『兄弟よ 俺はもう帰らない』書評(4)
『読売新聞』書評欄・『東京タイムズ』書評欄

 

『読売新聞』 1975. 8. 18

米脱走兵と日本人たち

 
 ベトナム戦争は何であったかという問いに対する答えは人さまざまであろう。しかし、ベトナム戦争が、テレビの画面の中の出来事ではなく、文字通り茶の間の中に入り込んできた出来事であった人々がいる。その人々は今回の結末をどのような思いで迎えただろうか。茶の間に入り込んできたベトナム戦争とは、脱走兵のことである。
 本書は、アメリカ・テネシー州メンフィスの町に生まれた一人の黒人が、アメリカ海兵隊の兵士となり、ベトナムの戦場に送られ、激戦での死の恐怖と討伐行での住民虐殺への加担をへて、負傷、日本に後送されて、ついに脱走する話である。この脱走までの過程も生々と書けているが、格別の興味を引くのは、彼が脱走して、べ平連と接触し、ジャテックにかくまわれ、日本から脱出して、ソ連経由、スウェーデンに亡命するという物語の後半である。
 ジャテックという変わった名前の組織は、当時もいまも、自分たちのしていることの具体的な説明は一切しないので、脱走兵ホイットモアの語るところが、はじめてこの注目すべき地下運動の真実をわれわれに伝えてくれるのである。そこに描き出されるジャテックの面々は、007でも、アルカポネでもない。新聞記者であったり、大学教授であったり、牧師であったりする。みなごくふつうの市民なのであった。そういう人々が、ベトナムで人殺しをするのはもういやだと考えて、米軍とアメリカ合衆国をとび出してきた人間だというだけで、見ず知らずのアメリカ人を自分の家の茶の間の奥深くかくまったのである。
 脱走兵の方も、聖人君子ではないし、優等生ではない。ホイットモアは、女とダンスの好きなふつうの、つまり貧しい黒人の若者にほかならない。だからこそ、彼は脱走したといえるかもしれない。横浜で会った女子学生タキとの愛を通じて、彼はベトナム戦争には帰るべきでないと感じていったのであった。
 本書の末尾で、ホイットモアは次のように書いている。「私は、とりわけ、日本の人たちにお礼をいいたい。なぜなら、日本人は私を一人の人間として助けてくれたから。……日本人は私を物としてはみなかったし、『主義』のための部分としてもみるようなことをしなかったのである」。
 世に現れることなく、黙々として、人間としての義務を果たしたただの日本人たちと人間らしく意見生きんと欲した黒人青年との交情はさわやかである。

 

back.GIF (994 バイト)    top.gif (3079 バイト)

『東京タイムズ』 1975.8.18

脱走黒人兵の“人間宣言”

  べトナム人民は勝利した。彼らは、自分たちの手で自分たちの社会の建設を着々と進めている。ベトナム人民の勝利の持つ意味には計りしれないものがあるに違いない。ベトナム人民は、侵略国、米国にも新しい人間を生み出した。著者のT・ホイットモアは一九六八年、ここ日本で米国軍隊に背を向け脱走し、スウェ一デンヘ渡った黒人兵である。そして今彼は、米国からはるか遠く離れ、スウェーデンで、第二の人生を歩み続けでいる。
 彼は米国社会に黒人として生まれ、育つ。徴兵、そして軍隊での生活。ベトナムでの戦闘、残虐行為。日本で出会った人たち。
 「どうしてあなたたち黒人が戦わなくちゃいけないの? あなたたちは自分のために戦っているのじゃないでしょ」。このひと言がベトナムでの残虐行為そして負傷姦したホイットモアの頭を、混乱させていく。彼は、その言葉を自分に発した日本の女子学生との生活のなかで、自分をみつめ、米国をみつめ返していく。そして脱走を決意し、国をすてる。
 「人が育ち、大きくなるまでにどこにいようと、あることが必ずその人におとずれる。それは、大人になる時、というか、人間になる時、というか……」。ホイットモアが、この本の冒頭で「日本の人びとへ」こう語りかけている。これは、人間として自分で立つという意味だ。自分のいる社会で、自分で生きていく、自分を押し殺してくるものに対し、自分を押し出していく宣言でもあろう。
 ホィットモアにひと言問うた日本の女子学生「タキ」。ホイットモアに手をさしのべた、ジャテック(反戦米兵援助日本技術委員)などの無数の日本人。自分を広げていこうとしている人たちはこの日本にも、点として群がっている。この点を結びつけていく線は、ホイットモアの冒頭での「人間宣言」の精神であろう。管理社会、全体主義に穴をあけていくのは、その精神に違いない。そこには、日本の良心と勇気が宿っていると思う。

back.GIF (994 バイト)    top.gif (3079 バイト)