52 ちょうちんデモの会と「年寄りの冷や水」のことなど (2010年03月01日  掲載)   

 2月15日、「三鷹・武蔵野アンポをつぶせ!ちょうちんデモの会」は、定例のデモがなんと第700回目のデモになりました。毎回参加していたわけではなかったのですが、700回ではぜひ参加しようと思いましたし、「市民の意見30の会・東京」の仲間にも一緒にと、誘いもしました。『毎日新聞』に事前の記事も出て、普段よりはだいぶ多く56人になったとのことでした。(ちょうちんデモの会については、黙々と-part4」 http://red.ap.teacup.com/kysei4/ の中に詳しく、写真も含めて載っています。『毎日』の記事もそれに出ています。ぜひどうぞ。下の写真もそれから拝借。)
 ただ、その晩はずいぶん寒い日で、今にも雪に変わるような冷たい雨。傘を持つ手もかじかんでしまいました。吉祥寺から三鷹まで、1時間半ほどの歩きでした。若い人びとは元気で、ときどき「大丈夫ですか?」などと親切な声もかけてくれるのですが、私のほうは、それに返事の口を開くまでが辛いほどの感じで、久しぶりの「アンポ粉砕!」のシュプレヒコールに加わる声もでず、とにかく、ひたすら何とか最後まで歩く努力
する、というので精一杯でした。
 デモが終わってから、多くの参加者は、毎回集まる飲み屋で懇談会もあったのですが、私はなんとか帰宅
するのが必死で、その直後、びろうのことで恐縮ですが、ひどい下痢に見舞われ、3日ほどは回復しませんでした。
 このデモから4日のちには、知人の中川六平さんに出席して下さって、岩国での反戦喫茶「ほびっと」の話の会があり、その翌日は市民の意見30の会・東京と市民意見広告運動共催の新崎盛暉さんと浦野広明さんの講演会があり、そしてさらにその翌日は、運動の大先輩の方の遺稿集の編集委員会があって、これは私の事務所で開くことになっていたので、この三回連日の集まりはなんとしでも参加しなければ、と思っていましたので、お粥やうどんばかりで、懸命に治す努力でした。同年輩どもからは、同情どころか「年寄りの冷や水」などと言われる始末です。
 最近、とてもいい書物を続けて頂いています。
杉本秀太郎(文)・甲斐扶佐義(写真)『夢の抜け口』(青草書房 2010年2月)、鶴見俊輔『ちいさな理想』(SURE 2010年3月)、鶴見良行エビと魚と人間と 南スラウェシの海辺風景』(みずのわ出版 2010年03月 )などなどですが、それぞれ、「ベ平連」のサイトの「ニュース欄」( http://www.jca.apc.org/beheiren/news.html ) や「最近のベ平連に関連した文」の欄http://www.jca.apc.org/beheiren/saikinnbunken/htm )などに紹介が出ていますので、ぜひご覧に見てください。その鶴見俊輔さんの『ちいさな理想』には、こんな文が載っていました
 「京都のピース・ウオークを出発点で見送った。デモのコース全体を歩きとおすことはせず、出発点で見送るだけにとどめている。八〇歳になってから、そうしている。……」(「殺されたくない」を根拠に) 私も、あと10日ほどで満79歳になります。やはり「出発点で見送るだけにとどめ」ることを考えてみないといけないのかな、などとも考えています。