその海兵隊のために物資を補給する、その部隊がこの牧港補給基地に置かれているわけであります。そういう意味で、牧港補給基地の部隊もここに駐留する法的な根拠はないというふうに言わなければなりません。

 次に、基地のさまざまな障害、被害について述べます。

 スライドをお願いします。

 この色が付いている部分全体が浦添市の地図になります。この左上部分、薄茶色の色で塗られている部分、これが基地になります。基地の広さは275万平方メートルであります。市の面積が浦添市全体で1,892万平方メートル。ですから、基地は市の面積の約7分の1を占めて いる。そういう広さをこの基地が占めているわけです。基地のあるこの浦添市、ご存じのように、那覇市の北側にあります。人口の急増地帯であります。

 1972年、復帰時で5万人の人口であった浦添市は、現在はその倍、10万人へと急増しております。那覇市、沖縄市に次ぐ沖縄県で第3位の人口を有するに至っているわけであります。那覇市への通勤住宅地域として非常に便利なところでありますけれども、この基地の存在等によってその住居地域が圧迫されているという現状であります。

 また、基地はご存じのように左側が海でありますから、浦添市の海側にあります。南は那覇市、北は宜野湾、その灰色の基地の右下に沿って国道58号が通っています。58号の右下側は浦添市の商業の中心地域であります。この基地が国道58号の北西側にあるために、浦添市の産業発展の障害にこの基地がなっているということがこの地図からも明らかになると思われます。もう一つは、58号自身ご存じのように慢性的な渋滞をもたらしていますけれども、この基地の存在が渋滞の原因にもなっているというふうに言えると思います。

 次に、この基地が過去にさまざまな有害物質を住民にもたらしてきている。過去に昭和48年の廃油などの排出、昭和50年の薬物等の流出汚染、そういう被害が発生してきました。この基地の中には、国防再利用売却の沖縄事務所があります。すべての米軍財産の再利用、そして廃棄物の処理がこの基地の中で管理管轄されています。嘉手納基地で発生したPCBの汚染、この問題でも有害廃棄物の回収窓口になってきたということであります。

 アメリカ軍は、核、そして生物化学戦争、いわゆるNBC戦争、これに遭遇するということを前提にして設備をもっています。このNBC戦争に対応するようなさまざまな 危険物質、これをこの牧港補給基地でも扱っているというふうに考えられるわけであります。

 スライド、次お願いします。

 この新聞記事は先月、ことしの11月13日、この牧港補給地区で発生した火災事故を報じる新聞記事であります。

 次のスライドをお願いします。

 この基地内で発生した火災事故では、人体に有害な塩素ガスを発生する次亜塩素酸カルシウムという化学物質が焼けたという事故だったそうであります。この新聞記事でもありますように、静かな住宅街の近くで発生し、この火災のために国道にもうもうと煙が舞い上がった。ゴムが焼けたような臭いが一面に漂った。そして、住民が緊急に避難させられたという事態が発生したわけであります。ところが、この記事でも指摘されていますけれども、アメリカ海兵隊は当初有害物質が燃えたということを住民に隠していたわけです。後にその問題を指摘されて、訂正しましたけれども、この左側の記事の写真で明らかなように、酸素ボンベとガスマスクを付けたこの基地の中でアメリカ兵が対応している、こういう写真が写されています。この火災事故の危険性を明らかに示しているという記事であります。

 牧港補給基地は、那覇軍港と密接に関連しているというふうに言われています。ベトナム戦争の当時は、それこそミサイルからトイレットペーパーまで、すべて軍隊に必要なものを補給していた基地であります。現在、那覇軍港との関係で、そういった取り扱える物質というのは、実際少なくなっていると言われておりますけれども、結局はこういう危険物質が残されている。そして住宅地域や商業地域のまさに隣接したところでこういう危険物質が扱われている。そのことがこの事故によっても示されているというふうに言えると思います。

 次に、基地がつくられてきた経過と、現在の使用状況について述べます。

 この牧港の基地がある土地というのは、ほかの土地と共通しているわけですけれども、沖縄戦の後に米軍が占有していた土地、占有してきた土地であります。その後、一時47年から50年ごろまで収容所に入っていた人が戻ってきて、農作物をつくっていた時期もありますけれども、1950年ごろから基地のいろんな施設の建設が始まり、ブルドーザーで地ならしされて、内間さんの話にありましたように、中にあったお墓などもすべて取り壊されて、狭い土地に住民が追いやられたという経過であります。

 次のスライドをお願いします。

 この図面のピンクに塗ってある部分、これが牧港補給基地です。左上に真ん中へんに黒く塗ってある部分が契約拒否をしている地主の所有地、これが示されているわけであります。

 特に左上の北側の契約拒否の土地の部分については、いずれも建物、施設というのが、その土地の上にはありません。物件調書を見ましても、水銀灯であるとか、排水路をつくっていると、その程度の施設でしか使っていないものであります。

 次のスライドお願いします。

 この12番、13番、ちょっと見にくいですが、この土地については、先ほども津波さんの土地が地籍不明地だという指摘がありましたけれども、地籍不明地も存在します。現在、NHKの特別番組でも報道されてご存じかと思うんですけれども、この牧港の南 側の小湾部落の土地、この部落が復元作業がされていました。防衛施設庁の図面と比べても、その公図とだいぶずれがあるということで、問題にされています。そういう意味でこの津波さんの土地も地籍不明地でありますけれども、実際の昔の地籍と異なっているということが言えるのではないかと思います。

 それから、一番上の2の土地、この上に1もあるんですが、この部分は全くの草っ原になっていて、全く使っていない遊休地であります。

 次のスライドをお願いします。

 この図面で言いますと、野球のグラウンドのようなものがあって、その北側になります。実際の写真を次のスライドで見てください。

 ここは真ん中にアンテナのようなものが立っていますけれども、この向こう側が1 と2の土地です。

 次のスライドもお願いします。

 そのちょうど建物がある右側のあたりですね。そのへんが1と2の土地なわけですけれども、こういうふうに全くの草原で、何ら基地として必要性というのが考えられないような、そういう土地も対象になっているということを指摘しておきたいと思います。

 きょうも何回か有機的一体性の問題について問題点が指摘されておりますけれども、実は先ほど陳述した内間さんの土地も、ことしの5月に一部返還されております。そ ういう意味で、返そうと思えば返せる土地というのがこういうふうにいくらでもあるということをやっばり厳密に検討をぜひしていただきたいというふうに思います。

 それから、最後に浦添市の立場、あるいは浦添市の市民がどういうふうにこの牧港補給地区を見ているか。どういう要求をしているかということを述べたいと思います。

 次のスライドをお願いします。

 この図は、牧港補給地区がアジア交流都市の形成ということに向けて、その基本計画を平成4年、5年ほど前から浦添市でつくって、いろいろ調査をしてつくっている。それに基づく計画の図面です。そういうアジア交流都市の形成ということに向けて、左側の真ん中へんが住宅、それからこの図のちょうど手前の58号線沿いが商業地区、そういう整備計画をつくろうということで、返還後の計画を浦添市としてもきちっと持って望んでいるという状況がこの地図で示されています。

 スライドどうもありがとうございました。

 それから浦添市が、一昨年95年に実施した調査でも、多くの市民がまちづくりの障害になっていることを指摘しています。そして基地の返還を望んでいます。

 この牧港補給地区は、基地の用地の90%以上が民有地であります。その地主の半数、48.6%という人がこのアンケートに答えて、この基地がまちづくりの障害になっている。障害にはなっているけれども、やむを得ないというふうに答えた人がそれ以外に27.5%います。ですから、76%の地主の方がまちづくりの障害になっているということを認めています。

 そして、地主さんの中でも返還を望む声が8割近い、そういう方々の強い要求がこ のアンケートに示されています。さらに一般市民の間の声というのは、まちづくりの障害になっているという声は85%、そして返還を望む声は95%、ほとんどの市民がこの牧港補給地区の返還を望んでいると。そういう実態をぜひ踏まえていただきたいと思います。

 以上、述べましたように、海兵隊の補給基地として、そもそも継続使用すること自体、適法、安保条約上の根拠もないという趣旨であります。そして非常に危険な物質があって、都市機能の障害にもなっていると、まさにこの浦添市の住宅地域、商業地域に隣接するこの土地をこういう基地で使っていいのかという意味では、ノーということの結論がはっきりしているのではないでしょうか。

 土地の使用方法についても、全く必要のないような土地もあります。ぜひ収用委員会におかれまして、実質審議を踏まえた、この土地の必要性、合理性についてご判断いただいて、却下の裁決をお願いしたいと、そのことを申し上げて意見陳述を終わります。以上です。

 当山会長:

 ご苦労様でした。多少時間超過しましたが、これで本日の審理を終了いたします。

 次回の公開審理は、沖縄市民会館におきまして、平成10年1月29日、木曜日、午後1時より開催します。なお、入場受付は正午から開始します。本日は大変お疲れ様でした。

(午後5時4分閉会)


 出典:第10回公開審理の議事録から(テキスト化は仲田

 スライド写真提供:違憲共闘会議


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