『兄弟よ 俺はもう帰らない』書評(3)
『公明新聞』稲垣治・『朝日ジャーナル』吉岡忍

 

『中日新聞』 1975. 8. 25

黒人脱走兵の身の上話

軍事評論家 稲 垣   治  

 ベトナム戦争と日本のかかわりを語るとき、そこには膨大なものがおいかぶさってくる。ベトナム侵略戦争に加担した勢力、侵略戦争に反対しつづけた人びと――勢力と。そうしたなかで、ベトナムに平和を求める運動のなかで、アメリカ軍人で反戦を求めた脱走兵を援助した活動はおそらく、明らかにされることは。ないだろう。まして、日本で援助した「反戦米兵援助日本技術委員会」(ジャテック)と「ベトナムに平和を!市民連合」(べ平連)はすでに解散していて、活動報告もされていないので、脱走援助の具体的なことについては知るすべもない。脱走援助を発表したくてもできないのが日本の現況である。
 本書は脱走を援助された者が「日本の民衆の善意と愛によって海を越えて行った現代の一寸法師」テリー・ホイットモアの自伝である。アメリカの社会においての黒人の生きることのむずかしさ、そして、軍隊へ、ベトナム参戦、脱走の過程が人間くささをもってえがかれている。訳者・吉川勇一があとがきで述べているように「脱走に関係した当事者による唯一の詳細なレポートということになる」。たんに唯一ということにとどまらず、私たちにとってベトナム戦争のかかわり、そして、いったいなんであったを深く求められる。私のように軍事問題にあけくれる者にとっては反省をもとめられる書である。元来、この種のレポートはとっても難解で、ことば――略語をふくめて――読むのに辞書を必携しなければならないのが通常である。ところが、本書は机に向かっても、ねそべっても読むことができる。このことは訳者の語学力にごぎなうところが多いことをつけくわえなければならない。なんにつけても、おもしろくてたまらないのである。
 ベトナム戦争で、アメリカ軍、チュー政権軍隊、朴政権軍隊などが行なった残虐行為は数えきれないし、B52などの無差別爆撃は語ることのできない物量と問答無用の戦争であった。そのなかで、ソンミ村虐殺事件は、世界にその残虐をさらけだし、ベトナム反戦を駆り立てたのである。ソンミ村事件と同様な虐殺行為は、なんの感情もなく、日常的に繰り返し実施されてきた。「あれが村だ、平定しろ(レベル・イット)」といったぐあいに。たとえば、『この村には実に多くの人間がいる。男、女、そして子供たち。正確になん人いるかはわからないが、とにかく人間のたくさんつまった部落がここに十三もあるのだ。それにたくさんの家畜も」いる平和な村にたいして「平定しろ」の命令によって銃弾の雨をふらせ、やきつくすのである。こうした平定ということばによる非道きわまる作戦行動を本書は実感をこめてつづっている。おそらくそれに参加した戦闘員とされる側のベトナム人民にしか書くことのできないことである。
 おそらく著者自身はもっと記したいことがヤマほどあろう。「多くの日本の人びとに本当にありがとうといいたい。たくさん、実にたくさんの名を私は覚えており、その名をここで挙げたいのだけれども、本名はやはり言わないほうがいいのだろう」ことにつきる。読者自身もそこに興味がわいてくることだろう。そのためには小中陽太郎著『私のなかのベトナム戦争』をあわせて読まれるといい。いずれにしても本書は「素晴らしい日本の人びとへ。べ平連の人びとへ。限りなき愛を込めて、この本を捧げる。私は今、人を人として尊重し、人の思想を尊重する。私は日本の人びとにそれを教えられた」ことから、これは私たち日本人が教えられるべきベトナム反戦運動の「秘史」ともいうべき書である。
 

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『朝日ジャーナル』 1975.10.17

脱走海兵隊員のタフな奮戦記

吉 岡   忍  

 平和だ、兄弟よ――ポツンと、
つぶやくようなセリフで終わるこの本を閉じると、うすれかかった記憶の奥からうかびあがってくる光景がある。テリー・ホイットモア、つまり一九六八年に日本で脱走した米国海兵隊員であり、この本をスウェーデンで書いた男は浜松にいた。彼のいた家の近くには小さな森があって、夕方になると彼と私はよく散歩にでかけた。その森のなかで彼がやることはいつも同じだった。走り、はいつくばって、私にも同じようにやれといったものだ。森のあちこちから弾がとんできて、はじける。もう仲間はふっとばされてしまった。そのうちに空からの援軍がくる。だが、とテリーはいった。
 「ベトコンは絶対におれを撃ちゃしないんだぜ。なぜだかわかるかい? それはおれが黒人だからさ。白人の仲間は全部やられたってのに、おれにむかっては撃ってきやしなかったのさ、兄弟(プラザー)」
 ふたつめの光景。私はテリーの故郷、メンフィスヘ行った。彼の両親が住むアドレスを探しだすことはできなかったが、彼が育ったブロック、海兵隊に入るまでは出たことがないブロックのあたりをぐるぐると歩きまわった。黒人の子供たちがバスケットボールに興じていたが、やがて本物のケンカをおっぱじめる。この本の冒頭で、「貴様、殺してやる!」とテレビのチャンネル争いからナイフをふりまわすのは彼の弟だが、じっさいそんなふうな光景だった。アメリカ南部のゲットーで育ち、「キル、キル、キル!」が合言葉の海兵隊に入り、ベトナムヘ行き、コン・チェンの激戦で負傷し、グエン・カオ・キ元帥とウェストモーランド将軍をしたがえたジョンソン大統領から勲章をもらい、日本に来て脱走する。彼をたすけたガールフレンドのタキ、ジャテッツク(反戦米兵援助日本技術委員会)のめんめん、そしてロシア人たち。「民衆の網の目」をたぐって、テリーはついにスウェーデンに安住するのだが、それまでのウ余曲折を描いたこの本は、彼がじつにユーモラスでタフな黒人であることをぞんぶんにしめしている。ことにソ連で官僚的な接待にうんざりして若い女のしりを追いかけるところなどは、たくみな官僚制批判となっている。巻末の小中陽太郎さんの文章は、テリーにそくしてのべながら、小中さんじしんの政治的美学を典型的にしめしていておもしろいし、吉川勇一さんの訳ときたら、まことに苦心のたまもの。



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