news-button.gif (992 バイト) 38 年始のご挨拶
    および、いただいた賀状からのニュース、「いい人」情報など
 
 
(2000/01/03掲載) 

 2000年の賀状は600人ほどの方に差し上げましたが、まだ名簿漏れなどで、お届けできなかった方もおられると思います。ここでご挨拶をお送りいたします。

賀 春    2000年元旦

過ぎし年をふりかえって、ひどい年だった、最悪だったなと思うことが、例年のようになりました。外ではコソボ空爆、東チモール、内では周辺事態法から君が代・日の丸の法制化など、まさに世紀末現象の連続。87歳になる母と一緒に渋谷の街をデモで歩いたりもしました。
個人的には、『いい人はガンになる』(KSS出版)を上梓し、おかげさまで好評をいただきました。今は、日の丸・君が代の強制反対の不服従宣言の運動や、地元の保谷市の田無市と合併を住民投票で決めるよう要求する条例の制定運動などに関わっています。
ガンの定期検査は続いていますが、今のところは再発も転移もないようです。この春からは、多摩市の恵泉女子大学に出講することになりそうです。
畏友・故鶴見良行さんの著作集の編集の仕事や、アメリカのベトナム反戦運動の論文集の翻訳の仕事もかかえています。
一つだけこの場を借りてのお願い。沖縄の名護市の市民グループから、この基地移転に反対する訴えを賀状に含めるようよびかけられました。この問題へのご関心を!
           
    吉 川 勇 一

 なお、たくさんの方から賀状を頂戴しましたが、その中から、お知らせしたいと思う情報、ぜひご紹介したいと勝手に思った賀状を再録します。

哲学者でPP21研究所の花崎皋平さん。
「新年のご挨拶
2000年よ こんにちは!
ニホン 発音すると
口の中に腐った臭いがひろがるばかり
オキナワを 目をこらしてみつめると
闇に闇を重ねる暗さ
海は青いのに 木々は緑なのに
クニのウタ クニのハタ クニの安全保障
従いませんよ 私は
つくりなおそう このクニを 土台から
ミレニウムかけても」

映画監督の田代廣孝さん。
「おかげさまで、映画『Mr.Pノダンシングスシバー』が、朝日新聞社主催『第42回朝日ベストテン映画祭』の日本映画部門で、昨年大阪にて公開された172本の作品の中から、何と第1位に選ばれました。今年は本作の地方上映の他、新作の制作に向けてより一層の努力をしてまいりますので、ご指導のほどよろしくお願い申し上げます。」

在フランスの日高六郎・暢子さんご夫妻。
「二〇〇〇年の日本は、おめでとうどころではない。
私もふくめ、みな市場主義にふりまわされました。
女性たちは、子どもの顔を見るように、日本の姿を
見ましょう。暮らしに少しでも落ちつきをとりもどすため、
女性の輪をつくりましょう。
私も一粒になります。      日高暢子
皆様、お元気ですか。私には、戦前が近く、戦後が遠く見えます。老眼のせいでしょうか。  日高六郎」

 次に「いい人」情報。何人かの方から、ご自身や身内の方が「いい人」の仲間入りをしたというお知らせを受けました。順不同ですが、以下にその一部をご紹介。どうやら、「いい人」という表現は徐々に定着してきているようです。そして、みなさん、明るくお過ごしのようで、嬉しい次第です。

三里塚闘争の被告だった島田郭志さん。
 「昨年暮に胃を2/3ほど切りました。順調に回復しています。現代医学の水準はたいしたものです。胃癌など盲腸みたいなもの、むしろ寿命が伸びた思いです。」

草の実会の安増武子さん。
「昨年、『よい人』のお仲間に入れていただき、あまのじゃくの私は照れております。お大切に!」

国際労働運動研究所の吉原節夫さん。
「昨年五月、貴兄の『いい人は』の仲間入りをしましたが、幸い順調に回復し、これからも運動の戦列に参加していけそうです。今後ともよろしく」

新日本文学会の田所泉さん。
「思いがけず、『いい人』の端くれに連なることになりました。ご本を読んでいたせいで、平静に対処できました。いまは全快したもようです。」

市民の意見30の会・東京のメンバーである白水滋さん。
「秋に前立腺の全摘出を受け先日退院したところです。早期の発見だったので完治できるものと思っています。私は癌にならないと心のどこかでひそかに信じていたのがくつがえされて、昨年の秋以来入院、手術、リハビリの日々、古希ともなればいつ何が起こってもおかしくないこの世の無常を知りました。」

代ゼミ講師の先輩だった日本史の白井明さんのご家族。
「私は両目手術、視力回復。二児の母の私の長女が『いい人」の仲間入りをしてしまいました。ご指導よろしくお願いいたします。」

 なお、以前から「いい人」であった方々からのその後の健康状態のお知らせ。

労働情報の今野求さん。(元全国反戦青年委員会事務局長)
「おかげ様で求の体調もよく、元気に新年をむかえています」

ジャーナリスト、田原総一朗さんのお連れあいの節子さん。
「おかげさまで、女房がすっかり元気になり、二人三脚が復活しました。二人共六〇代中盤になり、二〇〇〇年とどう取り組むか、正直言って、いささか肩に力がはいっています。」

労働運動家の樋口篤三さん。
樋口さんからの賀状には、胃がんの手術後の健康状態について何も記述がなく、ひたすら世を憂い、「対抗改革勢力のネットワーク作りにはげみます」と以前同様、闘志いっぱいの文面。

大学時代の学生運動の先輩、安嶋彬さん。
「彬は退院後まる三年になりましたがその後異常もなく、少しずつ体力もついて、最近は自転車で近くを散策できるようになりました。」

元鎌倉市議、元総評国際部の若林Xさん。
「ほぼ八ヶ月間、入院、手術、療養で多くの方にご迷惑とご心配をかけました。恐ろしいほど進んだ医術のおかげで、またまた命拾いをしました。心臓にペースメーカーを入れて二八年、そして今回の胃切除手術、遂に昨秋傘寿を迎えました。(中略)病床はいやでも人間を物思いにします。敗戦を教訓に平和を願い続けて五五年、それは何だったのでしょうか。新ガイドライン体制が生れ、日の丸が振られ、君が代斉唱があたりに響き出しているのは、帝国主義時代の再来を告げているのでしょうか。」

作家のいいだももさん。
「自自公支配勢力による新ガイドライン安保の周辺事態法=戦争法の強行制定直後に、胃の幽門部に癌が発見され発症し、胃摘出の外科手術を受けましたが、悪運強く生き残りました。(中略)旧年内は、中村稔の加護により那須に転地湯治して、術後のダンピング・シンドロームの調整につとめ、この20世紀の最後の年を片瀬の自宅に戻って迎えることが出来ました。御心配いただいた知友のみなさんに、賀状の形であつく御礼申し上げます。
  その癌からの起死回生の経緯につきましては、この春、青土社から上梓する予定の極私小説『いまだ生を知らず……』で、くわしく御報告申し上げる予定です。」

back.GIF (994 バイト)    top.gif (3079 バイト)